第十話 絶対に護る

 ガタガタと馬車の振動がふたりの体に伝わってくる。


 山間部にあるゼリガ郡への道は悪路がほとんどで、揺れは王都を出たときからひっきりなしにカーサとザルツの身を小刻みに揺らしていた。だが、それに文句を述べることも無くカーサは黙りこくったまま、座席に腰掛けていた。向かいにはザルツがいつものとおり剣を片手に座っている。悪路を走る馬車馬の嘶きと、道からの埃が、閉ざされた窓から微かに漏れる。


「……すまない、こんなことになって」


 ようやく、ザルツが口を開いたのは王都を出て半日近く経った昼時のことであった。絞り出すように出した声からは苦悩の色が透けて見える。

 だが、カーサはそれに何を感じる風でも無く、ただ拳を握り締めたまま、足下を見つめている。


「夕刻にはゼリガに着く。郊外の教会が講和の協議場所だ。そこにお前を連れて行かねばならぬ。だが、それは叛乱首謀者をおびき寄せるために罠にすぎぬ。だから……」


「それは聞き飽きたわ。要するに私は狂犬をおびき寄せる餌と言うこと、それに何の変わりもないわ」


 カーサの口調は先日までの生気はどこへやら、再び感情をなくし、その目はうつろだった。


「……そうだな、そのとおりだ……すまない」


「あなたが謝ることじゃないわ。これは、陛下の勅命。そうでしょう」


「それはそうだが、護衛としてそれを断り切れなかったのは俺の力不足だ」


 ザルツの目はどこまでも暗い。

 なぜあの時、断固カーサを駒に使うことに反対しなかったのか。ザルツの脳裏に悔いが満ちる。だが同時に、その理由は自分でも分かりすぎるほど分かっていた。

 俺は……。


「気にしないで。あなたはただの監視人なのだから、陛下の意向に反してまで私を護ることはないわ」


 石をはねた馬車が横に不意に大きく揺れ、カーサは扉脇の吊輪を握りしめる。気丈なふりを見せながらもその手は細かく震えているのを、ザルツは見逃せなかった。


「いや、俺は同時にお前の護衛だ、命を危険にはさらさせぬ。怖い思いをさせるのはすまないが、必ずお前を護って王都に帰る」


「……いいのよ、私を生かしていたわけは、結局、こういうことだったということ。それだけよ」


 カーサの生気を失った声にザルツは返す言葉がない。

 ザルツは思わず唇を噛んだ。おそらく、オルグの腹心たちはカーサをただ殺すだけでは満足しないだろう。主人の敵、しかもその暴力的な性癖のオルグの部下である。カーサを渡してしまったら、どんな目に遭わせてから殺すかは、容易に想像が付く。彼女は、またしても限りなく残酷な辱めを受けた末、惨殺されるに違いなかった。


 ……そうはさせぬ。ザルツは剣を強く握った。それは護衛としての精一杯の意地である。そして、国王に抗うことのできない弱い自らを、強く責める気持ちをも、無意識のうちに、その動作に込めていた。

 

 馬車の揺れが目に見えて緩やかになってきた。山道を過ぎ、いよいよ叛乱軍の支配地域にふたりを乗せた馬車は入りつつあった。


 夕刻、馬車はほぼ予定通りにゼリガ郊外の村に着いた。

 そこの教会が講和会議の場所だ。空は夕焼けで赤く燃えている。それがなんとも禍々しく見えて、馬車を降りたザルツは思わず空から目をそらした。


「ザルツ武官、久しゅう」


「アーノルド准将、お久しゅうございます。俺はもう武官ではないですが……」


 ザルツを迎えたのは鎮圧軍の主将であるアーノルドだった。握手を求めてきた旧知の武将に、ザルツは呟くように言いながら右手を差し出し、それに応えた。


「安心してくれ、手はずは整えてある。そちらがその娘か?」


 アーノルドは馬車のなかに未だとどまっているカーサをちらりと見て言った。


「そうです、どうか、カーサを頼みます」


 ザルツはそう言うと、馬車の中に再び身を滑らせて、カーサに呼びかけた。


「カーサ、降りろ」


 見れば、カーサの体は恐怖に強く震えている。瞳からは大粒の涙が流れおち、あの屈辱の時間を思い出していることがザルツには直ぐ分かった。


 ……まずい、このままでは発作を起こしてしまう。


 ザルツは咄嗟にカーサの手を握りしめた。いかつい男の手につかまれ、カーサは更に小さく呻く。だが、かまわずザルツはその手に力を込めると、カーサの目をまっすぐ見て言った。


