第386話 異端の存在

混迷を深めていく各国の秩序の崩壊に対して何もしないという選択は、クロードにとって最もつらい選択肢であった。


自ら出向いて行って各地の混乱を静めて回ることは不可能ではないが、あくまでもその地に住む者たちの力で持続可能な統治体制を築くのが望ましい。


これまでルオ・ノタルらが志向してきた社会のように、何者かに依存させたりする世界はそこに生きる人々の自助の心を失わせてしまうし、人類そのものの進歩を止めてしまうことになるとクロードは考えていた。



機械神ゲームマスター≫を全機破壊してからおよそ半年後、神聖ロサリア教国は、その最後の頼みの綱であった信仰のもといになっていた≪恩寵≫が発生しなくなったことにより、一気に存続の危機に陥っていた。


これは当人たちは知らないことであるが、ロサリア神はすでにクロードに取り込まれて存在しない上に、ロサリア神の御業だと説かれていた≪恩寵≫が発生しなくなったことで、信仰による結束にほころびが起こってしまったのだ。


対立していたデュフォールのフンクール王国も共通の敵であった神聖ロサリア教国の弱体化によってかえって足並みが乱れ、権力闘争と分裂の危機を常に抱えた状態になっている。


その他の国々も似た様なものであった。


民衆の価値観の最上位にあるのは神々への信仰であり、それぞれの君主も自らの権威付けにこれらの神々の存在を使っていたところがあったので、体制維持の危機に繋がりかねない状況であったのだ。



クロードは≪這い寄る根≫の首領ザスキアを訪れ、ある噂を意図的に広める工作ができないか相談することにした。


ちょうど今宵は満月。


ザスキアを配下に迎え入れてから何度か、ある目的のために満月の夜を狙って会いに行っていたのだが、その用事もついでに済まそうと考えた。


ブロフォスト郊外の古びた廃屋の地下にある≪這い寄る根≫のアジト。

この廃屋は老朽化し使われなくなった教会だったそうで、建物に這う植物や傷んだ外観が夜の闇を纏っていっそう不気味に見える。


満月の夜になると恐ろしい異様な叫び声が聞こえると付近の住民には有名な場所で、大人も子供も近寄る者は誰もいないそうだ。


クロードは人気のないその廃屋を訪れ、地下に降りる隠し階段をひたすら降っていった。


降りてゆくほどに、けだものの唸るような声が大きくなり、強烈な敵意がクロードの≪危険察知≫に届いて来る。


最下層にたどり着き、奥の閉ざされた分厚い金属扉の前に立つと、鋼鉄の閂を外し、渡されていた鍵を使って、扉を開けた。


部屋の中は殺風景でまるで地下牢のような造りだった。


鉄格子と頑丈そうな鉄扉の奥に憔悴しきった様子のザスキアがいた。


「随分と辛そうだな」


「そんなことはない。お前に先月頂いた血のおかげで、これまでよりはだいぶ良い。しかし、あの甘美な血の記憶が、俺を狂わせる……」


内なる衝動がそうさせるのであろうか。

一人称が「私」から「俺」になっているし、言葉遣いも少し粗野だ。


「辛そうだし、早速始めよう」


クロードは≪次元回廊≫を使って、鉄格子の向こうに移動する。


「ああ、狂おしい。血の渇きが抑えきれない。クロード、お前が欲しい……」


左右異なる色を持つ瞳が、まるで猫の瞳孔のように縦に細長くなると突然襲い掛かってきた。


獣のように大口を開け、クロードの首の付け根に噛みつき、両腕で絞殺さんばかりに締め付けてきた。


ザスキアの鋭く尖った牙が肉に食い込み、血が溢れた。


クロードの今の肉体は日常生活を送りやすくするためにその性能を著しく下げている。


知恵と学問の神ウエレートの≪御業≫による封印術を抵抗レジストすることなく自ら受け入れ、本来の肉体の性能を低減させた。

これはエルヴィーラによる発案であるのだが、こうすることで不用意に周囲の物や人を傷つけることがないように工夫したのだ。

急激なレベルアップにより何をするにも力加減が難しく、やむなくの処置であった。


それでも最後の恩寵が訪れる前くらいの能力値はあり、大抵の脅威には対処できる。


現にザスキアの怪力はすさまじく、常人であればものの数秒で全身骨折してしまうほど強力だが、クロードの骨格はそれに耐えている。


ザスキアが大人しくなってきた。


まるでミルクを飲む猫のように喉を鳴らし、血を飲み下している。



やがて、ザスキアは両腕による締め付けを解き、クロードの体から離れた。


「クロード王陛下、ありがとうございます。だいぶ、落ち着きました」


ザスキアの瞳孔が丸くなり、肌は紅潮している。

生え際からは赤い毛髪部分が生えてきていたおり、初めて会った時と比べると、白髪部分もだいぶ減ってきていて、見た目の印象も随分と若返ったようだった。


バル・タザルによれば、ザスキアの異常すぎる満月時の殺戮衝動と血への渇望は極度の飢餓に陥っていたことに起因し、十分な血を取り込むことでが完全に満たされた状態になれば、徐々に血を一定量飲む行為だけで衝動をコントロールできるようになるのではと話していたが、この仮説はあながち間違っていないとクロードは思っていた。


現に会いに来るたびに、少しずつ自制ができるようになってきているし、最初の頃は会話すらままならない状態だったのだ。


一度に摂取できる血の量は限られていて、彼女が完全に飢餓状態から脱するのがいつになるのかはわからないがもう少し通ってみようと思っていた。


バル・タザルの懇願やザスキアの身の上話に同情した面もある。


しかし、不死とは言え、痛みはあるし、はたから見れば自ら血を吸われに来るなど異常の極みだ。


なぜここまでしてやる気持ちになったのか、自分でもわからなかったが、今にして思うと俺は少し寂しかったのかもしれない。


残ると決めたこの異世界にあって、常人とあまりにかけ離れすぎた存在になってしまった自分とザスキアがどこか重なって見えたのだ。


自ら望んでなったわけではない異端の存在。

彼女がいかにして生まれ、何のためにその忌まわしい力と性質を身に宿すことになったのか誰も知らない。


互いに二人と存在しないこの異世界の異物のような身の上であり、俺には受け入れてくれるシルヴィアや仲間の存在があったが、彼女にはそれがない。


自らの生の行く先に絶望し、命を断とうとまでしていたザスキアの姿を見て、俺は見捨てることができなかったのだ。









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