第383話 神の操り人形
いつもの≪
いつまで待ってもあのステータス表示のような現象が起きなかったのだ。
人間の体ではないからだろうか。
それとも≪恩寵≫を授ける≪
自分という存在に言葉にできない何かが書き加えられていくような感覚はある。
高位次元神から神の端くれとして認められた自分の存在の
やはり≪
この異世界に住む人々や他の≪異界渡り≫に発生する≪恩寵≫の仕様は、ステータスなどが表示されたりしないとオルフィリアやリタから聞いていたが、今回の≪恩寵≫はその流儀に従うらしい。
いくら待ってもステータス表示は起きず、『異世界間不等価変換を開始します』という女性を模した機械音声のようなものも無かった。
記憶が失われずに済むかもしれないと甘い期待をクロードは抱いたが、その期待を打ち砕くかのように異変が起きた。
意識が混濁し、思考停止に陥ってしまったのだ。
時間にすれば、数分ほど。
それほど長い時でもなかっただろう。
「……様、……クロード様!」
バル・タザルとエルヴィーラの呼ぶ声で我に返った。
「ああ、すまない。少し疲れただけだ」
疲れなど無かったが二人を安心させるために嘘を吐く。
周囲を見渡すとこちらを心配そうな様子で窺う二人とアヴェロエスの出現により、大きく窪んでしまった森林地帯の変わり果てた風景が目に飛び込んできた。
大丈夫だ。
記憶の連続性は失われてはいない。
何か変わったところはないかと自らを確認してみるが、≪
肉体を持った状態時の≪恩寵≫とは異なり、力が湧き上がるような実感も五感が鋭くなったようなあの独特の感覚も無い。
では、元の世界の記憶はどうなっただろう?
クロードは恐る恐るこの異世界に来る前のことを思い出そうとしてみた。
あの薄暗く鬱蒼とした深い森。
あの森に突如転移させられる前、俺は何をしていた?
思い出せなかった。
自分がこの異世界とは違う別の世界から来たのだということは、転移後の自身の会話の記憶などにより事情は把握している。
だが元にいた世界のことなどは、本当にその世界があったのか疑わしくなるほどに希薄だった。
何を覚えていて、何を覚えていないのか。
そして覚えていると思い込んでいる事柄が真実であるのかすらもはや確かめようがない。
確かな実感を伴った記憶はこの異世界にやってきてからの約五年に近い年月の記憶だけだが、それすらも疑わしくなってきた。
異世界転移前の二十数年の記憶の消却による矛盾を取り去り、つじつまを合わせるためだけに都合よく切り貼りされた可能性が捨てきれないからだ。
突如、言い様のない不安感がクロードを襲った。
記憶とは自分がこれまで歩んできた道。
その積み重ねが今の自分を作り上げているわけであり、記憶が都合よく消去されたり、改変されたりしたら、それはもう本当の自分では無くなってしまっているのではないか。
今、思考を行っているこの自分は、本当は一体何者なのか。
記憶の消去が人格形成や価値観に影響を与えなかったわけがない。
俺は本当に俺なのか。
俺って一体なんだ?
クロードは天を見上げ、そのはるか先に思いをはせた。
きっと俺など、遥か高見より見ている何者かによって、己の意志に寄らず言い様に弄ばれる哀れな存在に過ぎないのだろう。
クロードという記号を与えられ、自分の意思で生きていると思い込まされているが、その実、何者かの操り人形に過ぎないのではないか?
神の操り人形。
いつの日か、あのデミューゴスが放ったあの言葉が突然クロードの心の中に甦った。
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