第234話 封印結界脱出

「ああ、残された時間はもうあまり残ってはいないようです。自我を保つのが難しくなってきました。このようなことを頼めた義理ではないのですが、できうることならば我が信徒たちの命を救っていただきたい。神としての責務を果たすことができなかった力無き、愚かな神の最後の願いとして……」


女神ロサリアはもう一歩こちらに歩み寄ると悲痛なまなざしでクロードの目を見つめた。


「私たちが閉じ込められているあの空間は、あの無数にある蠟燭の灯を消し去らねば脱出できない仕組みになっているようです。蠟燭の灯は私の信徒たち一人一人の命と直結しており、消せば死にます。これは本来私が得られるはずだった信徒たちの信仰により生み出された神力を用いての術なのでわかることですが、デミューゴスはあなたの人としての情につけ込み、我が信徒の命を人質とすることで力尽くでの脱出を防ぐ腹積もりだったのでしょう。ですが、私が術の発動前に貴方に取り込まれたのは完全に計算外だったようです。私を完全に取り込んだ貴方なら、蝋燭の灯を消すことによる解術をしなくても外に出られるはずです。どうか無辜の信徒たちの命を……」


女神ロサリアはその言葉を最後に光の塊となり、そして散った。


舞い散る光の粒子はクロードに集まり、そして吸い込まれていった。



意識が現実世界に戻る。


クロードは辺りを見渡し、状況の把握に努めた。

シルヴィアは、もうすでにこの異空間について調べ始めたようで、先ほどの魔石人間が立っていた辺りの蝋燭を凝視していた。


このままでは試しに火を消してしまうのではないかと思われたので、シルヴィアにも目視できるように体の具象化をせねばと思い立ったその時、胸の辺りに鈍い衝撃と痛みが走り、思わず膝をつきそうになる。


何事かと思い、自身の胸元に意識を集中すると信じられないものがそこにあった。


心臓だった。


神気のみで構成されていたはずの体の中心に生身の人間の心臓があった。


心臓を中心に太い血管や臓器が少しずつ再生を始めている。

≪自己再生≫のスキルによるものかと思われたが、どうやらそうではなさそうだ。

人間の肉体を失った状態では魔力塊が無く、魔力を原動力とするこのスキルは発動しないはずだ。


まさか。


シルヴィアの近くに転がっている焼け焦げたかつての自分の肉体を見ると異変が起きていた。

少しずつ分解が進み、分解されてできた物質が自分に向かって飛んできている。


露骨に肉片というわけではないが、正直気持ちがいい光景ではなかった。


肉体の再生が進むにつれて、自分を満たしていた万能感や神力が閉じていくのを感じる。


急がなくてはならない。


クロードはこの無数に蝋燭が立ち並ぶ奇妙な空間に満ちた神力を己に取り込もうとした。

術の解除ではなく、空間を構成している神力自体を吸収し、この封印結界を維持できない状態にしようと考えた。


女神ロサリアを同化作用により取り込んだことで、この封印結界内の神力をまるで最初から自分の力であったかのように感じる。


術者であるはずのデミューゴスとの神力を巡る主導権争いは完全にこちらに分があるようだった。

やはりデミューゴスにとってはあくまでも借り物の力であり、本来の持ち主である女神ロサリアを取り込んだ自分の方が有利だった。


結界を構成している神力がクロードの元に集まりだし、それが自分に取り込まれていくのを感じる。神としての力が増す。そんな実感があった。



肉体の再生が終わる前に何としてでもこの封印結界から脱出しなくてはならない。


頭上の景色が剥がれ始め、教皇パウルシス二世の私室の天井が見え始める。


「これは……何が起きているのか。それにクロード様の御遺体が」


さすがのシルヴィアも周囲の目まぐるしい変化に驚きの表情を浮かべている。

常人をはるかに超越した魔道士にとってもこの状況は驚嘆すべきものであるようだ。



全ての景色が元の室内に戻った。

どうやら封印結界からの脱出には成功したようであるが、肉体の再生は不完全だった。


クロードの肉体の再生はまだ途中だというのに、材料になる物質がもう先に無くなってしまった。

ほとんどの主要臓器と魔力塊は再生が終わっているが、むき出しの臓器が悲鳴を上げ、中途半端な骨格に張り付いた筋肉に痛みが走る。


「ク、クロード様なのですか」


シルヴィアが駆け寄ってきた。


彼女の目にはさぞグロテスクな姿が映っていることだろう。


ようやく≪自己再生≫が始まったようだ。

痛みで意識を失わぬように保ちながら、使える限りの神力も動員して、肉体の再生を急ぐ。

もうすでに再生した部位を参考に火神オグンから得た≪物質創造≫で、≪自己再生≫のまだ及んでいない部位の構築を助ける。


ようやく痛みが消えた。

皮膚と髪の再生が終わり、全身が元通りになる。


「クロード様、良かった。無事だったのですね。本当に……良かった」


シルヴィアが柄にも無く、涙を溢れさせたまま抱き着いて来た。


「シルヴィア、心配かけた。この通り簡単には死ねない体らしい」


クロードは、手を握ったり閉じたりして、自分の体の感触を確かめた。

やはり先ほどの状態と異なり、神力の使用には制限がかけられているような感覚があったが、それでも一つ前の肉体と比べるとその効力は弱まっているように感じられた。


デミューゴスの神力を帯びた雷撃によって、その体積を大きく減らしてしまったことで、全体に占める構成率が大きく下がったことが影響しているのかもしれない。


確か≪肉獄封縛≫だったか。

最初の肉体を失った後、あの宇宙空間を進む最中に無理矢理与えられた肉体はやはり普通の肉体ではなかったのかもしれない。


あたかも俺を封じ込めようとするかのように、死体となっても尚、自分のところに戻って来て、勝手に肉体を再生し始めた。


現在のところ、≪肉獄封縛≫の効力を帯びた部分は全体の七十パーセント程度で、残りは神力と≪自己再生≫によるものだ。

神力は以前よりも使えるようだったが、≪亜神同化≫により取り込んだ神々の記憶や知識は人間の脳あるいは自我がその膨大な情報量に耐えられないからか、あるいは同化作用の過程で消えてしまうからなのかほとんど思い出すことは出来ない。

スキルの使用方法や断片的な映像により知り得た事実のみだ。


このことが、如何に≪亜神同化≫により、神々を取り込んだ影響で変質しようともベースとなる人格はあくまで≪自分≫なのだという慰め程度の安心感をもたらしてくれてはいる気がする。


≪亜神同化≫によらなくても、人は時の経過と様々な経験で変わりゆく生き物。


かつての平凡な大学生であった自分から大きく変貌しすぎてしまったことに対する戸惑いと幾ばくかの寂しさをかき消すため、クロードはそう自身に言い聞かせることにした。





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