第342話 白髪の束

「クロードさん、クロードさんじゃないですか!」


そういって近づいて来たのはジゲ村のエルマーだった。

クロード・ミーア共同商会の事業を縮小した際に、このブロフォストに留まる決断をし、その後はヘルマンの下で働いていたはずだった。


エルマーは、口髭顎鬚を生やしていたが、出会った頃と変わらぬ童顔と人懐っこい声ですぐに分かった。


クロードは食べ終わった食器を重ねると、エルマーに席を勧め、何か飲むかと尋ねた。


「ああ、気を使わなくて大丈夫ですよ。何せ、こう見えても僕はこの店のオーナーなんですから。それよりクロードさん、そちらの美しい方も、今日は僕の奢りです。再開を祝して乾杯しませんか?」


エルマーは得意げな様子で胸を張った。


こうしてみると、ひょろりとした体形をしていたのが、随分と逞しくなったように思える。

出会った頃は年下の印象だったが、外見的には歳を取らないクロードと同年代といっても通りそうだった。


エルマーは店員にクロード達の飲み物のお代わりと自分の麦酒を持ってくるように言うと、クロードが勧めた席に腰を下ろした。


エルマーは店員が飲み物を持ってくるのを待ち、三人で乾杯すると一気に麦酒を呷り、直ぐにお代わりを持ってくるように店員に言う。


その様子をシルヴィアが目を丸くして見ている様子がおかしくてクロードは思わず笑ってしまった。


「いやあ、今日はお酒が美味しいなあ。クロードさん、僕ね、実は結婚したんですけど、妻から酒を飲むのを禁止されてるんですよ。だから、このお酒は一月ぶり。多分この後怒られちゃうんだろうけど、構うものか。何せ、クロードさんと生きて三年ぶりの再会だ。こんなに嬉しいことはそうないですよ。今飲まなくて、いつ飲むっていうんですか」


エルマーは陽気にそういうと、再び運ばれてきたお代わりにちびッと口をつけた。


魔境域での恐ろしい体験によりエルマーの酒量が増えたことをクロードは心配していたが、今のエルマーを見る限り、その結婚した相手のおかげか、酒で身を持ち崩しているようには見えず、ひとまず安心した。


身なりも真っ当であったし、何より目が何と言うか、少し大人びて見えて、相変わらずの童顔であるにもかかわらず、この三年の月日がいかなるものであったのか訴えかけてくるようであった。


エルマーは酒が入り、滑りが良くなった口でクロードと別れてから今日までのことを語って教えてくれた。


レーム商会がブロフォストを見限り、クロードの治めるアウラディア王国に拠点を移すことになって、エルマーは再び転職を余儀なくされた。

ヘルマンと共に行くという選択肢もあったのだが、あの魔境域で死にかけた体験がどうにも忘れられなくて、結局、この街に残ってしまった。

ヘルマンの紹介で、四大商会の一つでレーム商会とも比較的友好的だったニブラー商会で働くことになり、そこで一生懸命商売の勉強をした。


レーム商会で得た経験とその後の努力で、ニブラー商会でも重要な仕事を任されるようになった矢先に、今回のクローデン王国滅亡が起きてしまった。


幸運だったのはニブラー商会を含む四大商会がこのブロフォストの支配権を得たことで、もし王家側が武力で借金の踏み倒しに出てきていたら、自身も危難に見舞われていたことだろうとエルマーはため息をついた。

王家が民衆や諸貴族たちに愛想をつかされていたことで、四大商会が上手く立ち回る余地が生まれたのだった。


「でもね、クロードさん。良いことばかりじゃあなかったんだ。僕はニブラー商会の会長に気に入られていたので、この区域の顔役を任されたんだけど、治安はどんどん悪くなるし、税の取り立てもしなくちゃあならない。冒険者時代の知り合いを頼って、なんとか自警団を作って、ここいらの治安を守りつつ、頻繁に起こるトラブルの仲裁だとか区域内の住人の面倒なんかも見てやってるんですよ。見てください、僕はまだ二十三だっていうのにもうこの辺に白髪が出来ちゃって」


エルマーは右側頭部の白髪の束を見せつけながら、必死で説明する。


クローデン王国の王都として繁栄を誇ったブロフォストは、今やあまり仲が良くない四大商会が都市の覇権を競い合う混乱状態で、その各商会の息がかかった区域ごとの対立も激しくなってきているらしい。区域によっては治安が悪く、犯罪組織まがいの連中に支配されたまま放置されているらしく、四大商会も現状を良くは思っていないものの、権力争いに夢中で、むしろそういった組織との癒着も始まっているのだという。


「こんな苦労するなら、クロードさんに付いていけばよかったと今でも後悔してますよ。商会のお偉いさんと住人の間の板挟みの日々。もう正直、こんな生活はこりごりだって、毎日のように愚痴るもんだから嫁も飽きれて、最近では喧嘩ばかりなんです。デリアのやつ、出会った頃はあんなに清純で可愛かったのに、近頃といったら……」


今度は話題が嫁の悪口に移っていくかに見えたその時、慌ただしい様子で人が酒場内に駆け込んできた。


「エルマーさん、大変です。占い小道の角の婆さんの家が火付けにあって、建物が燃えている。油をまかれたんだ。あそこは区域と区域の境にあるから、前から隣の区域の連中から嫌がらせを受けてた」


エルマーが話してた自警団の人間だろうか。

革鎧に手槍。顔には幾つか刀傷があって、日に焼けている。


「ああ、もう。せっかく久しぶりに、気持ちよくお酒を飲んでたっていうのに。毎日毎日、こんなことばっかりだ。クロードさん、すいません。僕いかなくちゃ。続きはまた。ホルガー、案内してくれ。ガイ、人手がいる。建物を壊す道具と動ける人員を。場所は占い小道だ、わかるな?」


エルマーはテーブル拭きで顔を拭うと席を立ち、少し離れたテーブルに座っていた男に呼びかけた。

店内のほかの客も皆立上り、まるで指示を仰ぐかのようにエルマーの方を見ていた。

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