第390話 新教皇の提案

神聖ロサリア教国の新教皇マルティヌスは、かつてイシュリーン城において虜囚となっていた頃の様子とはまるで違っていた。


最後に見た時は、幾分すっきりとしたものの、まだ肥満体であったのが中肉中背の健康そうな体型に変わっていた。


マルティヌスはその身分を隠し、供の者と共に変装して、この首都アステリアを訪れたらしい。


神聖ロサリア教国はその領土を二分し、今なお内乱の真っただ中であるので儀礼ばった仰々しい訪問ではその身が危うかったようだ。


神聖ロサリア教国においては、教皇は国王を上回る権威をかつては持っており、教皇変死後の醜聞とそれによる混乱を経ても、国内ではまだかなりの有力者である。


敵対しているフンクール王国に身を寄せた旧貴族領主の所領が南部に集中しているとはいえ、最近は北部も切り崩しが進んでおり、安全な旅ができる状況にはなかった。


その危険を冒してまで、自ら使者として立ったのは彼なりの理由があったようだ。


「クロード王陛下、大変お久しゅうございます。数年前は、このイシュリーン城にて大変お世話になり、賓客としての扱いを受けていたとまずは御礼申し上げます」


マルティヌスは、短く刈り込まれた頭部を下げ、玉座のクロードの前に跪いた。


その姿を見た後ろに控える付き人が何か言おうとしたが、マルティヌスは「良いのだ」と逆にたしなめた。


大使との謁見の形式をこのように定めたのは傍らに控える宰相のエーレンフリートだが、話す相手の一段高くから見下ろすこの光景はどうにも居心地が悪い。


「マルティヌス教皇、あなたがそのようにされては、供の者たちの前で体面が保てなくなるでしょう。顔を挙げてください」


「いえ、クロード王陛下。そのような気遣いは不要です。もはや教皇庁の権威は失墜し、教皇と言えどもかつてほどの崇拝は集めていないのです。あの聖女アガタの許しがたい偽りが明るみとなり、民衆の信仰は失われました。国の危難に手を差し伸べてくれることもなく、問いかけても答えてくれぬロサリア神の代弁者に何の存在意義があるでしょう?」


マルティヌスは諦観を浮かべたような表情で続けた。


「本日、大使として伺ったのはクロード王陛下のミッドランド連合王国、並びにアウラディア王国の隆盛に、わが国の王マクマオンの祝意を伝えると同時に正式な国交の打診をするべく伺ったものでございます」


「マルティヌス教皇猊下、先年の一方的な魔境域侵攻をお忘れではあるまい。謝意を表するでもなく、国交の話に及ぶとはまさしく大国の奢りか!」


おそらく国家間の優位性を保つための一芝居なのだろうが、エーレンフリートが横で声を上げた。

最近、ますます威厳が出てきてこの一喝もかなりの迫力があった。


「いえ、そんな滅相もありません。しかし、あれは全て前教皇と聖女アガタの企みによるもので、国王マクマオンの本意ではありません。前教皇にたぶらかされ、聖戦の宣旨を出したことを、マクマオンは深く悔いており、その上で貴国と正常な国交を結びたいと申されたのです」


マルティヌスはなんとか場を繕おうと必死な様子だ。


「正常な国交とは言うが、神聖ロサリア教国は今なお内乱にあえいでる様子。マクマオン王の手を取ることは、すなわちもう一方のフンクール王国を敵に回すことにはなるのではないか。まずは国内の情勢を整え、しかる後に国交を打診してくるのが筋というものではないか」


エーレンフリートの言葉にマルティヌスは一層恐縮し、身じろぎした。


「申し訳ありません。そのような意図はありませんでした。正常な国交とは申しましたが、条件が対等という意味ではございません。我が国は今、まさしく危急存亡の時を迎えております。神をも恐れぬ裏切り者デュフォールのフンクール王国に歴史ある我が神聖ロサリア教国は飲み込まれようとしている。我が君マクマオンは、貴国への従属も視野に入れて、国と国の交わりを持ちたいと申し上げておるのでございます」


従属ときたか。


つい最近まで、魔境域をあれほどまでに敵対視していたことを考えると、よほど情勢は厳しいのだろう。


神聖ロサリア教国内の南北を分かつ内乱の話はクロードも注視していた。


神聖ロサリア教国とは魔境域東部において一部領地が接しているうえ、内乱の行く末が旧クローデン王国領に与える影響も大きい。


白魔道教団の魔道士や≪這い寄る根≫の者たちによる情報では、デュフォールのフンクール王国の方が優勢とのことだった。


それに実はフンクール王国からも、その子飼いの魔道士が書状を携え使者として先にやってきており、クロードは外政不干渉を理由に態度を保留していたのだ。


宰相のエーレンフリートが同席しているのはこの政情不安定な隣国の情勢を見定めるために直に大使の言い分を聞く目的があったようだ。


「お待ちください。まだ話には続きがあります。マクマオン王には孫娘にあたる直系の姫がおられます。名はロマーヌ様と申され、歳は十四。この姫をクロード王陛下に嫁がせたいと王は申しておりました。聞けば、クロード王陛下は未だ独り身であるとか。どうか、どうか御一考のほどを……」






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