第八話 お前の目が怖い

 ゼリガ郡における「オルグ殿下腹心一派による叛乱」の報が王都を駆け巡った次の日は、セダイによるカーサの定期往診の日だった。

 

 夏の終わりを感じさせる涼やかな風が渡る王宮の庭を、セダイはゆっくりと踏みしめカーサの館に向かった。カーサが叛乱の報に、再び精神の均衡を崩していないかが、セダイには気がかりだった。


 だが、カーサの館の入り口で目にした光景に、セダイはあんぐりと口を開けた。

 なんと、木刀を持ったカーサがザルツを相手に剣の稽古をしているでは無いか。セダイから見てみれば、まだ、稽古のまねごと、程度の手合わせではあったが。それでもつい最近まで床に伏せ、始終発作を起こしていた、自分の患者がおぼつかない足ではありながらも、木刀を構えて息を弾ませているのに、驚かないわけにはいかなかった。


「待った、待った、何をしているんだ、お前たちは……!」


 慌ててそう口走りながら二人に駆け寄るセダイを目にして、はじめてザルツとカーサは動きを止めた。

 カーサの額は汗でびっしょり濡れ、黒髪がべったり張り付いている。だが弱々しく息を弾ませながらも、その瞳には、医療院にいたときにはまったく見えなかった生気が宿っていた。


「カーサ、ここまでにしておこう。今日は診察の日だったな、忘れるところだった」


 ザルツがそう言いながら自分の木刀を地面に放る。

 カーサは頷きながらその場にへたり込んだ。セダイが慌てて駆け寄り、抱き起こしながらザルツに呆れたように言った。


「剣の稽古なんて、なんて無茶をさせるんだ……!」


 するとカーサが弱々しくもはっきりした声で、息を切らしながらセダイに告げた。


「………いいの、私がやりたい、って、言ったのよ」


「え?」


 ともあれ、ひとまず、ぐったりとしたカーサを立たせて、館の寝室に連れて行き休ませ、ひととおりの診察を終えると、セダイは部屋の外で剣の手入れをしながら待機していたザルツにかみついた。


「どういういきさつだ? ザルツ?」


 詰問されたザルツはいつものように眉をひそめていたが、剣を磨き終えると、セダイに向き直った。


「どうもこうも、カーサが言ったとおりだ。昨日、叛乱発生の報をカーサにも伝えたのさ。それで俺は付け加えた。これまで以上に身辺に気を配るからな、と。そうしたら、カーサが言ったんだ。あなただけに自分の命は預けない、私にも剣を教えろ、と」


「……また、そんな無茶な……あいつはまだ精神的に半死人だぞ。よくもまあ、お前、まともにとりあったものだな……」


 セダイは呆れたように言った。だがザルツは何も問題は無い、と言う表情で応じる。


「まあ、いいことなのではないか。生きる気力が出てきたと言うことは。少し手合わせしただけだが、カーサは勘が良い。あれで体力も回復すれば、けっこういい女剣士になるかも知れぬ。それに多少でも自衛できるようになれば、俺の仕事も少しは楽になる」


「お前、本気で言っているのか」


「なんでだ、俺は間違っているか?」


 セダイは声を落として、極めて平静なザルツを見つめて怒鳴った。


「間違っているも何も、お前を殺したい人間に、剣を教えてどうするんだ……!」


 だが、ザルツは怒気を込めたセダイの声も一向に、どこ吹く風である。


「俺がそう簡単に殺されると思うか?」


「……そうは思わぬが! だが、だが……、俺はお前のその目が怖い……」


「俺の目が?」


「そうだ、自分を全く大事にしないというか、俺は何時死んでもかまわん、と言わんばかりのその目が」


 セダイは一気に言い放った。セダイにしては友への精一杯の忠告のつもりであった。だが、ザルツは動じること無くこう答えた。


「俺はそんなことを考えたことはない。杞憂だ、セダイ」


「……ならいい……だが、俺はお前が時々危なっかしくて、見ていられぬ時があるのだ」


 ……そしてセダイは、かっと目を見開き、付け加えた。


「俺は、お前を殺す為の毒を調合するのはごめんだからな」


 晩夏の夕方の風が、すうっ、とふたりの間を渡り、とある共通の記憶を過ぎらせた。

 

 だがそれも一瞬のことであった。ザルツは立ち上がると、黙ったまま、仕事の続きだとばかりに、カーサの寝室に入っていった。

 廊下に一人残されたセダイは大きく眼を見開いたまま、頭に浮かんだ忌避すべき記憶を振り払うように、小さく頭を振った。

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