第210話 最高位審問官

クロードの態度の豹変にその場にいた全員に緊張が走った。

両膝をつき、牙を抜かれた獣の様に大人しくしていた虜囚が、まるで拘束など無意味だとばかりに縄を魔力による炎で燃やし、縛を解いてしまったのだ。


出入口付近で整列していた衛兵たちが顔色を変えて、クロードと玉座のデュフォールの間を遮るように割って入った。

姿の見えない気配のうちの二つもデュフォールの側に移動する。


「おのれっ」


隣に立っていた兵士が慌てて、槍を構え気合を込めた掛け声とともに突きを放つ。


クロードはそれを事も無げに躱し、槍の柄を片手で掴み、衛兵の体ごと持ち上げると、玉座の前に立ち並ぶ兵士たちの方に向けて、槍ごと放り投げた。

受け止めそこなった兵士たちが後ろにバランスを崩し、列が乱れる。


「血を流しに来たわけではない。デュフォール公爵、あなたと話がしたい。魔境域の話を聞きたくはないか」


内心、ハラハラしていた。

以前、ヅォンガに言われたことがあった、貫禄と余裕を体中から出してというやつをやってみているのだが、上手くできているだろうか。

身分の高い人間というのは、得てして相手の身分の高低で態度を変える傾向にあるような気がする。

優位に進めるためにもデュフォールに、少なくとも交渉する価値がある存在だと思わせたい。


マチアスや先遣隊の若者たちの様な狂信的な人間がどの程度の割合でいるのかわからないが、魔境域侵攻の目的のために東部二州を奪取する侵略戦争までやってしまう国だ。


放置すれば魔境域に深く入り込んでくるのは時間の問題に思えた。


一か八かだったが、幸運にもこの軍の最高責任者と思しき人物と口を利く機会に恵まれたのだ。この機会に何とか戦争を回避する方向にもっていきたい。


防衛に徹し、何度も侵入してくる神聖ロサリア教国軍を追い返すのは悪手だ。

どちらが先に手を出したかではなく、犠牲が出る都度、憎悪が積み重なっていく。

話し合いでの解決がやはり理想なのだ。

お互いどこかで折り合える可能性があるのか、まずはそれを探りたい。


「お前たち、下がれ!」


人垣の向こうから、デュフォール公爵の一喝が飛ぶ。

慌てて両者間を塞いでいた兵士たちが脇に避ける。


「私もお前と話し、確かめたいことがある」


デュフォールは玉座から立ち上がり、側近の遮る手を押しのけ、数歩前に進む。


「先ほど、アウラディアの王だと言ったな。アウラディア……、そのような国の名前を私は知らぬ。お前たちはどうだ。誰かこの中でそのような国の名前を知っている者はあるか?」


デュフォールは大きな身振りで配下の者たちに問うが、誰も何も答えない。


「ここにいる者たちだけではない。恐らく魔境域外で、お前の言うアウラディアを知り、その存在を認めている国は一つとしてあるまい。国とは相手の国に認められて初めて国たり得るのだ。つまり、アウラディアなどという国は存在しない。魔境域はまだ手付かずの領土だということだ」


妙だ。

何か話が違う。

神聖ロサリア教国は、教皇とやらの言葉を信じ、魔境域に出現した≪≫を打ち滅ぼすために兵を挙げたのではなかったのか。


「国が存在しないのであれば、魔境域に侵入する意味などないだろう。魔境域に暮らす者たちは争いを望んでいない」


デュフォールがこちらに何か小さなものを投げて寄こした。


その小さな者は床で跳ね返り、眼下まで転がってきた。


硬貨だった。

少し緑を帯びた銀色。表面に施された精緻な図像。


マテラ渓谷の遺跡群で発掘した魔銀ミスリルでできた硬貨のようだった。


「ほう、顔色が変わったな。お前はその硬貨が何であるのか知っているようだな」


「この硬貨が何だというのだ」


「その硬貨は、最近になって私がとある商人から手に入れた物だ。クローデン王国より持ち込まれ、彼の国でも美術品として大層人気があるらしく、その希少性からなかなか手に入りにくいらしい。気になって調べさせると、ある商会が一手にこの精巧に作られた硬貨を商っていることが分かった。この商会を調べてみると、どうやら他にも魔境域より持ち込まれた品々が時同じくして売り出されるようになったのだという」


「こんなちっぽけな金属片のために命がけで魔境域に侵入したとでも言うのか?」


デュフォールは、天を仰ぎ、芝居がかった様子で笑い声をあげた。


「そうではない。そこに国があるのかどうかも関係ない。大事なのは、そこに奪うべきものがあるのかということだ。もともと魔境域には、邪神に付き従った者どもが残した財貨の伝説がいくつもある。その硬貨は伝説を証明する何よりの証拠に他ならない。違うか?」


何ということだろう。

この話が本当であるならば、神聖ロサリア教国を呼び寄せてしまったのは自分ということになる。


「この城には、神聖ロサリア教国各地の諸侯が自領の兵士を大勢引き連れて集まってきている。軍馬、装備、そして兵たちを養うための兵糧……、この遠征にどれだけの軍資金がかかっていると思う?教皇とその言葉を妄信する国王の命令でこんな辺境まで駆り出されてきたものの、正直我らは迷惑しておる。逆らえば背教者の烙印を押され、従っても戦費の捻出に困る。我らにとって最も大事なことは、そこに≪邪悪なる王国≫が存在するのかどうかではない」


デュフォールは何か思うところがあるのか感情的になり、顔を紅潮させて捲し立てた。


「デュフォール卿、お気持ちは分かりますが落ち着いてください」


すぐ近くに立っていた年配の男が声をかけると、デュフォールは咳ばらいをし、大きく深呼吸した。


「事情は分かったが、このクローデン王国の東部二州を戦果に引き上げた方が、戦費の削減になるのではないか。魔境域の恐ろしい魔物たちを討ち果たし、アウラディアに到達したとしても、わが国は一騎当千の強者揃い。消耗しきった軍では、誰一人生きて魔境域を出ることなど叶わないだろう。悪いことは言わない。魔境域への侵入など考えないことだ」


クロードは出来得る限り、平静を装い、デュフォールに提案した。


「我らにこの侵攻を取りやめる権限などない。もし望みをかなえたいのであれば、教皇に直談判でもするのだな。決して聞き入れてはもらえまいが……」


デュフォールの言葉の途中で、出入り口付近が何やら騒がしくなり、ロサリア教の紋章が描かれた服や鎧を身に付けた一団が城主の間に詰めかけてきた。


「くそっ、知らせるなと申し付けておったのに……」


デュフォールは頭を抱えうなだれた。


室内に入ってきた一団の中央には、ひときわ目立つ祭服を身に付けたひどく肥えた男が立っていた。

顔中に脂汗を浮かべ、頬の肉は重力に抗いきれず弛みきっている。


「デュフォールよ。魔境域の背教者を捕らえたというのに最高位審問官たるこの私に何の報告もないとはいかなる理由か。申し開きしてみよ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る