第一章 ことの発端
第一話 医療院にて
「……それで、あのカーサとかいう娘はまだ目を覚まさぬのか」
王宮の医療院の窓からはやわらかな春の日差しが差し込んでいる。
庭園の新緑が陽の光にやわらかく反射し、ザルツは目を細めた。
「いや、意識を取り戻してはいるんだ。ただ、目が覚めても、直近の一夜の記憶が蘇ってしまうらしい。その末に、昏倒してまた気を失ってしまうのだ。それをもう何回も繰り返している」
宮廷医官であるセダイが、どうしたものかと頭を振りながらと答える。そして眉をひそめてこう付け加えた。
「オルグ様によっぽど酷い仕打ちを受けたのであろう。……まぁ、今に始まったことではないのだがな。これまでも後宮から運ばれてきた寵姫が何人も、ここで息絶えていくのを俺は見てきたからな」
「……困ったものだ。といっても、そのオルグ様も今は亡くなられたわけだが。報いをお受けになったというべきか」
ザルツもため息交じりに医療院の天井を仰ぎつつ呟いた。しかし、すぐに視線をセダイの顔に戻すと、武官らしい厳しい顔つきで言葉を継いだ。
「だが、カーサとやらを死なせてはならん。オルグ様が、叛逆をあの朝企てていたとしても、無罪放免というわけにはもちろんいかぬし、陛下のご意向もある。そして俺には、宮廷武官として事情聴取の義務がある」
「分かっているよ、ザルツ。お前がその念を押しに、ここを訪れたのも。だがな、少し待ってくれ。カーサの容態はお前が思っている以上に良くないんだ。意識が戻ったとしても、取り調べに耐えうる精神状態にいつ戻るかも分からぬ。いや、戻らぬこともあると考えておいたほうが良い」
セダイは手にした医学書の埃を払いながら、厳しい面持ちでザルツに告げた。
「ふむ……廃人になる可能性もあるわけということか。だがそれでは、国としても、また、俺の立場も立たぬのだ……なんとか力を尽くしてくれ」
セダイは、そうはいわれてもな、と言いたいところを医官の誇りで押しとどめ、嘆息混じりに頷く。
「ああ、だが、あとは神の思し召し次第だ。せいぜい祈ることにするか。お前もそうしてくれ。……容態に変化があったらすぐに知らせるよ」
ザルツは頼んだぞ、とばかりに、セダイの肩を叩くと薬草の匂いに満ちた医療院を後にした。
黙ってセダイはその後ろ姿を見送ると、再び医学書の埃をぽんぽんと払い、そしてひとり呟いた。
「……しかし、あの娘も哀れなことだ……。廃人になるのを免れても、故郷には戻れまい。生きるのと死ぬの、どっちが幸せなのか」
……俺には分からぬな。
セダイはその医官らしからぬ心持ちをやり過ごすべく、テーブルに置いた器から茶を一口すする。が、すっかり冷めた茶は苦みが際立ち、セダイは思わずむせかえった。
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