第437話 死生のダグクマロ

『……それの何が悪い。道を踏み外しただと? 道とは何だ。≪唯一無二のしゅ≫の意に叛き、使命を放棄したラムゼストを処分したこの私が悪だとでも? 奴は正気を失っていた。私が奴を始末していなければ、どうなっていたか。私が、私だけがこの≪大神界≫の救い主であり、守護者であったのだ!』


先ほどもそうであったが、このダグクマロという神の心の内には触れてはならない傷のようなものがあるようだった。

そして、その傷には≪真理≫のラムゼストという神が関わっているらしいことはこれまでの会話で容易に推察することができた。


ラムゼストに対する異常な執着が会話の様々な部分に感じられるからだ。


ダグクマロの姿が美しい人型のそれから、巨大でおぞましい異形へと変貌し始めた。


膨張し、巨大化したダグクマロの肉体の各所から腐り爛れた無数の亡者の様なものが生えてきて、全身を埋め尽くした。


よく見ると人だけではない。

ありとあらゆる生物。

ルオ・ノタルでも見かける動植物から、クロードが知らない未知の種の死骸の様なものまで含まれていた。


だが縮尺がどこかおかしい。

人は大きく、それ以外の生物は小さく見える。


あの亡者たちは物質や魂魄そのものではなく、あくまでも思念あるいはその心象に過ぎないようだった。

肉体を失い、漂い彷徨う者の無念さ、未練、後悔。

そういった負の側面を持つ何かを≪御業みわざ≫によって顕現けんげんさせているように、クロードには見えたのだった。



『もはや後戻りはできぬ。この≪大神界≫を死で埋め尽くし、しかる後にあらたな生の世界を構築し直そう。神はもはや我一人でいい。我以外の神などいらぬ混沌と迷いを生み出すだけだ。貴様も、そこの見知らぬ神どもも、我が理想郷に居場所は無い。死に飲み込まれ、消え去るがいい』


ダグクマロの小惑星ほどにもなった全身の表面にはそれらの不気味な者たちの蠢く姿が確認でき、その周辺を黒いもやのようなものが漂っていた。


「距離を取るぞ」


クロードの掛け声にオルタたちも素直に従い、ルオ・ノタルのある方向へ、一光年ほどの距離を後退した。



クロードにはそのもやのようなものに心当たりがあった。


自分がルオ・ノタルの世界に転移させられた時に肉体にまとわりついてきたあの昏い呪詛じゅそのような何かに酷似していたのだ。


ガイア神の≪神力≫を反転させたのも恐らく同様のものだったかもしれない。


『虚無を漂う無数の死せる神どもの慙愧ざんきたる思念よ。我がもとに集え。数多の死を纏い、終世のとばりと化せ』



ダグクマロの膨張が止まらない。

もはや比較するものも思い付かないほどの大きさになっており、ここからも視認できるほど迫ってきていた。

亡者たちの蠢く長大な塊に、無念に満ちた表情の様々な姿形の死せる神々の心象が張り付いて、より一層怖ろしく、目を背けたくなるような醜悪さになっていた。


そして、さらにくわしく観察してみると目に見える姿が巨大化してはいるものの、≪神力≫自体が増大しているわけではないことが分かった。

ダグクマロ本体の≪神力≫はもはや自分の十分の一ほどしかないし、奴に引き寄せられその一部と化している神々のようなものからも≪神力≫は感じなかった。



あの口ぶりからその≪神力≫差を覆す≪御業みわざ≫である可能性は排除できない。


ただの悪あがきであればいいが、この局面に来て判断を違えることは絶対に許されないし、今持てる全てを持って、確実に奴を止めなくてはならない。


自分の後方には、それほど遠くない場所にルオ・ノタルの世界がある。


自分にとって何にも代えがたい全てがそこにあるのだ。



「オルタ、ヴェーレス! お前たちは退け。退いて、エナ・キドゥと共にルオ・ノタルを守ってくれ」


『父上はどうされるのです?』


「俺はここに残り、あいつを何とかする」


『しかし、それなら我らが力を合わせた方が!』


『お父様、あの異様な態様は、あの神の≪御業≫なのでしょうが、何か嫌な予感がいたします。我らもお連れください』


オルタは、その双頭を大きく振り、吠えた。

ヴェーレスも同様の考えのようで、オルタと共にクロードの前に立ちふさがった。


「頼む。俺を困らせないでくれ。お前たちがここにいては俺は全力を振るえない。俺が得た膨大な≪神力≫はもはや俺自身の想像を超えている。万が一制御できなかった場合に、お前たちを巻き込んでしまう恐れがあるんだ。ヴェーレス、聡いお前ならわかってくれるだろう。オルタを連れ、ルオ・ノタルを守ってくれ。母さんを、そしてルオ・ノタルに暮らすみんなを守ってやってくれ」


双子たちの気持ちはこれまでの人生で味わったことが無いほど、嬉しいものだったが、これが偽らざるクロードの本音と願いであった。


しかし、この言葉に対する双子たちの応えは無かった。


双子たちは自らへの無力感に打ちひしがれてしまったようで、その場で項垂れてしまっている。


「すまない」


クロードは立ち尽くし、沈黙してしまった双子をそのままにダグクマロが生み出した亡者の海へとひとり、向かって行った。


そして、その背で双子たちに向かって詫びた。



困難に直面した時、俺はいつも一人になることを選んでしまう。



これは生まれた時からこの世界に来るまでの記憶を失ったことにも起因しているかもしれないが、俺は自分に関わる人間を失うことに対してとても臆病だ。


言葉が足りず、お前たちを足手まといだと拒絶したように思ったかもしれない。

だがそれは違うということを、どうかわかってほしい。


お前たちが傍にいてくれたならどれだけ心強いことかと俺は心底思っている。

だが、その一方で、万が一にも俺はお前たちを失いたくないのだ。


なぜなら、俺が全てを賭けて守りたいものの中にお前たちも入っているのだから。



本当はそう言ってやりたかったが、今はもう語り合っている時間がない。



膨張し続ける亡者たちの想像を絶する波濤はとうがもう目の前まで迫ってきた。

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