第208話 旧約聖書新約聖書

結局、アダーモの必死の説得にもかかわらずマチアスは撤退することを了承しなかった。

あの後、懲りずにクロードに再び挑みかかり、平手打ちで脳震盪を起こしたところをアダーモに拘束され、今は自害せぬように口に丸めた布を詰め込まれた上で、猿轡を噛まされている。


その作業をしている時にアダーモは、「何としてもこの子を親元に連れ帰ると約束しておるのだ」とどこか寂しそうに呟いていた。



アダーモが提案に乗ることを決めたのは、クロードの超人的な強さを見てしまったこともあるが、そもそも彼自身が撤退の考えを持っていたからであるらしい。


だがマチアス以下、若い兵士たちは撤退を主張するアダーモを気弱な老人だと嘲笑い、誰も聞く耳を持とうとしなかった。


背教者からの逃亡は不名誉の極みであり、神への不敬。

そう信じてやまない若い騎士たちを説得できず、悩んでいたところにクロードが現れ、彼らの心を折った。

アダーモにとっては渡りに船といった状況だったのであろう。


魔物の襲撃で多くの同志を失った時でさえも、魔境域へのさらなる侵入を断念しなかった彼らが、今は項垂れ、意気消沈してしまっている。

望郷の思いを口にしたり、中には声を押し殺して物陰で涙を流す者もいた。

手加減したとはいえ、クロードから受けた負傷は決して軽いものではなく、蓄積した疲労と重複して、熱狂的とも言える信仰がもたらした高揚感を醒ましてしまったようである。


アダーモによるとこの兵士たちは、生粋の軍人ではなく、マチアスが故郷から募り引き連れてきた義勇兵で、もとは騎士家系の次男三男や信仰心が篤い若者たちだった。

救国の英雄になるのだと先遣隊に名乗りを上げたマチアスに率いられ、魔境域に足を踏み入れたが、これは戦の怖さを知らないが故の蛮勇に過ぎないとアダーモは言う。


戦歴のある者ほど、今回の魔境域侵攻には慎重な姿勢を示しており、今回の先遣隊にも進んで志願する将はいなかった。

アダーモは再三にわたり、血気盛んなマチアスを宥めたが聞き入れてはもらえなかったそうだ。


「もともと部隊の被害が増えたらマチアス様を何としてでも説得し、魔境域からの脱出を図るつもりではあったのだ。だが、思いのほか、他の若者たちもそうだが決意が固かった。部隊の半数を失っても先へ進もうとするとは思わなかった。正直、困っていたのだ」


アダーモはそう話しながら、二冊の紙束を差し出してきた。


「これは?」


「ロサリア教の聖書の写しだ。この薄い方が旧約聖書。古くからロサリア様の教えだと言い伝えられてきた事柄が記されている。そして、この厚い方が新約聖書。ここ二、三十年のうちに広まり、若い世代の者たちは旧約よりもこの新約の方を信じる傾向にある」


「この二冊はどう違うんだ」


クロードは手渡された二つの聖書を見比べながら尋ねた。


「夜明けまではまだかなり時間がある。興味があるなら読んでみるがいい」


アダーモはそれだけ言うとクロードから離れた場所に腰を下ろし、剣を抱いたまま目を閉じた。

これ以上は話をするつもりはないという意思表示だろう。



クロードは旧約と新約の二冊の聖書を見比べてみた。

どちらも手書きで書き写されたものであるようだが、厚さが倍ほども違う。


旧約聖書の方は薄く、その内容を読んでみると、序文でロサリアたち九柱の光の神々が魔境域に君臨する邪神を苦しい戦いの末破り、世界に平和をもたらしたという事績が記されており、その後はロサリアが人々に向けて、より良い人の世を築くためにと残した言葉が続いている。

他者に思いやりの心を持てとか、人を殺めてはならないなど道徳的な項目が箇条書きになって記されており、内容的にもおかしなところは特にない。

魔境域についても、ただ恐ろしい場所で足を踏み入れてはならないとだけある。

ページ数にしても二十枚ほどだ。


一方、新約聖書の方は最初の序文こそ似たような感じだが、道徳的な項目の列挙はない。

アガタという聖女と光の神ロサリアの対話形式ですべてが進行し、その会話が延々と続く。

そのせいか、文章にまとまりが無く、ページ数が異常に多いのはこの記述形式によるものかもしれない。


序文以降は、邪神との戦いで傷つき疲れた光の神ロサリアが、その母なる神ルオネラの元で傷を癒していたという告白から始まる。


邪神がただ邪神とのみ記されているのは旧約と同じだが、どうやら新約聖書では、ロサリアの母神としてルオネラがいきなり登場するようである。

あくまでも邪神とルオネラを同一視されては困るという何者かの意図を感じるのは気のせいであろうか。


かつてエルマーが、ルオネラという神の名前を知らないと言っていたので、クローデン王国内のロサリア信者は旧約聖書の方の考え方に近いということになるか。


さらに読み進めていくと、例の「背教者を一人殺せば天の国へ。十人殺せばさらに天上での栄誉が約束される」という一節も出てくる。

背教者を殺す事は罪ではなく、真の理想郷への功徳であるらしい。


人族を最も完成された種族とし、その他の種族は愚かで邪神にそそのかされたり、正しく生きることができない哀れな存在であると書かれてあった。

この新約聖書で認められているのは人族のロサリア教徒だけで、その他の存在は背教者――世界を誤った方向に導く存在として断定されている。

人族だけが他宗教からロサリア教に改宗するといった救済的な措置が残されているが、改宗者は生粋のロサリア教徒よりも身分が低く、またそのように扱って良いとロサリア神自らが対話の中で認めている。


人族のロサリア教徒だけが正しき民で、その他の存在、すなわち背教者を殺し、魂を救済することで、殺された者は人として生まれ変わり、ロサリア教徒になる機会を与えられるのだという理屈らしい。


そうして、非ロサリア教徒がいなくなり、ロサリア教徒が地上に満ち溢れた時、光の神々は再び現れ、この世界を理想郷に変えてくれるのだそうだ。


まださっとしか読んでいないが旧約のロサリアと新約のロサリアは別人のような変わりようである。正直、新約の方は完全に嘘くさいという印象だったが、これは信仰心を持たないからであろうか。

この聖女アガタにしても非常に胡散臭い。


「ロサリア様、人族以外は滅ぶべきなのでしょうか。信徒たちがその手を血で染めることをためらうことも考えられると思うのですが、私はどう伝えるべきでしょうか」


このような調子で、ロサリアに投げかける質問が唐突だし、誘導尋問の様にすら思える箇所が多々見られる。答えが先にあって、そのための質問を後から用意しているような印象が強い。


ロサリア教国の人々はこの二つの聖書の差異に疑問と違和感を持たないのであろうか。













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