第441話 漂流の終着地

圧倒的な≪神力しんりき≫で、分散しているダグクマロの≪神力≫を擦りつぶしつつ、亡者たちの思念を蹴散らす。


心に作用するあの≪御業みわざ≫が効果的ではなくなった今、この形態をとっていることで不利になるのはダグクマロだ。


そのことをダグクマロも分かっているようで、死者の海の態様に変化があった。


分散させていた≪神力≫を結集させ始めたのだ。

おそらく集めた≪神力≫で、本体たる≪神核しんかく≫を守る気なのだろう。


だが、そうした変化を見逃す今のクロードではなかった。


心が異様なほど落ち着き、波立つことが無い。

冷静に状況を把握できている。


「居場所がはっきりとわかってしまうぞ、ダグクマロ」


クロードは微細な≪神力≫の集まるところを見定め、その場所に向かって猛進すると当初の人型になりつつあるダグクマロを取り囲み、その全身を絡めとった。


『ぐっ、離せ』


さらにクロードは、もがくダグクマロの身動きを封じ、さらに集まってこようとしている≪神力≫が合流できぬように遮断した。

巨大な≪神力≫で、完全に包囲し、≪神核≫も半ば露わな状態のダグクマロをその内部空間に閉じ込めた。


『愚弄する気か。なぜ、一思いに≪神核≫を砕かない。勝負は決したはずだ』


「≪神核≫は砕かせてもらうが、その前に聞きたいことがある。亡者たちの念体にまとわりつくようにして存在していた、あの黒いもやのようなものは何だ。お前のあの≪御業≫はただ心を責め病ませるだけのものではないだろう」


『……そんなことか。あれが何であるかは≪死生しせい≫を司る私にもわからない。ただ、幾億年経とうとも消えることのない、すべての存在が死の後も遺すものだということはわかっている。すべての魂魄は、陰と陽で構成されているが、肉体が消滅し死を迎えると、陽は何処かに解き放たれ、陰のみが残る。その陰もやがては消えてしまうが、その残渣なのであろうか、強い負の感情に呼応して、寄り集まって来る。善を悪に変え、光を闇に変えようと働きかけてくるのだ。創造の力たる≪神力≫さえ、破滅をもたらす別の性質の力に反転させるこの謎の物質を、私は≪呪念≫と呼んでいるが、先ほどの≪御業≫はこれを応用したものだ。お前の心を絶望の淵に沈め、あのガイア神のように破滅へと向かわせる腹積もりであったのだが、あてが外れた。お前の本来の心は、すでに半ば死んでいたのだからな』


「どういうことだ?」


『ディフォン、本質的な意味で、生きるとは何だ? 死ぬこととは何を指す?』


「禅問答でも始めるつもりか? わかりやすく、話せ」


『よいか、人も動物も、神でさえも、この世に存在するものはいずれ死ぬ。消えて無くなるのだ。人の場合は、肉体が失われると最初の死が訪れる。だが、この段階ではまだ本当の死とは呼べない。魂魄が生きているからだ。この魂魄を生かすのは、故人を思う人の気持ち。肉体を失っても自分を憶えている人間がいる限り、魂魄は完全には死なない。これは神も同様だ。死ぬこととは忘れられること。ディフォン、お前の場合はまことに厄介であったのだが、お前の根幹を形成したであろう時期の思い出が一切なかった。そして、お前を取り巻く周囲の人間の記憶からもお前に関する記憶は消されていた。これはガイア神がお前がいなくなったことで、自らの≪世界≫に問題が起きぬよう、些細な芽も摘み取ろうとしてやったことであったのだろうが、それが≪御業≫の、≪死望選礼しぼうせんれい≫の本来の効果を失わせてしまった。お前のもとに向かわせた亡者は所詮、私の想像と第八天に残った≪呪念≫から創った紛い物。お前の心に届かぬばかりか、逆にその心に耐性とある種の悟りをもたらす結果になってしまったようだ。今のお前の心には淀みも乱れも感じない。生まれながらの、我ら神以上にな』


「そうか、第八天で殺された俺の家族も、俺のことはもう覚えていなかったのだな」


『そうだ。お前の心は空虚そのもの、半ば死者のようだった。自分がいかに生まれ、育ち、何を愛し、何を憎んだのか。その全てを失い、その空虚を埋めるために、ルオ・ノタルで得た全てに異常に執着した。まるで死を必死に拒絶するかのごとくに……』


これから消滅されようとしているにもかかわらず、不思議とダグクマロの顔は静かで穏やかだった。


『私はお前という存在を見誤っていたのだ。お前は半ば死にながら、生きようとしていた。その前例のない異様な振る舞いを、未知であるがゆえに恐れ、排除すべきと考えた。だが、今にして思えばこれは必然であったのかもしれぬ。数多の神々の思惑を超え、人にすぎぬお前がこうしてまだ存在しているのは、おそらく我らを超越した存在の思し召しに相違ないのだろうからな。我らが崇める≪唯一無二の主≫あるいは別の……』


「それについては俺も異論はない。ルオ・ノタルに訪れてからの俺は、……いやそのずっと前からかもしれないが、様々な者たちの思惑に流され、漂流を続ける船の様なものだった。その中で出会った様々な人々の助けによって、なんとかこの場にたどり着いたが、それは俺一人の力によるものではない気がする。全てが干渉し合い、事態が混迷を極める中、この状況に導こうとする何者かの存在を俺も感じる。ダグクマロ、≪唯一無二の主≫とは何者だ。お前が知っていることだけでいい。教えてくれ」


『≪唯一無二の主≫について、お前に語れることなど何もない。それにもはやその必要もあるまい。さあ、この私に止めをさし、自らしゅに会って確かめるがいい。そこがお前の漂流の終着地だ。主は第十一天と我らが呼んだその場所におられる。ディフォンよ、私は、今ようやく悟ったよ。これは、我が主が織りなした黄金律だ。私はここでお前に取り込まれるためだけに、この六百億年以上という時を長らえ、そして今役目を終えるのだと』


ダグクマロは覚悟を決めたのか、瞼を閉じ、全身の力を抜いた。


≪神核≫の防御の要である殻壁を自ら消し去り、露わにしたのだった。


運命にすべてを委ね切った迷いのないそんな表情だった。



クロードは、何も言葉を発することなく、ダグクマロの≪神核≫を握りつぶした。


ただ、心の中にある虚しさと哀愁を噛み締めながら。

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