第220話 問

ソフィーたちを首都アステリアに送った後、ラジャナタンのオレリアンに事情を話し、彼女たちの今後の生活について世話をしてもらうことになった。

先に魔境域に移住してきた者として、その経験を活かし、相談にのってやって欲しいと頼むとソフィーたちの境遇を哀れに思ったようで、「任せてください」と日に焼けてたくましい印象のその顔を一層引き締め誓ってくれた。


クロードは自分の執務室に戻った後、予定が随分と変わってしまい、一度引き返す羽目になってしまったことをシルヴィアに謝り、再び神聖ロサリア教国の首都ルータンポワランに向かうつもりであると告げた。


「ひとつよろしいですか」


シルヴィアは、ソフィーたちに対する対応については「何も気にすることはありません。素晴らしい行いだと思います」と言ってくれたが、その話の後で何か思い詰めた様子でクロードに質問してきた。


「クロード様の目的は何でしょうか」


「目的?」


シルヴィアの質問の意図がよくわからなくて、つい聞き返してしまった。

どう対処すべきかを考えるために、敵情視察をする意図を伝えていたはずだったが、それでは不十分であっただろうか。


「はい。クロード様の今の目的はアウラディア王国とミッドランド連合王国全体の平和と繁栄だと思っていましたが、私にはそうではないように思えてきました。気を悪くされたのなら謝りますが、咄嗟の判断に誤りが出ないように聞いておきたいのです」


「すまないが、まだ質問の意味が分からない」


「それでは、質問を変えさせていただきます。如何なる局面にあってもクロード様はなぜか神聖ロサリア教国の兵の命を奪おうとはなさいませんでした。魔境域内の侵入者たちに相対した時も、聖堂内で顔を見られたロサリア兵もとどめは刺しませんでした。クロード様の国から見れば神聖ロサリア教国は敵対者であり、侵略者。もし、これを退けようと思うのであれば、最も簡単な方法はローデス城の人間を一人残らず殺してしまうことだったのではないでしょうか。クロード様の御力の全てを見せていただいたわけではありませんが、そう望むのであれば可能であったのかと。神聖ロサリア教国からすれば、遠く離れた前線で何者がやったのかはわからないでしょうし、それだけの被害が出れば侵攻計画の頓挫ということもあったのではないでしょうか」


恐ろしいことを平気で言う。

だがシルヴィアの怜悧な顔に浮かぶ表情は、些かの淀みなく、静かだった。


「魔境域の平穏を考えるならばそうすべきだったと?」


「そうは申しておりません。アウラディア王国とミッドランド連合王国のことだけ考えるのであれば、それで事足りると申しているのです。他にも、彼らが輸送してきた軍糧を奪うなり、焼くなりしてしまえば、前線を維持することは叶わなくなるでしょうし、奴隷として扱われることになった人々を救いたいのであれば、あの百人足らずを助けたところでただの気休めにすぎません。クローデン王国の捕虜が捕まっている場所を探り出し……」


どうやら、これまでの行動を観察していて、様々な疑問や意見が溜まっていたようだ。

シルヴィアは、語気を強めることもなく、滔滔と耳が痛くなる言葉を発し続けてくる。


正論だった。

おそらくこの世界では。


この期に及んで人を殺めることにためらいがある自分の選ぶ行動の選択は、彼女だけではなくおそらく多くの人から見て違和感があるものなのかもしれない。


「すまない。全部、その通りだと思う。甘いと思われるかもしれないが、敵であれ、味方であれ、できるだけ人が死なない方法で解決したいと考えている」


「それは何故でしょうか。私が知りたいと思っているのはまさにその部分なのです。私がベジェで見張りを眠らせるにとどめたのはクロード様の心中を勝手に推察してのこと。何かそうせざるを得ない理由があるのであれば教えていただきたく存じます」


シルヴィアと出会ってからまだそれほど月日が経っていないが、合理的で頭の良い彼女の目には自分の行動がどうやら不可解なものに映っているようだ。

恐らく答えなくてもシルヴィアはその使命感から、今後もある程度は付き従ってくれる気がしていたが、クロードはあえて、自らもその答えをわかりかねているこの問いに答える努力をしてみようと思った。


というのもこのやり取りをしていく中で自分の中にわだかまっていた何かが整理され、その輪郭が明らかにされていくような感触があったからだ。


全てを明かし、その上で彼女の意見を聞いてみたい。そう思えた。


クロードは、シルヴィアに自分が元はこの世界の住人ではなく、異なる世界から転移してきた≪異界渡り≫であることを明かした。

敵対する者であってもなかなか命を奪うという選択を選べないのも元の世界の価値観によるものであろうということも伝えた。


一瞬なぜか、まだ≪異界渡り≫であることを伝えることができないでいたオルフィリアの顔が脳裏によぎったが、話を続けた。


問題はあるかもしれないがそれでも比較的平和と言える日本という国で自分は生まれ育った。戦争とは無縁で、食料確保のために他の生物を自ら殺す必要もなかった。

この世界とは何もかもが違う。そんな環境で暮らしていたことが今の自分の価値観の根源にある。


包み隠さず全てを話してもおそらくシルヴィアには完全に理解はできないと思う。

それほどにこの異世界と元の世界は違い過ぎた。


シルヴィアはクロードの話を遮ることなく真剣な表情で黙って聞いていた。

時折、深く頭を垂れたり、天を仰いだりしたが余計な質問を挟んだりすることはなかった。


「私のような者に包み隠さず全てを明かしてくださり、本当にありがとうございます。クロード様が私どもとは異なる価値観と規範により行動しているという点は理解できたように思えます。その上で、伺いたいのです。神聖ロサリア教国の首都で一体何をされたいのですか? 彼の国をどうされたいとお考えか」


シルヴィアの問いに対する答えを自分の中に探す。

長い沈黙の中、禅問答のような自問自答の先に出た言葉が、口からこぼれ出る。


「自分でもうまく言葉にできないんだが、この世界には人が幸せに暮らす上で不必要な存在が多く存在している気がする。現世に不必要なほどに干渉しようとする神々、それを妄信する眷属たち、漂流神、魔物。他にもいろいろとあるのかもしれないが、神聖ロサリア教国の侵攻の裏にこれらの存在があるのならば、それを取り除くことで戦をせずとも問題を解決できるのではないかと俺は考えている。神聖ロサリア教国の首都ルータンポワランで自ら確かめたいのはそれらの存在の有無だ。もし、今回の問題が人間の欲望のみから生じたものであるならば違う解決方法を考える必要があるが、俺は人間の善性を信じてみたい」


シルヴィアの問いに答えながら、自分の中に、ある考えが芽生えつつあることに気が付いた。


神聖ロサリア教国だけではなく、この世界全体でこれらの不必要な存在をすべて消し去ったなら、自分が生まれ育った世界と同等程度には、間違いを犯しながらも、今よりは幸せに人々が暮らせる世界になるのではないかと。


「よくわかりました。今はその答えで十分です。見極めに行きましょう。ルータンポワランへ。かの地に潜む何かが人々を惑わしているのかいないのか、ご自分の目で確かめてください。私は白魔道教団の徒として、身命を賭して≪救済者≫を護ります」


話が終わり、シルヴィアは自らの支度をするため、クロードの執務室を後にした。

去り際、「人ができるだけ死なずに済むようにという考え方。私は嫌いではありませんよ」と振り返り、微かな笑みを浮かべて言った。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る