第356話 福の神

銀狼のレリーフが施された大扉の中に足を踏み入れたクロードの目に最初に飛び込んできたのは、空の玉座とそこへ続く赤絨毯あかじゅうたんの道であった。


赤絨毯はところどころ焼け焦げ、傷みが激しい。

エグモント王が王城を脱出する際におきた戦闘の跡であろうか。


周囲を見渡すと左右の壁には平伏し、額を床に押し付けた者たちが列を作っていた。


クロードが入室してきたことには当然気が付いているはずだが、誰一人として身動きしようとしない。


奇襲あるいは激しい戦闘を予想していたクロードはこの意外な展開に戸惑ってしまった。


「そのまま、玉座にお進みください。我らの新たなあるじよ」


左の壁際の列の一番玉座に近い男がようやく声を発した。

顔は見えないが、白髪頭とその卑屈そうな声で、ある程度の年齢なのだと分かった。

着ている服は上等そうで、派手だった。


「俺はお前たちの新たな主などではない」


「いえ、貴方様は我らの新たな主でございます。御覧の通り、我らは貴方様がこの王城においでになるまで、玉座を預かっていただけ。このブロフォストを牛耳ろうなどとはつゆほども思ってもいないことでございます」


なるほど、かなわないと見て方針を変えたのか。

変わり身の速さは商人の特技なのかもしれないが、鵜呑みにもできない。


「お前がリンデン商会のデトマールか?」


「はい、私めがそうでございます。エグモント王が見捨てたこのブロフォストを非力非才の身ながら、老骨に鞭を打って、貴族どもの権力争いの場にならぬように尽力したまでのこと。決して私利私欲ではありません。然るべき御方が現れたなら、こうして全てを明け渡すつもりでありました」


デトマールは顔を上げることもなく、切々と訴えかけた。

表情は見えないので何とも言えないが、エルマーやアンゼルムたちから聞いていた話とずいぶん違う。

それに、ニブラー商会の会長であったベルントも、このブロフォストを「商人たちの楽園」にするのだと気炎を揚げていた。


やはり嘘だろう。


「嘘ではございません。我ら四大商会の会長全員がこの王城に集められ、エグモント王や貴族連中から借金の踏み倒しを理由に殺されかけた時に、救ってくださった≪福の神≫を名乗る老人が仰っていたのです。『クロード一世の生まれ変わりがこのブロフォストに現れる。その人物はクロード一世と同じ≪異界渡り≫で、人知を超えた力を持った≪救済者≫である。もしそのような人物が現れたのならば、即座に玉座を明け渡せ』と。今回貴方様が超人的な力で各商会を襲い、この王城に侵入したとの報告を、ここに同様に控えまする子飼いの魔道士から受けて、私ははたとこの話を思い出したのでございます」


福の神?


クロードは思わず吹き出しそうになった。

嘘に嘘を塗り重ねて、ついにはこの異世界に居もしない≪福の神≫まで持ち出してきた。


しかも自分はクロード一世の生まれ変わりなどではない。

荒唐無稽すぎる作り話にいささかうんざりした気分になってきた。


「悪いが顔を上げて話をしてくれないか。どんな顔でそんな子供じみた嘘を言っているのか興味がある」


「う、嘘ではありません。その老人は確かに存在するのです。幽霊のように透き通った体をしていて、妖しげな術を使い、何もない空間から突如現れては、我らを助けてくれたり、助言をくださったりしたのです。王を追放し、ブロフォストを掌握する方法を授けてくださったのもそのお方なのです」


リンデン商会のデトマールは、慌てた様に顔を上げ、目に力を込めてこちらの目を見つめている。


如何にも信じてくれと言わんばかりだが、それが余計に嘘くさく映る。

加齢によるものと思われる染みだらけの肌と目の下に血色の悪い隈ができており、顔の左右のバランスが悪くどこか歪んでいる。


一言で言うならば悪人顔であった。


「我々はその≪福の神≫の発案にしたがっただけ。天地神明に誓って私利私欲は無かったのでございます」


どうやら、全ての責任を≪福の神≫を名乗る老人という架空の人物に転嫁させるつもりのようだ。

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