第393話 シルヴィアの顔

そこは奇妙な場所だった。


ナヴァルバ山麓の修練場にほど近い、ルルバ大沼のほとり。


ねじくれ立った木々に囲まれ、薄暗く、どこか変わった匂いのする空気が周囲に満ちており、常人からすれば好んで近寄りたい場所ではなさそうだ。


ルルバ大沼の水面は様々な種類の水草によって占められており、その水は透明度が低く、濁って見えた。


決してロマンチックな景色ではないその場所を、クロードはシルヴィアと二人で散策していた。


「クロード様、どうですか? とてもいい場所でしょう。空気中を漂う魔力素が濃く、修行にはうってつけの場所なんですよ」


シルヴィアは最近あまり見せなかった溌剌はつらつとした表情ではしゃいで見せる。


「あまり、水辺に近づくと危ないよ」


「大丈夫ですよ。この辺りは幼少期から慣れ親しんだ地。目をつぶっていても歩けます。ほら、こんな感じに……」


眼を閉じ、歩いて見せようとするシルヴィアに慌てて駆け寄り、肩を抱く。


「クロード様、何かおっしゃりたいことがあるのでは?」


クロードの胸に抱きつき、シルヴィアが尋ねてきた。


そう、クロードにはどうしても二人だけで話し合いたいことがあった。

そのためにどこか行きたい場所はあるかと尋ねたのであるが、それがこの場所、おどろおどろしいルルバ大沼だったのだ。


本当はどこかもっとムードの良い見晴らしのいい場所で語り合いたかったのであるが、本当にうまくいかない。


クロードはシルヴィアをその胸に抱きしめたまま、最近持ち上がり続けている自身の様々な縁談とそれにまつわる近況を説明した。


「それは、喜ばしいことではありませんか。王家を成し、周辺国と良い関係を結ぶ。世は安定し、民は喜びに満ち溢れるでしょう。平和な世の訪れ、それこそが私たち白魔道教団の目指すところ。クロード様を≪救済者≫と定め、お仕えしてきたかいがあったというものです」


「シルヴィアはそれでいいのか? 俺が、その……、他の女性とそういうことになっても何も思わないのか?」


「私は構いませんよ。もともと魔道の道に入り、俗世との交わりをったつもりでありました。それが思いがけずクロード様と出会い、あのどこか生きながら眠っているような都、ルータンポワランで夢現のような一夜を過ごすことになり、女である自分を思い出しました。おおよそ望むべくも無かったごく普通の女性としての幸せをクロード様に与えていただけでも私には法外のことであったのです」


「俺は、嫌だ。俺はシルヴィアが傍にいてくれればそれでいい」


シルヴィアの背を強く抱きしめた。


「クロード様は、国王です。お立場を考えてください」


「なら、国王をやめる。シルヴィアを最愛の人として皆に紹介できないような立場なら、俺はそれを放棄する。シルヴィア、頼むから王妃として俺を支えてほしい。前から話していた通り、もう少し軌道になったら自ら王位を退くつもりだ。そうしたら、二人で世界を見て歩くんだ。それまでのほんの短い期間だけでいい。俺のわがままを聞いてほしい。シルヴィア以外の誰かでは駄目なんだ。俺は君が良い」


「困らせないでください。人には皆、為すべき宿命さだめがあります。それを途中で投げ出すなど、冗談でも口にしてはなりません。クロード様はこの世界に必要なお方。私のことよりもこの世界全体のことを考えていただきたいのです」


「シルヴィア、俺は君が思っているよりずっと弱い人間なんだ。人並みに悩むし、選択を間違うことだってある。その俺を最も近い場所で支えてくれないか? 俺が世界をより良い方向に導くために力を貸してほしい。君は、人にはそれぞれ為すべき定めがあるという。俺と共に歩むことが、君の宿命であったとは考えられないか? どうか、頼む。俺と正式に結婚してほしい。愛してるんだ」


言ってしまった後で、顔が紅潮していくのを感じた。

思ったまま全てを打ち明けたのだが、途中で何を言ってるのかわからなくなってしまった。


恥ずかしさで、腕の中のシルヴィアの顔を直視することができなかった。


シルヴィアは何も言わず、ただ優しく抱きしめ返してくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る