第366話 黒髪の青年

「おい、起きろ」


傍らの右目に傷のある男に荒々しく揺すり起こされ、辺りを見渡すとそこはベルクバーランド城の玉座の間であった。


目の前には、息子よりも若い年頃の黒髪の青年が立っており、自分を見下ろしている。

顔立ちを見るに、この辺の人種ではないようだ。

南のアヴァロニア人とも違うし、沿海州でも見ない外見だった。

黒い髪に、黒い瞳。

肌の色も違う。


それにこの青年からは身に覚えのある何か得体のしれない雰囲気を感じる。


ディーデリヒは拘束され、玉座に向かう赤じゅうたんの上に膝をついていたが、なぜ自分がこのような状態に置かれているのか記憶が曖昧であった。


進軍中に相次いで異変が起こり、深い霧の中、孤立したところまでは覚えている。


その後自分に何があったのか思い出せなかった。


「お前は何者か。私を公爵ディーデリヒと知っての狼藉か?」


目の前の黒髪の若者を睨み、問いかけた。


黒髪の若者は、一瞬考え込んだ様子を見せると「アンゼルム、自由にしてやれ」と部下に命じた。


アンゼルムと呼ばれた目に古傷がある男が、短刀を取り出し、両腕を縛る縄と両手首の拘束を解いた。

正直なところ、この程度の縄など力任せに引きちぎってしまうこともできたが、それでは一拍の遅れが出るし、拘束が解かれたのはありがたい。


「見たところ辺境の野蛮人か何かのようだが、貴人に対する最低限の扱いは心得ているようだな。貴様は何者だ。なぜ、この城にいる」


「ディーデリヒ公爵、初めまして。俺は、クロード。あなたが侵攻した魔境域の王にして、このブロフォストを解放した者だ」


魔境域の王だと?

なぜ、そんな人物がこのベルクバーランドにいるのだ。


ディーデリヒの動揺と同じく、周囲の人間たちからも驚きの声が上がった。

この周囲を取り囲んでいる者たちは姿恰好からして、このブロフォストの有力者たちであろう。

何人か見知った顔もあるし、どうみても武将や武官などではない。

商人や地元の名士たちといったところだろう。

厄介そうなのはこの傍らにいるアンゼルムとかいう奴だけだ。

この者は眼光といい、かなり腕が立ちそうだ。


だが、偉大なる祖王の力を受け継ぐ私の敵ではない。

この魔境域の王を名乗る男も同様だ。


隙あらば、魔境域侵攻で味わった苦汁を貴様にも舐めさせてやるぞ。


ディーデリヒはたぎる復讐心を押さえながら平静を装った。


「このクローデン王国の祖たるクロードの名を、その末裔たる私の前で名乗るとは太々しい奴だ」


「気を悪くしたなら申し訳ない。俺は、この世界とは異なる世界から来たんだが、なぜか自分の本当の名前を思い出せなかった。俺にこの名をつけてくれた恩人は、まさにそのクロード一世を由来にしたんだ」


「異なる世界から来ただと?」


「そうだ。この世界の言葉では≪異界渡り≫というらしい」


信じがたい話だった。

偉大なる祖王と同じ≪異界渡り≫であるというこの話が本当であるならば、自分の手に負えない実力を秘めている可能性がでてきた。

騙りであることも考えられるので、真偽が明らかになるまではここでうかつに実力行使に出ない方がいいのかもしれない。


会話をする振りをして、少し様子を見てみるか。


「貴様、我が軍に一体何をした。 今、我が軍勢はどこにいる?」


「お前が率いてきた兵卒は皆無事だ。奪った兵糧は冬のブロフォストの備えの一部として拝借することにしたが、兵士たちはお前の領地にそのまま送り返してやった。俺は≪次元回廊≫というスキルを使って、自分を含めた人間を地上のいかなる場所へも一瞬で移動させることができる。従って、お前が何度挙兵し、このブロフォストを目指そうとも決してたどり着くことはできない」


「馬鹿な、そのような芸当できるはずがない。祖王クロード一世であってもそのようなことはできなかったはずだ」


「他にも色々できるが、ここですべてを披露している時間は無い。ただ、ブロフォストに攻め入ろうとすることがいかに無駄なことであるかわかってもらうために、お前を敢えて殺さずにここに連れてきた」


「ふざけるな、この私にあきらめろと言うのか。ブロフォストは代々、祖王の血を引く者によって統治されてきた王統の地だ。貴様のようなどこの馬の骨とも知れぬ人間がおいそれと君臨できる土地ではないのだ。大人しく、その玉座をこの私に引き渡せ。そうすれば幾ばくかの褒美をやるし、魔境域領主の辺境伯として取り立ててやっても良い」


そうだ。私はあくまでも貴き血を継ぐ者。下手したてに出てはいかん。

血の威光で平伏させるのだ。


「ありがたい申し出だけど、お断りしておく。それに、このブロフォストに玉座はもう必要ないんだ」


クロードは、踵を返すと玉座の方へ歩いて行き、腰に下げていた神々しい光を帯びた長剣を抜き、上段に構える。


「ま、待て。何をする気だ。貴様、やめろ!」」


縦に一閃。

その場にいた誰もが呆気にとられる中放たれた恐るべき速さの剣撃が、玉座の背を台座ごと真っ二つにした。


「やめてくれ!」


哀願の言葉が自然と口から叫び声となってこぼれ落ちたが、全ては遅すぎた。


およそ三百年前から伝わる玉座は二つに裂け、失われてしまった。


「ディーデリヒ、お前の挙兵のおかげで、ブロフォストの行く末を決める話し合いが思ったよりも早くまとまった。ブロフォストはこれより単一の都市国家として独立を宣言する。王や貴族など必要としない、市民の代表による共和制を布くことになった。従って、玉座はもう必要がない」


「馬鹿な……共和制だと? そのような絵空事上手くいくわけがない。いいか、かつて共和制などという理想を語り、それを試みた都市国家がなかったわけではないがどれ一つとして成功した試しなどはないのだ。民など、愚かで怠惰であるばかりか、非力で自衛の手段すら持たない。我ら王侯貴族がその庇護下に置かねば生きていけぬ者ばかりだ。この戦乱の最中、どうやって独立など保ってゆけるのだ?」


「当面は俺の庇護下に置く。ディーデリヒ、お前の軍を退けた様に、このブロフォストを狙う者は何人たりとも俺が近づけない。そのうち、市民たち自らによる防衛の態勢を整えるつもりだ。もっとも、これは俺がアウラディア王であることを隠していたことをこの場にいる皆が許してくれればの話だがな」


「旧クローデン王国の全貴族領主を敵に回しても守り切る自信があるというのか」


「あるよ。≪光の九柱神≫の加護下にあったお前の軍が魔境域侵攻に失敗したのをまだ忘れてはいないだろう。もっとも、今度は無傷で返してやる保証はできないから、それを忘れるな」


祖王と同じクロードという名を持つこの黒髪の青年は、自信ありげにそう言い放った。

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