第九話 深夜の勅命
「……みなさんは国王陛下の慈悲を賜ってこそ、この王宮の慈悲院にて育てていただけているのです。ついては大きくなったら、陛下のご恩に報いられるよう心するのですよ」
慈悲院の院長の声に少年少女が一斉に応える。
「国王陛下万歳!」
「国王陛下万歳!」
無心に声を子どもたちが上げる。隣を見ると、ザルツと同じように唱和していたアーリーが、ニコッと笑った。思わず少年のザルツも笑い返す。そして二人は前を向くと、引き続き万歳の声を無邪気に上げるのだ。
次の場面では、アーリーは美しい少女に成長していた。はにかみながら、ザルツにまた笑いかけ、頬を高揚させこう告げる。
「私ね、今度、国王陛下の寵姫として後宮に入るの!」
「そうか。それはおめでとう……!」
「ザルツ、あなたも、学院を卒業したら、陛下直属の宮廷武官として国王陛下に仕えるのよね、もし私、そして陛下になにかあったら一番に駆けつけるのよ! これは約束よ!」
「ああ、約束しよう、俺が一番に助けに行くよ」
その自分の声が反響してザルツを包む。アーリーの幸福そうな笑い声がそれに重なる。
懐かしい、幸せな遠い日。
自分たちの未来は国と共にあり、よって薔薇色に輝いていると信じていたあの日。できれば永遠にその頃にいたかった。そうザルツが思った途端、急速に場面は暗転する。そして聞えてきたのは自分の悲鳴だ。
「アーリー!」
……ザルツは飛び起きた。寝汗がびっしょりと額をぬらしている。
なんて夢だ……。
暗澹とした気持ちで汗を拭い、そして現実に帰る。窓の外はまだ暗い。朝の光もまだ届かぬ、一番闇が深いとされる時刻だ。
寝台のカーサが静かに眠っているのを確かめつつ、ザルツは窓の側に立った。暗い光を目に宿した自分の顔が窓に映り、ザルツは思わず目を背けた。
「俺としたことが……」
そして、はっ、として扉の方向を振り返る。何者かの気配を感じたのだ。耳を澄ませば、小さく扉を叩く音がする。ザルツが用心深く、扉をゆっくり開けると、かつての部下である王室付の宮廷武官の姿があった。
「ザルツ殿、こんな時間に申し訳ないが、国王陛下がお呼びです」
「……わかった。直ぐ行く」
表情を変えずに答えたつもりだったが、果たしてそうできたであろうか……。
よりによってこんな夢のあとに。
ザルツはそう思いながら服装を整えると、武官の後に続き、カーサの館を後にした。
「すまぬな、ちょっと事は緊急を要してな、ザルツ」
国王サレス二世はそう言いながら、ザルツを迎えた。
「お久しぶりでございます。陛下」
「うむ。お前があの小娘の護衛に回って以来だな、どうだ、カーサとやらの様子は」
「はっ、大分容態も落ち着いてきたところであります」
「ほう、それは何よりだ。ことに、毎晩の伽をちゃんと与えてやっておるか。それも世話をするお前の大事な仕事だからな」
「……まだ、そんなことを求められるような容態ではありませぬ。それより何用でございましょうか」
ザルツはやや強引に話を本題に振った。サレス二世はやや意地の悪そうな顔でいたが、それ以上はその話題を続けずに、こう用件を切り出した。
「おお、そうだった。お前に頼みがあってな。ほかでもない、ゼリガでのオルグの部下の叛乱についてだ。鎮圧に時間がかかっているのは、知っておろう」
「はい、聞き及んでおります。なんでも駐屯軍の幹部も多く参加しているということで、なかなか手出しができぬと」
サレス二世はそのとおりとばかりに大きくゆっくり頷き、そしてさらりと言ってのけた。
「うむ。それでな、実は、講和の条件のひとつとして、奴らはオルグの名誉回復を求めてきておる。それには殺害犯であるあの小娘の身柄を引渡せと要求してきたのだ」
ザルツの顔色が変わった。
「まさか、カーサを引渡すのですか?」
「余はそこまで悪人では無いぞ。引渡す真似をすればよい。それで叛乱軍の重鎮どもをおびき出したところを一網打尽にすれば、叛乱は鎮圧できる。その手はずをお前に頼みたい」
「……お言葉ですが、陛下。それにはカーサが危険すぎます。命の保証ができかねます」
ザルツは眉をひそめて、サレス二世を見やった。だが王はそれにかまう様子もなく言った。
「そこをなんとかするのが、護衛であるお前の仕事であろう。替え玉の娘を用意するのも余には心苦しいのでな。それに、駒は本物である方が、賭け事は面白ろかろう」
サレス二世は困惑するザルツの表情を面白がるように言った。そしてザルツに小声で迫るように付け加えた。
「ザルツ、余の恩義を忘れたか」
「……いえ、忘れたことなどございませぬ……陛下」
夜が明けようとしていた。サレス二世の飼う小鳥の声が朝を告げるように、チチチ、と鳴くのがザルツの耳に入った。
しばらくの沈黙の後、ザルツは頭を下げ、勅命を受け入れた。
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