第十二話 密通の疑惑

 それは王立学院を卒業した年の冬だった。


 ザルツは王室付の宮廷武官として任務を拝命し、慌ただしい日々を過ごしていた。任務は多忙を極めたが、憧れの部署であったそこで働く光栄を思えば、ザルツの心中は充実していた。


 だから、その日の夜、王であるサレス二世から内々に呼ばれたときも、意気揚々として王の私室に向かったのである。ところが王が口にしたのは、あまりも想定外の内容であった。


「ことにザルツ、お前は慈悲院の出身だったな」


「……そうでございますが、それが何か……?」


「では、余の寵姫であるアーリーのことはよく知っておるな」


 ザルツは胸の鼓動が早まるのを覚えた。それとともに嫌な予感が急速に心中に広がり、ぞくり、と背が震えた。

 こんな夜半に新米武官である自分を呼んで、アーリーの話とは、一体……?


 そんなザルツにかまわず、サレス二世はいきなり事の核心を突いてきた。


「お前はアーリーと密通しておったのか」


「……何を仰います!」


 ザルツはあまりにも予想外の王の言葉に、思わず叫んだ。サレス二世はそんなザルツを面白げに見やる。


「ザルツ、隠さずとも良いのだぞ……その証拠に、アーリーは余が寵愛を授けている最中にな、お前の名を叫んだのだ……それは、それは、愛しげな、熱っぽい声音であったぞ」


「アーリーが……? なにかの間違いでございましょう。たしかにアーリーとは慈悲院で共に育った仲でございますが、彼女が後宮に入ってからは会ってもおりませぬ」


 ザルツは状況を理解し、声を震わせながら抗弁した。

 背筋を脂汗が流れる。こんな寒い夜であるというのに。


「その言葉を信じて良いのなら……アーリーの片思いというわけか。そうかそうか、そういうわけか。アーリーの恋患いの相手がお前だったとはな。道理でアーリーの様子がここのところ塞ぎ込みがちだったわけだ。だったら紛れもなく余に対する不義、死罪は免れぬな」


「陛下……ご慈悲を」


 ザルツはかすれる声を絞り出した。

 ……アーリー、なんてことを! 

 そう叫びたいのを堪えながら。


「陛下、私はどうなってもよいです、ですが、アーリーはお助け下さい!」


「それはだめだ。アーリーの恋煩いなら、お前に罪はない。罰することはできぬ。それに、優秀な前途ある武官をこんなことで余は失いたくないのでな。その代わりと言ってはなんだが……」


 サレス二世のねちっこい声がザルツの耳を打つ。汗を流したまま跪いたザルツは、王の言いたいことを察知して、震える声で呻いた。


「陛下……、まさか」


「……察しがいいな。そうだ、お前の手でアーリーを殺せ。愛した男の手で殺される、これ以上の慈悲があろうか? ザルツ、そうであろう。せいぜい、苦しませぬようにしてやれ」


「陛下……!」


「用はそれだけだ。下がれ」


 サレス二世はザルツに微笑むように告げると、手を振って退出を促した。

 雪はしんしんと降り続いていた。

 よろけるように王の私室を出たザルツの足下を冷たい風が舞う。そして知らぬ間に、ザルツの足は、まるで見えぬ力に引きずられるようにして、セダイのいる医療院に向かっていた。


 カーサの館の客間で、冷え切った体を暖炉の前で温めながらザルツはセダイと言葉を交わしていた。

 ザルツは自らを罰するかのように、ぽつり、ぽつりと脳裏を過ぎる記憶を口にする。


「俺は、お前にもらった毒を手に、その足で……アーリーの部屋に向かったんだ……」


 セダイが、もう思い出すな、とばかりにザルツを見やる。

 だがザルツの呟きは止らない。


「部屋に入ったとき、俺を見てアーリーは……笑ったんだ。そして俺が何も言えずに、杯に入れた毒を手渡したときも、笑っていた。そしてそれを飲み干すときも……」


「ザルツ! もう止めろ!」


 セダイが今度は叫んで、ザルツの述懐を無理矢理遮った。ザルツは俯いた。眉をひそめたその暗い目を暖炉の炎がちらちらと照らす。思わず、セダイは大きく嘆息した。


「お前がその目をするようになったのは、それからだな……」


 ……扉を隔てた、窓から雪明かりが照らす、ほの暗い廊下で、カーサは身を固めていた。目を覚ましたら、ザルツの気配が部屋に無かったので、話し声のする客間のほうへと歩み寄ったのであった。

 偶然とはいえ、ザルツとセダイの会話を立ち聞きしてしまい、そしてその暗澹たる内容に、カーサはしばらく動くこともできなかった。


 ………聞かなかった、ことに、しよう。

 カーサはそう心に決めて、そうっ、と寝室へと戻った。戻りながら、カーサの脳裏にザルツの暗い目が浮かぶ。

 いつか自分が、人を愛したことが無いのか質したときの声が耳に響く。


「……そのくらいはあるさ……」


 たしか、ザルツはそう言っていた。


 ……それが、こんなことだったなんて。

 カーサはすっかり覚めきった目で窓の外を見つめた。


 風が唸っていた。

 その寒風が、自分、そしてザルツを、これからどこへとさらうのか、カーサには見当もつかなかった。

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