第376話 万魔殿の異変

E089211ADは、機械神に搭載された人工知能であると同時に、この施設全体の管理運用を司っていて、登録された正規の権限者の命令無くしては、ここから先を進むことはできないのだそうだ。  


「では、現在のマスターは何者なのです? E089211AD、答えなさい」


『その質問に対する回答は、開示許可が出ていません』


女性の声に模した無機質な音声が虚しく響く。


「クロード様、どうやら何者かによってこの施設の権限者が書き換えられているようです。これ以上先に進むのであれば、少々強引な手段を取らざるをえません」


「そうか。仕方ないな。ちなみにこのE089211ADと部外者の俺が直接会話することは可能なのか」


「はい、コード名を正しく呼び掛ければ応えてくれるでしょう。この施設内には各所に様々なセンサーとカメラがあって、我らのこの会話も全て録音され、E089211ADのデータとして収集されています」


エルヴィーラの説明の通りであれば、俺が話しかけたところで入場を許してくれるはずはないが、もし≪恩寵≫時に聞こえてきていた音声がこのE089211ADであったなら、試してみる価値はあるような気がした。

この場所に来るように伝えてきたのは他ならぬあの声の主であったのだから。


「E089211AD、俺はお前のものと思われる声に導かれて、この施設を訪れた。入場の許可を求む」


『照会……確認……。個体認識ナンバーTS01……≪仮マスター≫クロード並びに同行者二名の入場を許可します』


扉が開いた。


これにはエルヴィーラたちも驚き、顔を見合わせていた。


クロードは細心の注意を周囲に払いながら、その扉の先に足を踏み入れたが、その室内と呼ぶにはあまりに大きすぎる空間の景色に驚かされた。


昇降機の降下時間の長さから、相当深い場所に施設があるのだなとは思っていたが、天井はドーム球場よりもはるかに高く、部屋の奥行きは果てしなかった。


そして何より驚いたのは床一面に這う無数の脈動する触手のような物と室内空間を圧迫するほど巨大な緑色の肉の塊であった。

表面は平滑で湿ってはいない。

赤ちゃんの肌のような柔らかい感触で、よく見ると細かい産毛のようなものまで生えている。

肉塊は絶えず不気味にうごめいていて、まるで呼吸でもしているかのようにいくつか開いた穴から気体を吹き出している。


「なんだ、これは……」


さすがのオディロンたちも言葉が出ないらしく、固まってしまっている。


室内にある無数の機械類を押しのけて、その肉塊は中央通路を塞ぐように鎮座しており、まるでこの空間の主であるかのような存在感である。

よく見ると多くの装置が押しつぶされ、ひしゃげてしまっていることから、この肉塊が本来あるべき場所から増殖あるいは成長を続けて現在のサイズになったのだと推測できた。


「エルヴィーラ、この緑の塊は一体何だ?」


「……ああ、申し訳ありません。あまりのことに自失しておりました。この肉の塊については存じ上げません。このような物を見たのは初めてですし、何よりこの施設内の変貌ぶりには言葉もありません。万魔殿パンデモニウムは本来、魔物を生産し、地上に送り出すための施設です。この施設の権限者になりおおせた人物が創らせた魔物であるという推測しかできませんが、このような種はリストにないはず……。とりあえず奥にある≪機械神ゲームマスター≫の状態を確認しましょう」


年月の経過で誰よりもこの施設に詳しいはずのエルヴィーラが知らないというのだ。

確かめる術は、何者かのオーダーでこれを創っているのであろう≪機械神ゲームマスター≫から直接聞くしかない。


エルヴィーラたちが機器類と肉塊を避けるように壁際を進む背中に黙ってついていくと、ようやく≪機械神ゲームマスター≫の設置場所についた。


入り口からこの場所までは十数キロメートルはあっただろうか。

肉塊を刺激せぬように慎重に、そして障害物に阻まれながら進める場所を探さなければならなかったので、一時間近くかかってしまった。


本当に途方もない大きさの建造物である。


この空間の最奥であるという場所に設置されていた≪機械神ゲームマスター≫は、バ・アハル・ヒモートの背で見た機体とは少し形が違っていた。


何というかすっきりした外見であったのだ。


頭部の三眼は同じだったが、胴体に装飾は少なく、腕も二本しかなかった。

それでもやはりそれが≪機械神ゲームマスター≫を想起させる姿であることは間違いない。

金属質の外殻に、人工の光をたたえた赤い瞳。

女性的なデザインなのは、ルオ・ノタルの外見と関係があるのか、それとも魔物を産み出すというその機能によるイメージなのかはわからなかった。


生命を産み出す存在でありながら、言い知れぬ不気味さとおぞましさを感じるのは何故であろうか。


機械神ゲームマスター≫の体と町一つくらいは優にあるのではないかという緑色の途方もない巨大さの肉塊は無数の配管類により繋がれており、今も何かが送り込まれているような複数の音が聞こえている。

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