4 暗殺者という仕事

 寝落ちしてしまう前に、幽矢弥は弁当の包装を始めた。ナオのお見送りをするまでは寝れない。ナオが小学校に上がってから、怠ることなく玄関で見送っている。「もし暗殺者なんてやっていなければ」と考えることもあるが、「呪い」を持っている以上、まともな生活が送れるわけもない。だからせめて、かつて幽矢弥の母親が幼い彼にしてくれていたように、ナオを見送るのだと幽矢弥は決めていた。母親は結構な頻度で見送りをしていなかったが、それはそれである。

 予定の時刻になった。テレビの左上もその上に掛かるアナログ時計もそう告げている。学校既定のランドセルに弁当を詰め肩から水筒をぶら下げたナオが、玄関に立った。買い換えたばかりの新しい運動靴を履いて、小さな手がドアノブに手を掛ける。

 「晩御飯何がいい?」と幽矢弥が聞いた。

 「なんでもいい。」とナオが返す。

 「じゃあ弁当の余りのから揚げね。」

 「うん。いってきます。」

 「行ってらっしゃい。」

 これでようやく休憩できる。ディリゼンツァとの集会の時刻にはまだ余裕があるので、ひと眠りするために毛布を取り出した。適当に引っ張り出したため、ナオの毛布を手にしてしまったが、まあこの季節なら少しくらい身体が出ていても風邪はひかないだろう。

 テレビはつけっぱなしでいい。携帯のアラームもセットし直した。暗殺業だけなら長い間身を置いているので慣れているが、そこに家事育児が加わると、途端に疲労が蓄積される。幸いなのはナオが大人しくて手がかからない子供であることだが、それはそれで幽矢弥の不安の種だった。

 アイマスクをして目を瞑る。十分もしない内に、浅い眠りに落ちていく。

 そこには見知った顔があった。横たわってか細い息を吐き続けるその顔は、ナオにそっくりだった。横たわる身体は汚れておらず、ただ首に横一文字の刀傷が刻まれている。よく見ると、顔は涙を流していた。そして小さな、けれどもよく聞こえる声で幽矢弥の名前を呼び続ける。幽矢弥は着けている防弾マスクを外した。その過程で、一瞬視界が塞がれる。再び視界が開けた時、幽矢弥の目の前に倒れていたのはナオだった。さっきまでそこにあったものと同じように、首に刀傷があるが、ナオは息をしていなかった。

 そこで幽矢弥の目が覚めた。鼓動がリビングに響きわたるほどに鳴き、鼻でする息は荒い。テレビを確認すると、十一時ごろに放送されるワイドショーが始まっていた。携帯を見ると、デジタル時計が11:02を示している。

 (夢か……。)

 幽矢弥は目を擦った。擦った手から、霊気が漏れ出していたことはそこで知った。無意識のうちに能力を発動していたようだ。霊気を収め、顔を洗いに洗面台へと向かった。集会までには時間があるが、幽矢弥はじっとしていられるほど落ち着いていなかった。

 ディリゼンツァに指定された場所は、都市にある小さなカフェだった。あの街の中では随分辺鄙な場所に建っているカフェだが、ガットパルドファミリーの息がかかっている……というよりも直営している所なので、裏社会の政治からしたら重要な施設である。もちろん表向きはこじんまりとしたカフェなので、一般人の常連もいる。どうやら通の者からするとここのコーヒーは美味いらしく、一度だけ専門雑誌に載ったこともあるそうだ。現在の幽矢弥のような人間にとって、時間を潰すのにはもってこいの場所だろう。

 電車に揺られ、目的地周辺の駅に着いた。それはつまりこの都市の中心であり、最も栄えている地域である。そこから歩いて十数分の所に、そのカフェはある。少し暗く狭い路地を進むと、目立たない看板が見えてくる。「隠れ家的」という表現が正しいのだろう。真鍮の洒落たドアノブを押すと、カランと軽いベルが鳴った。店内は無音で、客は誰もいない。マスターはサイフォンの前で文庫本を読んでいた。

 「親父さん。」

 幽矢弥が声を掛けた。

 「ぁあん? 今日は貸し切りだよ。」

 間の抜けた老人の軽い声が飛んでくる。

 「猫又です。」

 「おん? ……ああはいはい、そういやそうだったね。そこ座ってて。」

 「どうも。」

 マスターに指し示された奥の席に着くと、少し腰の曲がったマスターがお冷をお盆に乗せて持ってきた。

 「ずいぶん早くにくるじゃぁないか。コーヒー一杯はサービスするよ。」

 「ありがとうございます。」

 「代理もそろそろ来るって言っとるから、待っとりなさい。」

 そう言ってマスターはカウンターに戻っていくと、次第にぷくぷく湯の沸く音が聞こえてきた。およそ同時にカウンターから、マスターではない別の男が幽矢弥に向かって歩いてきた。スキンヘッドで大柄で、良く焼けた肌にサングラスが悪い似合い方をしている。男は幽矢弥の前に腰を下ろすと、口を開いた。

 「もう一人お呼びしているので、少々お待ちください。」

 ディリゼンツァとの通話中、電話の向こうから聞こえてきた野太い声だ。その時ゼフと呼ばれていたこの男と幽矢弥は、すでに面識があった。

 「もう一人?」

 「ええ、幽矢弥様もよくご存じのお方です。」

 この会話から三十分後に、ようやっと待ち人がやってきた。

 それまで二人は世間話をしていたが、幽矢弥がゼフ(改めコードネーム・ゼファー)と初めて会話を交わした時、この見た目で料理が趣味だとは思いもしなかっただろう。幽矢弥とディリゼンツァとの関係の長さは必然的にゼファーとの関係の長さなのだが、現在幽矢弥にとって、ゼファーは料理の先生である。どことなく有名な漫画の登場人物が思い浮かぶが、うん、気のせいであろう。

 ともかく待ち人はやってきた。別に約束に遅れてきたわけではないのだが、幽矢弥はなんとなく待たされた気になった。

 「あれ、私遅刻した?」

 「いえ、枝留紗えるさ様。時間通りで御座います。」

 「なんだ、お前か。」

  霧常きりつね・Edwards・枝留紗。彼女もまた暗殺者であり、「呪い持ち」である。幽矢弥とは若いころからの付き合いであり、幽矢弥がディリゼンツァに彼女を紹介したこともある。

 「そこで、ディリゼンツァ様からお二人に一時的なファミリー所属契約を交わしたいと、申しておりましたので、お二人には集まっていただきました。」

 「所属契約?」

 「はい。その理由を私が代わりに説明させていただきます。」

 そう言うとゼファーは、一枚の写真を二人に差し出した。

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