第302話 国家の承認
レーム商会の会長であるマルクス・レームが首都アステリアに移住してきたのは今年の春先であった。
息子のヘルマンに事業の大半を引き継がせ、自らはこの首都アステリアで一から新規事業を立ち上げるつもりであるらしい。
魔境域の商業事情の勉強と称し、毎日、クロード・ミーア共同商会の本店を訪れている。
ミーアは最初ひどく迷惑そうであったが、最近はすっかりあきらめたようで、この一緒に暮らしたことのない父親に店番などをさせるなど、扱いにも慣れてきたようだった。
マルクスは前年に、四人目の妻を流行り病で亡くしたそうで、それが移住を決断した理由であるらしい。
物資の密貿易の件で頻繁にやり取りしていた息子のヘルマンから、マルクスの移住の相談を受けたクロードは最初驚いたが、実際に会って意志の固さを確認すると≪次元回廊≫でアステリアに招くことを決めた。
現在のところ、クローデン王国側からこのアステリアを訪れるには鬱蒼とした魔境域の森を超えなければならず、常人にはまず不可能であるのだが、アステリア冒険者組合の活動のおかげもあって、魔物の数が減少しており、ちらほらとであるがたどり着く者も出始めている。
クロードは数名の供を連れ、首都アステリアの中でも比較的人族が多い、ラジャナタン達の居住区にあるマルクスの家を訪ねた。
マルクスの家は庭付きの感じが良い手頃な大きさの家で、かつての豪華な身なりからすると少し意外な感じがした。
それでも使用人が何人かいるようだし、庭の手入れも行き届いていた。
わびしい老人の一人暮らしという寂しさは感じられない。
扉を叩くと用心棒代わりに雇っているのか、ラジャナタンの民の屈強な若者が応対し、用件を伝えると中に案内してくれた。
話を聞くと、この若者は、母方がラジャナタンであるというマルクスの遠い親戚にあたるのだといい、住み込みで身の回りの世話から出歩く際の案内役まで頼まれているようだ。
よく見るとどことなく骨格がマルクスに似ている気もする。
「エグモント王との会談か。それは難しいかもしれんな」
クロードの話を聞いたマルクスの第一声がそれだった。
「レーム商会と付き合いがある有力貴族に賄賂を握らせれば、会うことは可能だろう。しかし、それはあくまでも謁見であって、対等な話し合いなど望むべくもない」
「そうか、やはり無理か」
「新しい商業都市の構想自体は面白いとは思う。魔境域に人族の経済圏を繋げようというのだからな。だが、それが今やらなければならないことかね。このアステリアの建造が終わり、君のアウラディア王国もまだよちよち歩きを始めたばかりだ」
マルクスは椅子の背もたれに深く寄りかかり、使用人が入れた薬草茶を
「うむ、苦いな。だがこの魔境域産の薬草茶は飲むと気分がすっきりとする。長命草という薬草も入っていて、さらに目にもいいらしい。魔境域外には出回っていないが、こういった物産を貴族連中は
クロードは勧められた薬草茶を飲みながら、黙ってマルクスの話を聞いた。
「クロード、いや、もう呼び捨てには出来んな。はじめて会った頃は、国を立ち上げたばかりで、まだどのように転ぶか見定める必要を感じていた。わしが知るどの国とも異なる体制と法の下で、果たして国として成り立つのかとな。だが今や立派な法治国家として成立しておる。これだけ多様な種族が暮らす都市で、これだけの治安と繁栄をもたらすなど並大抵のことではない。この都市に暮らす民と同様にクロード王陛下と呼ばせてもらうよ」
元の世界の様々な政治体制を参考にアイデアは出したが、組織として、あるいは法律として形にしてくれたのは全て鬼籍に入ってしまったオイゲンの功績だ。
しかし、マルクス・レームのような人物に褒められるのは悪い気はしない。
「だが、魔境域外の周辺国はそうはいかない」
マルクスの目が、初めて会った時に感じた厳しさを帯びた。
「特にクローデン王国は絶対に君を王とは認めないだろう。周囲を野心ある大国に囲まれたクローデン王国にとって北の魔境域は魔物の侵入こそ警戒が必要なものの、唯一の中立地帯だ。そこに新たな脅威となる新興国の誕生などあってはならぬこと。エグモント王から国家の承認は受けられないだろう。陛下は御存じないかもしれないが、数年前の神聖ロサリア教国の侵略があった時に、彼の国から和睦の条件として東部二州の領有権を認めること以外に、魔境域に共同で進軍し、魔境域内に興った新しい国を征討する話が出た。二カ国で魔境域をどう分割するかまで話し合われたらしいが、神聖ロサリア教国の政変でうやむやになってしまった。エグモント王はもともと魔境域を自領に吸収しようと調査隊を頻繁に出していたし、この話にも乗り気であったそうだ」
「神聖ロサリア教国はどうなんだろうか。東部二州の旧クローデン王国領側に新都市を作るわけにはいかないか」
「神聖ロサリア教国は、内戦中で未だ先が見えぬ状況だろう。わしがここに移ってきてからまだそう経っていないが、決着がつくのはまだ当分先だ。ああいった内戦は長引くぞ。ただの権力争いで、両者に大義がない。実力も拮抗している。もしかすると国が本当に二つに割れるかもな」
マルクス・レームの言う通り、神聖ロサリア教国は、国王マクマオンと反旗を翻したデュフォール公爵が国を二分する争いをしている。
白魔道教団の魔道士たちからもたらされた情報では、教皇庁を擁護する立場の国王マクマオンに対して、デュフォール公爵は国教を廃し、王家の追放を主張している。
各貴族が国王派と公爵派に分かれ、互いに主導権を相争っている状態だ。
どちらかに肩入れをすることは外政に干渉することになり要らざる災いを招きかねない。
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