第二章 護衛か監視か
第六話 奇妙な関係
カメルアの夏は過ごしやすいとは聞いていた。
湿度が低く、からりとした陽気は故郷のマグナラリレとはやはり異なる。オルグ殺害事件から三月ほど後、カーサは医療院から出、はじめてのカメルアでの夏を、王宮内に与えられた小さな館で迎えることになった。
何不自由ない暮らしではあった。高級なドレスに、気品のある調度品に囲まれた部屋。ただ、唯一、カーサに与えられなかったのは、行動の自由であった。館には王宮武官を辞してきたザルツが常に常駐し、カーサの生活の一部始終を見張っていた。
しかし、監視だけが、ザルツの仕事では無かった。
カーサの食事の毒味もザルツに任されたし、周辺の警備は怠らず、カーサの身に異変が無いか、館の内部と外部を見て回り、常に昼夜なく気を配り続ける。それは、まさに監視という名の護衛であった。
また、カーサは未だ、忌まわしい記憶による発作を起こすことも、たびたびあった。そういったときの応急処置もザルツの仕事だった。カーサが倒れたときは、セダイに教わったとおりに、暴れるカーサに鎮静剤をかがせ、眠らせると、寝台に運んで横たわらせた。そして医療院からセダイを呼び、診察を依頼する。そしてカーサが目覚めるまで、眠ること無く寝台の脇でカーサの容態を見守る。
だから、いつもカーサが発作から意識を取り戻したとき、まず目に入るのは、脇の椅子でじっと自分を見つめるザルツの険しい視線であった。そしてザルツは決まってこう言うのだ。
「気分はどうだ」
「……もう大丈夫よ」
……その日も目覚めたカーサはそう問いかけられ、短く呟く。そしてカーサの食事を取りに部屋を出て行くザルツの背中を見ては、なんとも言えない心情に陥る。
一度だけ、カーサが発作から意識を取り戻したとき、傍らの椅子でうたた寝をしているザルツが目に入ったことがある。その時、カーサは静かに起き上がると、ザルツがいつも脇に置いている短剣に手をかけ、それをそっと手にし鞘を抜くと、ザルツの胸に刃を突きつけ、そして目を瞑りながらザルツを刺そうとしたのだった。
だが、その瞬間、ザルツの目がかっと見開かれ、次の瞬間にはザルツに手を捻られていた。あっさりと短剣は床に転がり、カーサの足下にて、カターン、と音を立て跳ねた。そしてザルツは立ち上がり、カーサを見据えるとただ一言、こう口にした。
「俺は、そう簡単には、お前に殺されはせぬぞ」
そしてカーサの手を放すと、床の短剣を拾い上げ、何事も無かったように部屋の隅にある水差しからコップに水を注ぐと、カーサに手渡した。
そして、震える手でカーサがそれを飲み干すのを見届けると、それで良い、とばかりに無言で頷いたのだった。
「食事を持ってきた。ここに置いておくぞ」
……その声にカーサははっとした。
気が付けば、ザルツが豆のスープとパンを乗せた盆を手に戻ってきていた。
カーサは黙ってそれを受け取ると、スープを口に運んだ。スープは冷めている。それはいつものように、ザルツが毒味をしてから自分のもとに運んできたからだと、カーサは知っている。そして思うのだ。
……私は、この男を殺さねば自由にはなれないのだ。だが、いまのカーサにはザルツなしに生活し得ない。なんという矛盾の中で自分は生きているのだろうか、と。
そして、その日は、その胸の中の思いがぽろりとカーサの口からこぼれてしまった。
「私は生きているんじゃ無いわ、生かされているだけね」
ザルツは眉をしかめて、そんなカーサを見つめるのみだ。
それを見て、ふと、カーサはそんなザルツの身の上はどうなっているのだろうと考えた。思えば、ザルツは自分の身に関してはなにも話さない。カーサはスープを口に運ぶ手を止めて、ザルツに尋ねた。
「ザルツ、あなたに家族はいるの」
「俺は孤児だ。物心ついたときには王宮の慈悲院にいたからな、親の顔は知らぬ」
「……そう。それは悪いことを聞いたわね、すまなかったわ」
「事実を答えたまでだ、別に謝られることじゃない」
ザルツは無表情だ。カーサは少し意地の悪い気持ちになり、言った。
「だから、こんな酷いことができるの……? 帰る故郷がある人間でないから、私の気持ちがわからないの?」
ザルツは気を悪くした風はなかったが、しばらく黙ってから、こう呟いた。
「そうかもしれんが、俺だって人間だ。お前の気持ちの想像くらいはできているつもりだ」
「つもり?」
カーサは思わず、スープをひっくり返さんばかりに叫んだ。
「つもり、って、何よ……何にも分かっちゃいないわよ! 私には、家族も許嫁もいる! ……それなのに、こんな異国で……帰りたい! 帰りたい! 帰りたい! 生きていたくなんか無い、何で生きているのよ! 私は!」
「生きているからだろう。それ以上に意味などあるものか」
「……ザルツ、あなたは、愛を知らない人ね……! 人を愛したことがないの?!」
カーサは泣き叫んだ。ザルツは、ふたたび眉をしかめこそしたが、そんなカーサに動揺する様子も見せない。だがやがて、ぽつりと呟いた。
「……そのくらいはあるさ」
そのどこか全てを諦めたような口調に、カーサは思わず、頬にあふれる涙を拭う手を止めた。だが、カーサがなにか言う前に、ザルツが口を開いた。
「だが、それは俺の仕事には何の関係もない。……感情が戻ってきたことはいいことだ。また発作を起こす前にもう休め。俺は外を見回ってくる」
ザルツはそう言うと踵を返し部屋を出て行った。
その背中からは、ザルツの何の感情をも、その時のカーサには見出せなかった。
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