「カーサ、しっかりしろ。お前は俺を殺して故国に還るのだろう? それまで生きろ、生きるのだ! ……その刻が来るまで、俺は必ずお前を護る。これは約束だ!」


 カーサはザルツの言葉に正気を取り戻したように、瞬いた。瞳に僅かだか生気が戻る。そして、震える体をザルツに支えられるようにして、馬車から降りた。ザルツはその手を引いて、アーノルドに歩み寄り、カーサを彼に託した。


「准将、どうか、カーサを頼み申す」


「ああ、では、あとは手はず通りに」


 厳しい面持ちを崩さぬまま、ザルツはカーサとアーノルドに背を向け、夕闇迫る村の石畳を歩みさっていった。



 講和会議の場である村の古い教会は、大きな吹き抜けの天井とそこからつり下がった天蓋が象徴的な作りの建物だ。


 時刻を迎え、天蓋には蝋燭の灯がともされて、会議が始まろうとしている卓を煌々と照らしていた。


 卓を挟んで、叛乱軍の幹部と鎮圧軍の代表が向かい合う。

 やがてアーノルド准将が重々しく口を開いた。


「それでは、講和の話し合いを始める」


「待て。話し合いの前に例の娘だ。連れてきてはいるだろうな」


「勿論だ。連れてこい」


 アーノルドが命じると、腰縄を付けられたカーサが兵士に挟まれ、姿を現した。卓に向かってゆっくり歩みを進めるカーサに、叛乱軍の面々から下卑た笑いが重なる。


「あの小娘が……。ほぅ」


「なるほど、なかなかの美人だな。これは戦の後の楽しみが増えたというものだ」


「それにしても、女と引き換えに講和を結ぶとは、陛下の威厳も地に墜ちたものだな……」


 カーサは倒れんばかりだった。だが、歯を食いしばって歩を進めた。

 このまま死んで良いと言う思いと、なんとかこの場から逃れたい想いが去来する。そして、ザルツの言葉が頭に過ぎる。


 私はどうすれば良いのだろう。何を信じたらいいのだろう。生きたいのだろうか、死にたいのだろうか。あの男を信じて良いのだろうか。殺すべき存在の、あの男を。

 カーサの頭は混乱したが、気が付けば、カーサは卓の目前にいた。叛乱軍の幹部全ての目がカーサに逸れる。


 その瞬間を、ザルツは見逃さなかった。


 吹き抜けの天井の梁に身を隠していたザルツは、剣を振るうと、天蓋を吊っていた綱をたたき切った。

 天蓋は蝋燭の炎と共に勢いよく落下した。アーノルドをはじめとした鎮圧軍の幹部がカーサをかばいながら、天蓋をよけて素早く身を倒す。


 轟音、怒号、悲鳴、剣を振るう音、蝋燭からこぼれ落ちる熱と炎。


 ……そして、暗転。


 ……カーサは気を失っていたようだ。眩しさに目を再び開けば、すでに決着は付いていた。カーサは燃えさかる教会の外にいた。

 そして傍には煤だらけのザルツの顔があった。


「カーサ、礼を言う」


 笑いこそしてはいなかったが、ザルツの顔は極度の緊張から解け、これまでに見たことも無い柔和さがその声にはあった。


「……私はなにもしていないわ……」


「いや、お前の勇敢さあってこその、この結果だ。首謀者どもは捕縛した。そうでない者は、斬られたか、焼け死んだか、あるいは天蓋の下敷きになって死んだ。これで叛乱軍は主体をなくし、数日中にアーノルド准将の手で鎮圧されるだろう」


 一筋、カーサの頬を涙が伝った。

 それは、あの夜以来の、憎しみと哀しみの涙では無く、安堵からくるものだった。

 カーサはそっと目を閉じた。


 そのときばかりは、その身を静かに支えたザルツの腕が、怖くなかった。

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