第五話 護衛の指名
調書を脇に抱えながら廊下を歩くザルツの顔は険しい。重苦しい空気が医療院に満ちている。後に続くセダイは、ややためらいがちに、親友に声をかけた。
「その……なんとかならぬのか、カーサを故郷に帰すわけにはいかぬのか。たしかに我々は人でなしだ、これでは」
「陛下のお達しだ。俺の一存でできることで無い」
人でなしと言うなら俺に言え。ザルツの口ぶりはそうとでも言いたげに、苦々しい。
「それはそうだが、陛下は何をお考えなのか」
「わからぬ。だがな、セダイ、気をつけろよ。いいか、カーサを絶対に生かしておくのだ。……言っていることはわかるな? お前の首にも関わることだ」
「……わかるつもりだ。自害させぬよう、よく見張れということだろう」
ザルツは大きく頷くと、やや声を落としつつ、セダイに向き合った。
「そのとおり。物わかりのいい友人を持つ俺は幸せ者だ。恐らく殿下の支持者もカーサを狙ってくる。それは俺の方でなんとかするが、自殺されては意味が無い。いずれにしろ彼女には護衛が要る。それは陛下に進言しておく」
「護衛で無く、監視人だろう」
セダイは皮肉めいた口調で応じた。
「どちらでも呼び方は良い、双方だ。とにかく……」
そのザルツの語尾を消すように、カーサの病室の方向から慌てた様子の看護員の声が響き渡った。
「セダイ医官! 大変です、カーサが首を吊ろうと企てました! 直ぐ気づいたので未遂ですが……!」
……慌てて病室に駆け戻るセダイを見ながら、ザルツは大きく嘆息すると、自分の仕事の続きに取りかかるべく、早足で王宮へ通じる回廊を歩いて行った。
「今日は死にたがりの姫は元気かい?」
……それからしばらく、医療院の看護員の勤務交代の挨拶はそれが定番の言葉となった。
「よくないね。昨日は舌をかみ切ろうとしたし、今日は薬草室から毒草を持ち出そうとして間一髪のところを取り押さえたよ」
「そうか、今日はご機嫌麗しいとよいが。俺らの首にもかかわるとセダイ医官にも脅されているところだからな」
「ひぇっ、首を吊られて首を切られる、なんざ、洒落にもならん。今日も厳重体制で行くこととするか」
……そんな問答が書かれたセダイからの報告書を読み、ザルツは頭を抱えていた。
カーサの護衛、いや、監視人の配置をいち早く求める進言は、毎日のように国王や宰相に申し送っている。ザルツは自らの、口やかましさに嫌気がさすほどだ。だが、肝心の人選に行き詰まり、事は遅々として進まない。
ザルツは眉をしかめること数分、席を立った。今日こそは、と自ら直々に陛下に伝えに行くことにしよう。そう決心してのことである。
国王サレス二世は、専用の庭園にて愛玩用の小鳥に餌をやっているところであった。ピピピ、という小鳥のさえずりをかき消すか如く、無粋に姿を現わしたザルツを一瞥すると、餌をやる手を止めずに甲高い声でこう言った。
「例の娘の、護衛の件か」
「はっ……恐れ多くも、このままでは……」
頭を垂れたまま語を継ごうとしたザルツの言を遮ってサレス二世は、次に思いもかけないことを言い放った。
「お前がすればいいでないか」
「はっ……?!」
「お前以上に事情が分かっている者もおらぬ。故に、お前以上の適任者はいない、と言っているのだ。おかしいか? それにお前は剣の腕も立つ。護衛としては申し分ない……また、監視人としてもお前なら十分だ」
「陛下……」
サレス二世はそこで言葉を切ると、事の成り行きに唖然とするザルツの顔を、ぎょろりと丸い濁った目でのぞき込み、言葉を続ける。
「お前なら、たとえあの娘が逃げ出そうとも、即座に難なく、斬捨てるだろうよ。余はそれをよく知っている……そうではないか? ザルツよ」
チチチ、と小鳥が軽やかにサレス二世の周りを飛び回っている。
しばしの沈黙の後、ザルツは王の視線から目を背けるように下を向くと、一礼し告げた。
「畏まりました……拝命致します」
サレス二世は小鳥を指にとまらせ、満足気に頷いた。
「今日から俺が護衛に付く、近日中にお前もこの病室から、王宮の一室に移る」
カーサは病室の寝台の上でザルツの報告を聞いた。カーサは無表情にそれを聞いていたが、ザルツの複雑な表情から、それが意味するものを察知し、呟いた。
「護衛……つまりは私の監視ということね」
「そうなるな。だが、忘れるな。お前は、お前が殺した殿下の残党から、狙われる身でもあるんだ。だから、その辺のことも理解してくれるとありがたい」
だが、カーサは素っ気なく呟いた。
「殺されるならそれでいいわ……それの方がどんなに楽か」
「そうは俺がさせぬ。護衛に付く以上、俺はお前のことを全力で護る」
ザルツはきっぱりと自分の任務を口にした。ただ、次にこう付け加えることも忘れなかった。
「……だが、お前が逃げ出すこと、または死ぬことを選ぶなら、同じく力の限り、それを阻止するのも俺の仕事だ。もし、それを望むなら、俺を殺してから往け」
ザルツは、我ながら自分の言葉は矛盾している、と思いつつ、そう冷徹に言い放った。カーサはベッドに起き上がり、ぎゅっとシーツを握りしめて、視線を手元に落としている。
……やがてカーサはザルツの目をまっすぐに見据えて、言った。その瞳には、いままで失せていた激情の炎が、再び、にじんでいる。
「分かったわ。私は自由になるために、必ずあなたを殺してみせるわ」
「……よかろう。やれるものなら、俺を殺すがよい」
ふたりの間をなんとも形容しがたい沈黙が支配する。
……カーサとザルツの奇妙な関係が、この瞬間から始まった。
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