第315話 女王の夜襲
≪オーグラン≫のバラギッド女王が夜襲をかけたのと同時刻。
クロードはイシュリーン城の自室の寝台の上で、隣で眠っているシルヴィアの寝息を聞きながら、天空神業 の御業≪天空視≫でクローデン王国軍の本陣を頭上から眺めていた。
睡眠をほとんど必要としない体質になってからというもの、一日が長く感じて仕方なかったのだが、シルヴィアとの逢瀬の夜にこうして二人で同じ床に並んで横たわっている時間は何物にも代えがたく、これが幸福というものなのだと実感できる時間になっていた。
とはいえ、ミッドランド連合王国とクローデン王国の魔境域を巡る支配権争いが佳境にさしかかろうという今、シルヴィアの傍らにいても心はどこか落ち着かず、やはり戦況が気になって仕方なかったのだ。
指示を出さない自分が本陣にいてはエーレンフリートもやりにくいのではないかと思い、最近はイシュリーン城からこうして戦況を眺めることにしていたのだが、今夜はどうにも何かが起こりそうな兆しが戦場にはあった。
数日前に公爵旗を掲げた兵士二千弱ほどが新たに築かれた砦に到着したことで決戦も間近であると感じていたので、頻繁に敵陣周辺を観察していたのだが、偶然にも今夜はミッドランド連合王国軍と思われる一隊が
シルヴィアを起こさぬように静かに寝台を抜け出ると着替えを済ませ、≪次元回廊≫でその隠密行動中の部隊から少し離れた場所に移動した。
闇夜に紛れてはいたものの、人族の二倍はあろうかという巨体であったので鬼人族の者たちであることがすぐわかった。
『なんじゃ、こんな夜更けにこそこそと。本当におぬしは心配性じゃな』
脳内に声が聞こえ、辺りを見渡すと、やはり声の主はバル・タザルであった。
睡眠を必要としないのは彼もまた同様で、ミッドランド連合王国軍に魔道の類の手が及ばぬように警戒を続けてくれている。
『こんな場所まで気になって見に来るくらいなら、いっそのことおぬしがクローデン王国軍を蹴散らしてやってはどうか。そのほうが両軍ともに犠牲が少なくて済むというものだぞ』
バル・タザルの説教が耳に痛い。
魔境域の民を守りたいという気持ちと敵軍とはいえ人の命を奪いたくないという気持ちが混在して、結局、一番卑怯な傍観者という道を選んでしまっている自分にとっては指摘されたくない事実だ。
ルオ・ノタルが創造した人族は経験値を持っており、殺傷する行為だけでもある程度、≪
「敵襲だ!」
クローデン王国軍の本陣の方から叫ぶ声が聞こえた。
戦況を確認しようと、クロードは天空神業の≪飛翔≫で浮かび上がった。
『やれやれ』という念話の呆れ声が聞こえ、自身の体に何らかの魔力の行使が感じられた。
どうやらバル・タザルが、≪姿隠し≫と≪魔力隠蔽≫をかけてくれたようだった。
『お前さんほどの強大な魔力の持ち主は、そこにいるだけで目立ちすぎると何度も忠告しておるのに一向に気を付ける気配が無いな。今後は自分でもかけられるように術を会得していただかねばのう』
バル・タザルはクロードの横に移動してきて、小言を言うと自身もクローデン王国本陣の方を見やった。
鬼人族の兵二百は怒号を上げて、クローデン王国本陣に突入し、大暴れを始めていた。
数は二百といえども、圧倒的な体格差、そして膂力によって殺到してくる人族の兵士をまるで寄せ付けなかった。
鬼人族の戦士に挑みかかっていった者たちは無残に返り討ちにあい、その屍を地上に晒すことになった。
篝火の灯りが照らすその姿はまさしく鬼神の如き凄まじさで、兵数の多寡などまるで問題にならない勢いだった。
「我こそは鬼人族の女王バラギッド。侵略者どもよ、我らの土地から去れ。歯向かうならば容赦はせぬぞ」
鬼人族の女戦士がよく通る声で名乗りを上げた。
声の主をよく見ると、確かに≪オーグラン≫女王のバラギッドその人であった。
女王自ら部隊を率いていたことにクロードは驚き、一抹の不安を感じてしまったが、その勇猛ぶりとその強さをみて杞憂であると素直に考えを改めた。
並みいる男衆をねじ伏せて女王になったと伝え聞くが、その鍛え抜かれた巨躯から繰り出す金属製の棍の見事な武器捌きに思わず惚れ惚れしてしまった。
群がってくる敵兵を次々と蹴散らし、
女王に付き従う兵も同様に幕舎に火を放ち、何か腰に下げた瓶のようなものをその火に向かって投げつけ始めた。
火は勢いよく燃え広がり、建ち並ぶ幕舎が次々と火に包まれる。
「魔境域の化け物どもめ。よくもやってくれたな。この代償は高くつくぞ」
鬼人族の女王バラギッドの前に一人の若い騎士が立ちはだかった。
家紋であろうか盾と
その顔をよく見ると開戦前に豪胆にも三騎で近づいて来たあのダールベルク伯クリストフその人であった。
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