第330話 水面の影
知識神ウエレートの結界陣の外、すなわち地上はあの凄まじい神々の闘いなど無かったかのようであった。
火神アハタルにより大やけどを負った軍馬は息絶えていたが、エーレンフリートは無事であった。
気を失ったまま動かないが、呼吸音も心音もある。
あれからどれくらいの時間が流れたか。
≪天空視≫で確認すると戦場は、首都アステリア周辺に移っていた。
どうやら、ミッドランド連合王国軍の潰走を受けて、クローデン王国軍が追撃に打って出たらしい。
この辺り一帯は、火神アハタルの炎により大地がところどころ焼け焦げ、未だ炎が残っている場所もあったこともあり、クローデン王国軍も進軍路には選ばなかったのだろう。
先ほどまで上空を旋回していた火の鳥の人知を超えた姿に恐れおののいたのか、この辺りには味方はおろか敵兵の姿もすでに無く、そのおかげでエーレンフリートは命を拾うことになったようだ。
クローデン王国軍はアステリアの正面に布陣し、今まさに首都アステリアに攻め入ろうとしている。
首都アステリアを取り囲む星形の城壁の中には、ミッドランド連合王国軍が防戦のための配置についており、その数を見ると散り散りになって逃げたことが功を奏したのかクローデン王国軍追撃の被害は少なかったようだ。
総大将たるエーレンフリートの退却の判断が早かったこともあるのだろう。
クロードは一通りの状況を把握しながら、デミューゴスの肉体が消滅した場所に転がっている白く丸みを帯びた物体の元に歩み寄った。
間近で観察してみると、白とはいっても少し灰色がかっており、表面には人の顔を思わせる凹凸があり、その周囲には脈打つ筋のようなもの沢山あった。
『クロード……君、どうだい醜いだろう。これが僕の本当の姿だ』
脳内に弱々しい≪念波≫が届く。
「デミューゴス、 知識神ウエレートの結界陣は最後の一人になるまで解けないと言っていたが、これはどういうことだ?」
『デミューゴスというのは、ルオ・ノタルに取り入る時に僕が勝手に名乗った名だ。本当の名前は、そう……、僕を産み、そしてこの最下層次元に捨てた女からは、ヒルコと呼ばれていた。 知識神ウエレートの結界陣が消えたのは、僕が最初から生者として数えられていなかったからだ。僕は虚無。神でも人でもなく、ましてや生物ですらない。何のために存在しているのかわからず、自ら消滅することすら出来ない。哀れでちっぽけな存在、それが僕だ。何せ、自分の力ではここから一歩たりとも動くことすら出来ないのだからね。こうして呼び掛けて、誰かに捕食してもらうのを待ち続けるしかないんだ』
この世界の創世神を欺き、光の九柱神に恐れられ、人界を思うがままにかき乱していたあのデミューゴスとは思えない諦めにも似た感情が言葉の端々から感じられた。
「それで、これからどうするつもりなんだ?」
『どうすると言われても、僕はこうして待つことしかできない。君が高位次元神たちに認められ、この最下層次元を抜け出て、次元間の移動が可能になるのをね。何十万年も、僕を捨てたあの女のいる次元に舞い戻るために様々な試みをしてみたが不可能だった。どれだけ≪神≫を喰らっても、僕自身に≪神核≫が生まれることはなかった。僕はいわば影を映す
「もし、俺がお前の望みを叶えるつもりが無いと言ったら?」
『待つよ。君の気が変わるまでね。もうすでに気が遠くなるほどの長い年月を待ち続けたんだ。今更
「約束はできないぞ」
『ああ、それでいい。どの道、僕は君の厚意にすがることしかできないのだから』
クロードは、デミューゴスを拾い上げると≪異空間収納≫のスキルを使い、その中に放り込んだ。
デミューゴスの体はまるで
このまま放置しておくと、新たな被害者が出るかもしれないし、何か新たな企みをしないという保証もない。
クロードの≪異空間収納≫は、生きた
≪異空間収納≫の空間内は時間がどうやら止まっているようで、食べ物などを入れても腐ることはない。
今回のように意識がある対象を入れたことはないが、時間が停止しているのでれば思考も止まるのではないか。
少し気の毒で、少し非人道的行為と思わないではないが、デミューゴスを殺さず、封印する手段としてはこの方法が最適だと思った。
デミューゴスの丸みを帯びた奇妙な姿は、クロードによって現出された収納用の異空間の中に消えていった。
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