第314話 エーレンフリートの無念
バラギッド女王の独断で行われたこの夜襲は、敵だけでなく、味方をも驚かせた。
報告を聞いたエーレンフリートは急ぎ軍装を整え、諸将を招集した。
斥候を放ち、報告を待つ傍ら、いつでも出陣できるように戦支度を全軍に命じた。
「バラギッド女王を見殺しにするな」、「勇敢なる姿勢に追従すべき」という意見が諸将から湧き上がり、エーレンフリートもこれに渋々同意した。
これ以上、諸将の
襲撃を繰り返してもまるで手ごたえを感じないクローデン王国軍の様子に不気味さと不安のようなものを感じてはいるが、この勢いを抑え込むだけの根拠と将としての器が自分にはない。
クローデン王国軍の本陣から火の手が上がるのを確認し、エーレンフリートは自ら陣頭に立ち、敵本陣を目指して進軍を開始した。
五つの構成国からなるミッドランド連合王国全軍を敵本陣の手前の平地に布陣し、もはや突撃の号令をかけるばかりとなった時、突然、信じられない光景が目の前に現れた。
本陣に放たれた炎が突然、上空に巻き上がり、それが膨れ上がったかと思うと巨大な火の鳥となった。
夜の闇に浮かぶその姿はとても神々しく、雄壮であった。
両の翼を広げたその大きさは、本陣奥の簡易砦を覆い尽くしてしまえるほどで、もしその巨体が地上に降りてきたならば、ただそれだけで甚大な被害が出ることが予想された。
「あれは何だ……」
二の句が継げない。
火の精霊に連なる何かであろうか。
いや、あの火の鳥からは精霊力を感じない。
森の精霊王の喪失により魔境域では少し前まで土地の精霊力が乱れ、精霊魔法を行使することができない状態であったこともあり、エーレンフリートは闇エルフ族であるにもかかわらず精霊魔法を得意としていない。
それでも下位の精霊との交信や行使は可能であり、見ればそれが精霊であるかどうかの判別ぐらいはつく。
あれは精霊とは全く異なるものだ。
夜襲に出たバラギッド女王と鬼人族の勇士たちの安否も気になるが、今はあの謎の火の鳥から兵たちを逃がすのが先だ。
「全軍、撤退だ。首都アステリアまで一旦退却しろ。固まるな。散れ。散り散りになってアステリアを目指せ!」
あれは人の力でどうこう出来るものではない。
クローデン王国軍はやはり奥の手を隠し持っていたのだ。
開戦の決断を鈍らせた言いようのない不安の正体はこれだったのだ。
エーレンフリートの退却命令で、ミッドランド連合王国全軍は一合も交えることなく、無様な敗走を始めた。
巻き添えを恐れてのことだろうか、クローデン王国軍には追撃の気配がまるでない。
「化け物だ。あんなのと戦うなんて聞いてないぞ」
隊列は乱れ、兵たちは恐慌状態に陥っていた。
火の鳥は慌てふためくエーレンフリートたちを
戦らしい戦が始まる前にこのような事態になるとは本当に無念だ。
数々の失態を重ねながら重用してくださったクロード王陛下に合わせる顔が無い。
クロード王陛下には手を出さないようになどと大言を吐いた挙句に、全軍を危機に
血縁とはいえ、今は亡きオイゲン様と自分とでは、やはり役者が違うようだ。
努力を重ねれば少しでも近づけると考えていた自分の思い上がりが今となっては恥ずかしい。
「エーレンフリート様、ここは危険です。我らも撤退を!」
側近の一人、スーリンが馬を寄せてきた。
「お前たちは退け。俺は少しでも奴の気を引いて、時間を稼ぐ」
エーレンフリートは周囲の制止を振り切り、馬首を巡らすと、ドワーフの職人に作らせた機械弓を手に、撤退する兵士たちとは違う方向に駆け出した。
この機械弓は人族の間でクロスボウと呼ばれるものを、さらにハンドル式にして衰えた利き手の握力でも矢が装てんできるように工夫してもらった。
本来、闇エルフ族はこうした仕掛けを好まないが、エーレンフリートは自らの体の状態を冷静に受け入れ、得物としてこれを選んだ。
使える物は何でも使う。
クロード王陛下の役に立てるのならば、小さなこだわりなど捨ててしまおう。
それが、今のエーレンフリートの考え方の根底にはあった。
自分が今できること。
それは一兵でも多く逃がし、クロード王陛下に軍をお返しすること。
上空の火の鳥は今まさに旋回を止め、その場で羽ばたきながら撤退する兵たちに視線を向けている。
エーレンフリートはハンドルを回し弦を引き絞ると、火の鳥目掛けて矢を放った。
「我が名はアウラディア王国宰相にして、軍司令官のエーレンフリート。炎の怪物よ、貴様の相手はここにいるぞ」
エーレンフリートが放った矢は、火の鳥まで到達したが、そのまま胴体をすり抜けてしまった。
どうやらあの火の鳥は、燃えさかる火炎そのもので、実体と呼べるものは無いようであった。
それでも火の鳥の注意をこちらに向けることには成功したようだ。
『憐れ、人族のなりそこない。滅ぶべき過去の失敗作の身で我に弓ひくとは……』
火の鳥は脳に直接響くような声を発し、そしてエーレンフリート目掛けて放射状の炎を吐いた。
迫る炎の渦を前に、エーレンフリートは目を閉じ、覚悟を決めた。
本来であれば、岩山の里にザームエルの魔の手が伸びた折、玉砕して散らすはずであった命。この場で捨てるのは惜しくはない。
ただ出来ることなら、クロードに拾ってもらったこの命を使い、家族と生まれ育った里を救ってもらった恩をどこかで返したかった。
胸の中に残るのは、クロードへの申し訳なさだけだった。
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