第365話 霧の中

ブロフォストに向かう軍勢の中にあって、ディーデリヒは焦燥感を募らせていた。


潜ませていた間諜かんちょうの報せによると、商業連合により支配されていたブロフォストが何者かに占拠されたとのことであった。


その何者かに関する情報がまるでない。


まさか、アルニム伯爵に身を寄せているエグモントが舞い戻り、玉座の奪還を果たしたのではあるまいな。


ディーデリヒが危惧しているのはその一点であった。


他勢力の軍勢が動いたという情報は入ってきてはいない。

戦になっていない以上、誰かが手引きし庇護しなければ、このような事態になどなりえないし、それが出来そうな人物が思いつかなかったのだ。


今更玉座を捨てて逃げたエグモントの返り咲きなど望む勢力がブロフォストの内に存在するとは思えないがいったいどういうことだろう。


商業連合にブロフォストを好きなようにさせておいたのは、他の有力貴族に先を越されないための番人として利用する意図があったのだが、その目論見が突如、破綻してしまった。


自領の周りの王領を少しずつ接収し、地ならしを進めながら、段階を経てブロフォストを丸裸にするつもりであったのが完全に予定が狂ってしまったのだ。


ディーデリヒは短くなりすぎた親指の爪を噛み、思考を巡らせた。


せっかく自らが玉座につくのに望ましい状況が訪れたのだ。

この機を逃しては、二度と自分に好機は訪れないであろう。


エグモントの復権など認められない。


玉座には祖王の血を濃く顕す私こそが相応しいのだ!


「全軍を急がせろ。ことは急を要するぞ」


ディーデリヒの言葉に恐れ入りながら参謀のデニツがなだめにかかる。


「閣下、霧が濃くなってきました。ブロフォストからの動きは今のところないようですが、警戒しておくに越したことはありません。進軍の速度はこのままがよろしいかと」


確かにここにきて急に視界が悪くなってきた。

前方を行く隊の姿が見えにくくなってきている。


「それにしても妙ですな。この時期、この土地ではこのような霧など出たことがありません。それにこの霧、何か嫌な感じがいたします」


自分も同感だった。

自然に発生したとは思われぬし、説明しようもない何か得体のしれない感じがした。


自らに流れる≪異界渡り≫の血ゆえか、ディーデリヒ自身は魔道を使うことはできないものの、そういった魔力の流れのような不可思議なものを感じ取る能力を有していた。


魔道の術……、いやこれほどの規模で霧を発生させることができる魔道士など見たことがない。


意見を聞いてみようにも、子飼いの魔道士隊は先の魔境域侵攻で敵方の魔道士によって主だったものは皆捕らえられてしまった。


思い通りにならぬことばかりだ。


≪光の九柱神≫はあれから全く交信できなくなったし、交信方法と魔境域に潤沢にあるとされる財貨の情報を授けてくれた仮面の男も行方知れずになったままだ。



「公爵閣下、大変です。後方の輜重隊から急報が」


「後方?」


後方に何があるというのだ。

自領には防衛のための最小限の兵を残し、急ぎ出陣したものの、まだ二日目だ。

後方に敵の出現などありえない。


「誰の軍だ? 軍旗を確認しろ」


「いえ、それが……軍勢ではありません。敵はたった一人。突然現れ、その……兵糧などの全ての荷を奪われました」


報告に来た部下の言葉が理解できなかった。


「せ、正確に言え!たった一人の人間がどうやって全ての荷を奪うことができる? 誤報は厳罰だぞ」


「い、いえ、にわかに信じがたい話ではありますが、事実です」


三百輌からなる輜重隊の荷が一人の人間によって奪われるなどありえない。


「おのれ、もういい。自分の目で確かめる。全軍停止だ」


ディーデリヒは馬首を巡らし、後方を向いたが、濃い霧ではるか先の方はもう見ることができない。


やはり、この霧はどこかおかしい。


「公爵閣下!」


「今度は、何だ!!」


進軍方向から駆けてきた騎士がただならぬ様子で報告した。


「最前方を行くバルテル将軍の軍が挙って消えました。バルテル将軍の消息も不明です」


馬鹿な、兵糧だけでなく兵まで消えるなどありえない。

何が起こっているというのだ。


ディーデリヒは髪を掻きむしり、周囲に当たり散らしたくなる衝動を必死で紛らわそうとした。


気が付くと霧はさらに濃くなり、自分が乗る馬の首すら見えなくなった。





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