第236話 滞在中

未曽有の朝が来た。


東の空が明るみ始めるころから、部屋の外が少しずつ騒がしくなってきた。

意識を取り戻した人々がルータンポワランの街に起こった異変に気が付き始めたようだ。


口論する男女の声が街のいたるところに溢れ、宿の一階からも大騒ぎする声が聞こえた。


何事かと思い、一階に降りていくとほぼ半裸の宿の女主人が下半身丸出しの店の下男に押さえつけられていた。


「いやあ、死なせて、死なせてちょうだい」


「おい、あんた。すまないが、その刃物を見えないところにやってくれ」


言われたとおりに、床に落ちている調理用の刃物を拾う。


昨日の朝、自らの子供を六人も人身供犠じんしんくぎ出したと自慢していた女主人は、気でも触れたのかと思うほどに身をよじり、顔を真っ赤にして大声を上げていた。


「ちょっといいですか。この指を見てください」


シルヴィアが女主人の顔の前に右手の人差し指を立て、優しく声をかけた。


シルヴィアの指先がほのかに光ったかと思うと女主人は急に静かになった。


「応急処置にしかなりませんが、精神状態を≪鎮静≫化させました。心の傷を癒すことは出来ませんが、しばらくは落ち着くでしょう」


「ロサリア様……、どうか……」


女主人はぐったりしたまま、両目の端から涙が流れるままにしている。



人目を気にしてズボンを慌てて履いた下男から少し話を聞くことにした。


下男の話では、昨夜の記憶も毎夜の如く繰り広げられていた淫らな行為についても急に思い出されたのだという。

さすがに詳細については口をつぐんだが、まるで懺悔でもするように、少しずつ言葉を選んで話してくれた。

記憶の中の自分がやった様々な行為について、その時は正しいと思ってやっていたはずだが、今思い出すと身の毛がよだつ様だと突然、頭を抱えた。


記憶の隠蔽と精神に対する興奮作用、催淫作用があの鐘を用いた術の主な効果であろうが、それ以外にも何か他の作用があるのかもしれない。


「私は魔道士なので非魔道士よりは術の効きが弱く、記憶が残っていましたが、鐘の音については朧気でした。それが今でははっきりと思い出せます。この方々は、鐘の音はおろか毎夜の記憶さえもなかったようですし、術の影響下にあった期間が長期に及ぶ場合は、何らかの人格改変も行われていた可能性がありますね。聖女アガタの説法でも鐘を使った術とは違う別の術が施されていたのかもしれませんし、いずれにせよ、街一つを意のままに操る能力。魔道ではないようでしたが恐ろしい能力者です」


シルヴィアは静かになった女主人を眺めながら、そう分析した。



街の外はさらに混乱の極みだった。

隠蔽されていた記憶が戻ったことによる混乱と動揺が、騒動を一層大きくした。

街のあちこちで喧嘩や報復が行われ、現実を受け止めきれず自殺する人間も少なくなかったようだった。


夜な夜な繰り広げられる狂乱を忘れ、日中は敬虔なロサリア教徒として暮らすという本人が自覚しないままの、あまりに乖離した二重生活。


一般のロサリア教徒は本来、禁欲的な人間が多かったようなので、自分たちがしてきた長きにわたるおぞましくも淫らな行為の数々に心が耐えきれなかったのかもしれない。



近くにいる異性に群がり、欲望に任せて次々と相手を変え、体力が続く限り、交わり続ける。

記憶のないままに見ず知らずの相手の子を身ごもったり、神への信仰と信じて、我が子を差し出したりした。


正気が戻った今となっては到底受け入れがたい事実であろう。



教皇の死はその日のうちに大衆の知るところとなり、この騒動の渦中にあっても大事件として扱われた。


屍を発見したのは教皇の身の回りの世話をする神官で、駆けつけた衛兵が大聖堂と教皇庁宮殿の建物内を捜索し、教皇パウルシス二世を殺害したと思われる四人の異形の女を捕縛した。

額に埋め込まれた魔石や下半身を覆う蛇のような鱗から魔物の一種であろうということになり、近いうちに教皇殺害の主犯として公開処刑されることになったようだ。


消えた聖女アガタについては捜索が始まり、首都中を探しているようだが有力な手掛かりや目撃情報は今のところ見つかっていないようだ。


デミューゴスや聖女アガタが事態の収拾に乗り出してくるかとも思われたが、数日待っても姿を現さなかった。

もう少し様子を見る必要があるが、標的と考えていた女神ロサリアが消滅した今、神聖ロサリア教国を見限り、保身第一で逃げ去ったのかもしれない。


クロードたちは巡礼者を装いながら、ルータンポワランにしばらく滞在し情報収集を行った後、魔境域に帰還した。


滞在中、クロードとシルヴィアはどちらからということはなく、夜になるとお互いを求めてしまい、すっかり恋人同士のような関係になってしまっていた。




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