第四話 殺すために生かせよと
「ああああーっ! 放して! 放して!」
病室の壁にカーサの叫び声が木霊する。医療院の床という床に、壁という壁に、その悲鳴がぶつかり跳ね返る。看護員たちが廊下を走り、病室に駆け込む。それでもなおもカーサの悲鳴は途切れないのだ。
「嫌、嫌……! あーっ…」
看護員たちが数人がかりで暴れるカーサを押さえ込むと、鎮静剤を染みこませた布で鼻と口を覆う。途端にカーサの意識は途切れ、また再び医療院に静寂が戻る。病室でその様子を腕を組み見ていたザルツは、眉をひくつかせながら、医官室に戻ると、薬草を調合していたセダイにやや乱暴に声をかけた。
「始終こんな具合なのか?」
「見ての通りだ。意識が戻って1週間……定期的に幻覚を見ては暴れ、鎮静剤を嗅がせてまた眠らせて、の繰り返し、だ。だが、食事は摂れるようになってきた。体力が戻れば、幻覚も消えるだろう。そうすれば望みはある」
ザルツは椅子に座り込むと、また腕を組み直しセダイに問うた。
「だといいが。だが事情聴取にはどのくらいかかる」
「ひと月は待ってくれ。記憶が蘇るからな。下手をすると元の木阿弥になりかねん」
「それはよろしくないな、セダイ大先生よ、なんとかしてもらえぬか」
「茶化すな。俺だって必死に手は探っている」
……ひと月の刻が経った。
季節は初夏を迎えんばかりの気候である。
カーサの容態は落ち着きをみせてきた。幻覚で暴れることも、ほぼ無くなった。ただ、意識を回復しつつも彼女は始終ぼんやりとしていて、無表情であった。だが、自分自身の現状はよく分かっている、というセダイの見立てにより、主治医であるセダイも同席することで、ザルツによる「オルグ殿下殺害事件」の事情聴取が行われることとなった。
ザルツによる聴取は病室で行われた。オルグを殺したいきさつは調べるまでも無かったから、調書はセダイの配慮もあり、簡単な問答によって作成されるにとどまった。だが、セダイが滞りのない聴取の進行に、ほっ、としたのもつかの間、問題はその後のカーサの処遇についての問答であったのだ。
……カーサは不思議だった。
自分がオルグを殺害したことは確かだ。そのことは素直に口にした。だが、妙なのは、自分がオルグを殺した罪、及び刑罰について、ザルツがすぐ口にしないことだった。
なにしろ、自分は、一国の王国の後継者を殺したのだ。死罪は覚悟していた。当然、そう言われるだろうとその日もその場に臨んだのであった。だから、あの、オルグの首に縄をかけたときのような、強烈な感情は彼女の胸には湧かず、淡々とカーサはその時を待った。
だから、ザルツがこう切り出したとき、カーサは何を言われてるのかが全く理解できなかったのだ。
「……実はだな、カーサ。お前のしたことは、我が国にとって正しかったのだ」
「……どういう意味ですか……? 私がオルグを殺した事が、正しかったとは……、いったい?」
「殿下は叛逆者だったのだ。用意周到に、軍部の腹心と共に、陛下の殺害及び、王位の簒奪を狙っていた。そして、その計画を実行しようとしていたのが、あの朝、つまり、お前が殿下を殺した日だ。おかげで王位簒奪及び、陛下の殺害は未遂で事が済んだ。このことはお前が殿下を殺害した直後に発覚し、協力者は次々に逮捕された。陛下はそれをことのほかお喜びになり、お前の行為に感謝している。だから、殿下を殺害したことによりお前を罪に問うことは無いと、国王陛下はお考えだ」
あまりのことの成り行きにカーサは唖然とした。だが、ザルツの次の一言でカーサは死罪を宣告される以上のどん底に突き落とされることになる。
「だが……このことは国家機密だ。今のところ殿下は病死されたことになっているが、事実が公になれば、殿下の賛同者が決起して、国家の基幹をゆるがす事態にもなりかねん。我が国も、周辺国から見られているほど、盤石ではないのでな。だから、カーサ・スリズ、このことを知っているお前を生きてこの国から出すわけにはいかないのだ。お前は死ぬまでこの国で監視付で生きてもらう」
カーサの両手が震えた。
「そんな……生きてはいい、だが帰国もできないって、許嫁のもとにも親元にも帰れないって……。そんな。だったら……」
その瞬間、カーサの心に感情が蘇った。それも、激しい怒りと哀しみが。涙が頬を伝う。そして激情が爆ぜた。
「だったら! 私はなんの為に生きれば良いのです?! 死ぬまで、この見知らぬ国で、ひとりで生きよと?! ……だったら殺して! 殺してよ!」
しかし、ザルツはそのカーサの反応を見透かしていたかのように、即答した。
「それはできぬ」
「どうして!」
「我が国の法律では、罪なき者を殺すことは許されぬ。法を覆される権限があるのは国王陛下のみである。そして陛下は、お前を殺すなとの仰せだ」
「……そんな……残酷すぎるわ! 人でなし!」
泣き叫ぶカーサをあとにザルツとセダイは病室を退出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます