第227話 淫

自分がシルヴィアをどう思っているのか。

そして、シルヴィアと今後どのような関係を築いていくべきか。


古臭い考えかもしれないが、こうなった以上、男としては責任を取るべきだと思うが、もしそれを伝えたとして、それをシルヴィアは受け入れてくれるのだろうか。


自分が勝手に一人で舞い上がって、空回りしているということはないだろうか。


考えれば考えるほど悩み深まるばかりであったが、時間の経過は無情だ。


日が沈み、また夜が来た。


シルヴィアは自身の脳に外部からの干渉を防ぐ防護の術をかけ、昨夜と同じ現象が起こるのか真剣な表情で待機していた。

もう同じ失敗はするまいという固い決意が銀色の双眸からは伝わってくる。


昨夜とおそらく同時刻。

また周囲全方位、あのおびただしい数の鐘の音が一斉になり始めた。


「なるほど、これは魔道ではない。魔力は感じないし、これほど広範囲に効果を及ぼす術など白魔道にはない。鐘の音が空気を震わす振動になんらかの細工がしてあるようですが……」


シルヴィアは自身に影響を及ぼさんとしている術を神妙な面持ちで分析している。


自分はというと昨夜同様、≪精神防御≫のおかげで、何かの力が自分に向けられていることは分かるものの影響はなさそうだ。

ヤニーナやデミューゴスの術も防いでくれたことがあったが、自動で発動しているようだし、非常にありがたいスキルだ。


部屋を出ると、客室の内のいくつかから、男女の激しくも艶めかしい声が聞こえてきて、思わず昨夜の自分たちを思い出してしまう。

シルヴィアの方を振り返ることができない。


宿を出て、通りに出ると人気はないものの、灯りが消えた町のあちこちから、≪五感強化≫によって研ぎ澄まされたクロードの耳に、鐘の音の響きに紛れて、老若男女、様々な人々のあの時の声が聞こえてくる。


大聖堂にそのまま真直ぐ向かうと、建物の周囲では目を覆いたくなるような光景が広がっていた。

翌日以降の聖女アガタの説法を夜通し待っている巡礼者たちが人の目もはばからず、路上で男女の交合をしていた。

一人の女に複数の男が群がり、また別のところではその逆のことが行われている。

とにかく目につく近くの異性と手当たり次第に交わっているようであった。


もし、昨夜も、いや毎日これと同じような光景が繰り広げられているのだとすると、日中のあの穏やかで禁欲的とも思える人々の様子とはかけ離れており、彼らの記憶はどのようになっているのか不思議であった。


シルヴィアの様子を見るに鐘の音については少し覚えがあったようであるし、やはり厳しい修行の日々により常人が持ちえない力を有する魔道士と一般の人々では術の効きに多少の違いがあるのであろうか。



「すげえ、美人じゃねえか。やらせろよ」


シルヴィアの存在に気付いた巡礼者の若い男が飛びかかってきた。


シルヴィアは素早くそれに反応すると、抱きつこうとしてくる男の顔に肘打ちをくらわし、即座に駆けだした。

魔道士と言えば、あまり肉弾戦に強い印象はなかったが、今の動きはなかなかに鋭く、訓練された動きに見えた。


「大聖堂の鐘楼に急ぎましょう。この奇怪な鐘の音の正体を突き止めなければ」


鐘の音の効力で、異性を求めどこかに行ったのだろうか。

大聖堂の入り口には、見張りなどもおらず無人だった。


深夜ということもあり、扉は固く閉ざされていたので、クロードはこれを強引に蹴破り破壊して、大聖堂内に侵入した。


前室を抜け、無人のホールに足を踏み入れると左方向にある鐘楼への登り口に急いだ。

外観からするとこちら側に鐘楼があったので、この階段で間違いないはずだ。


クロードは五百段近くはありそうな石の階段といくつかの踊り場を駆け上り、塔頂部にたどり着いた。


塔頂部は思ったよりも空間があって、壁には四方、大きな開口があり、この場から首都ルータンポワランの全景を一望することができた。

部屋には大人一人がすっぽりと入れるくらいの大きさの鐘とそれより二回りは小さい鐘が二つ吊るされており、無人にもかかわらず、妖しげな黒い光を放ちながら、揺れていた。間違いなくあの鐘の音の発生源だった。


火神オグンの≪発火≫による神の火で焼き尽くしてやろうと掌を鐘の方に向ける。

神力を少し消費してしまうが、魔力具現化に耐えうる剣を持ち合わせていないので仕方がない。


「クロード様ですね。お待ちしておりました」


突如、背後から声が聞こえ、慌てて振り返ると見知らぬ女が立っていた。

女はほぼ全裸だったが、身体のあちこちに貴金属や宝石を加工して作った装飾品を身に着けていた。

豊満な肉付きのいい若い女で、淫靡な表情を浮かべ、こっちを見ている。

年齢は二十代にも、それよりももっと上にも見える。

奔放な色気を感じさせる化粧と気だるい印象を与える金色の長髪が大聖堂の鐘楼という、本来神聖であるはずのこの場に酷く不似合いだった。


階段を昇る音が聞こえ、ようやくシルヴィアが辿り着いた。

さすがに呼吸が乱れ、登り口の開口に寄りかかっている。


「クロード様、御無事ですか」


シルヴィアは女と対峙するようにクロードの傍らにゆっくりと歩み寄る。


そんな二人の様子を女は淫蕩な笑みを浮かべたまま黙って見つめている。

≪危険察知≫では敵意のようなものを感じないし、武器の類も所持していないようだ。


「お前は何者だ。この鐘の音はお前の仕業か?」


「私はアガタ……、大魔司教様よりこの神聖ロサリア教国を任されし者。ここで立ち話というのも無粋ですね。こちらへどうぞ」


アガタと名乗った女が右手を水平に持ち上げ人差し指で床を指さすと、クロード達の足元に巨大な光のサークルが現れ、次の瞬間、周囲の景色が様変わりした。


景色だけではない。

むせ返るような甘い香の匂い、燭台の灯りがあるだけの薄暗い室内。

女たちの嬌声と天井から吊り下げられた薄い布でできた垂れ幕に映る複数の揺らめく影。


どうやら先ほどの鐘楼の塔頂部から何らかの方法で別の場所に強制移動させられたらしい。


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