第212話 俗世欲

「このようなことをしてただで済むと思っているのか。必ずや、ロサリア神の怒りを買うことになりますよ」


「いいから、速く歩け。ロサリア神より、俺の方が気が短いと思うぞ」


クロードは可能な限り凄みを利かせた声を出し、剣先を背中に軽く押し当てる。

我ながらなかなかに悪人ぶりが板について来たのではないかと思うが、神聖ロサリア教国の人々に与えた印象を考えると複雑な気持ちになってしまう。

何より和平交渉的なことをしに来たつもりだったので、このような展開になってしまったこと自体が残念だった。


「わかった。乱暴なことはしないでくれ。大人しくしておれば、本当に無事に解放してくれるのだな」


「何度も言わせるな。皆に手出ししないように言い続けろ。誰かが向かってきた時点でお前は死ぬことになる」


クロードはマルティヌス枢機卿を人質に取り、ローデス城内を出口に向かって進んでいた。

行き会う城内の人間に恫喝と警告を続けながら、周囲と人質に気を配るというのはなかなかに大変なことだったが、よほど死にたくないのかマルティヌスが優秀な人質ぶりを発揮してくれているので、救出を試みようとする輩は今のところ現れていない。


城主の間にいたデュフォール公爵たちも「追ってきたら、枢機卿を殺す」という脅しが効いたのか、あるいはいなくなってくれた方が都合が良いという算段が働いたのか追ってきていない。


「お前たち、余計なことはするな。私は大丈夫だ。この男の言う通りにせよ」


マルティヌス枢機卿は顔中汗だらけにしながら、必死で道を開けるように訴え続ける。本当に模範的な人質だ。


普段から訓練や運動などはしないのか、ひいひいふうふう言いながら、ゆっくりと歩みを進める。走り出したりは出来そうもないほど肥えており、体を支えるだけでも大変そうだ。

それにしても宗教者とは思えない自堕落な体型である。

ロサリア教については、アダーモから借りた聖書を読んだ程度の知識であったが、たしか人々には過度の贅沢を戒める一節があったはずだ。信者たちの模範になるべき枢機卿がこのような有様で務まるのだろうか。


遠巻きに城内の人間が見守る中、出口の扉を開けさせ、城外に出た。

衛兵たちが変な気を起こさないように気を配りながら、外の景色が開けた辺りまで慎重に進む。


城内で遭遇した者たちが増え続けて、ぞろぞろとついて来ているが、マルティヌス枢機卿の言葉通り、見守るばかりだ。


「開け、次元回廊」


ここまでくれば後は楽だ。

万に近い兵が駐留しているであろう、整然と居並ぶ兵舎と城下町のはるか先、視界の中の可能な限りの遠方に≪次元回廊≫の出口を設定し、目の前に出現させた入り口にマルティヌス枢機卿を押し込む。

出た先で再び同様のことを繰り返し、ローデス城から遥か西、魔境域のすぐ手前まで来た。

この距離では、如何に魔道士と言えども追っては来られないようだ。

≪危険察知≫にも反応はない。



「これは一体……。ここはどこだ。おぬし、何をしたのだ」


マルティヌス枢機卿は不安そうにあたりを見回し、狼狽えている。


さて、無事に城を脱出し、枢機卿の拉致に成功したものの、この先どうすればよいのだろうか。


軍全体を率いるデュフォール公爵は軍の進退に関する権限を持ち合わせていないようであったし、侵攻自体を止めさせるのは教皇や国王の承認が必要なようだった。

このマルティヌス枢機卿にしても、貴族たちのお目付け役のような感じであろうし、教皇の説得が可能かどうかまでは期待できないかもしれなかった。


「おい、こんな場所まで連れてきて何が望みだ。金か、地位か、何でも望むものを言え。改宗するなら、私直属の捨命騎士団の団長にしてやっても良いぞ。そ、そうだ、従順なクローデン人の女奴隷を二、三人つけてやろう。私が選んだ美女揃いだぞ」


マルティヌス枢機卿は、立ち尽くすクロードに縋りつき、上目遣いで身代金の話を始めた。


神の言葉に従い、魔境域に住む者を滅ぼすのではなかったのか。

今目の前にその対象がいるのである。信者たちの模範になるべく、率先して挑みかかってしかるべきなのであろうが、彼の口から溢れ出てくるのは俗世の欲にまみれた内容だけだった。

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