第207話 舟

恩寵時の異世界間不等価変換が終わって間もなくのことだった。


『ステータスに重大な異常を検出。精密検査と軌道修正のための修復が必要です。指定場所に向かい、必要な処置を受けてください』


音声は同じだ。


そして脳内に地図のようなものが浮かんでくる。


現在地点と大まかな地形。


地図の中央に横たわるように存在するのは魔境域で、指定された場所は北西部の……。



「貴様、一体何が目的だ。我らをどうするつもりだ」


先ほどまで膝をつき項垂れていたマチアスが突然立ち上がり、吠えた。


意識を乱され、指定場所の詳細を確認できなかった。

もっとも場所を確認できていたとしても、素直に指示に従って良いものか判断がつきかねるし、今は忙しくてそれどころでは無い。

大事な要件であるならば、次の恩寵時にでも改めて知らせか何かあるだろう。


精密検査などと言われると病気の疑いみたいで、少し心配にはなるが、睡眠をほとんど必要としなくなったこと以外、体も特に異常は感じていないし、むしろ調子はかなり良い。


ひょっとしたら、自らの異世界転移にまつわる核心的な情報も得られるかもしれないが、軌道修正だの修復だのと言われると、何か良からぬことをされるのではないかと疑念が湧く。


とりあえずこの件は保留。様子を見よう。


まずは目先の問題から解決だ。


「どうするも何も最初に言ったとおりだ。話をしたくて、姿を現したが、そちらが先に襲い掛かってきたので返り討ちにしたまで。むしろ、この後どうするつもりか、こちらから問おう」


クロードの言葉にマチアスは頭を垂れ、押し黙ってしまった。


周囲に転がる彼の部下たちも戦意を喪失したのか、誰も向ってくる気配がない。

先ほどまで滾っていた殺意が憑き物でも落ちたかのように失せてしまっている。


信仰している神、ないしその言葉を語る者によって許された殺人。


自分たちは常に殺す側だとでも思っていたのであろうが、これまで遭遇してきた魔物と異なり、徒党を組んでも及ばぬ力を目の当たりにして、必ずしもそうではないことを悟ってしまったといったところだろうか。

信仰に酔い、邪悪とみなす存在を滅ぼすのだという熱狂的な使命感と連帯感はどこかに消え、残ったのは全身の痛みと挫折感。


ただ一人、目から光が消えていないのは老練な雰囲気のあるアダーモだけであった。


「撤退の意思があるなら、魔境域外まで俺が護衛して連れて行ってもいい」


助け舟を出してみるか。

このまま魔境域にとどまられ、魔物の餌にでもなられたら、逆に彼らを殉教者として利用する考えが神聖ロサリア教国側から出る可能性もある。

弔い合戦として、士気を高められるのは非常に厄介だ。


「我らを生かしてこの森から出してくれると? 」


アダーモは表情一つ変えなかった。


「そうだ。そこの若い騎士を殺したくないのだろう。それに本来、先遣隊の任務は戻って現地の情報を本隊に伝えることだろう。玉砕して散ることではない。魔境域の現状を報告することで、作戦を立て直すための貴重な情報を持ち帰ることができるし、手柄が必要だというなら俺が捕虜になってやってもいい。魔境域の人間を捕らえたとなれば、一応の格好はつくだろう」


「何が狙いだ。そんなことをしても貴様には何の得もないだろう」


マチアスが横から口を出す。


アダーモのいくつもの古傷が刻まれたその顔は、あくまで冷静そのもので、油断なくクロードを見据えている。


「お前たちの軍の上層部と話がしたい。魔境域への侵攻を考え直してもらう。情報を知る捕虜として引き渡されれば、可能性はあるだろう」


これ以上の恩寵発生を避けるためなら、自分は指示するだけに留め、これ以上深入りすべきではないのだろう。

だが、魔境域の人々や自分の周囲の親しい人々の手を血に染めさせ、自分だけ高みの見物をするのは何か違うと思った。


魔境域の民のほとんどは、前大戦の敵対者の末裔という事実、褐色の肌など身体的な特徴もあり、この土地の外では迫害を受けてしまうことになる。

彼らはいまのところ、魔境域にしか安住の地が無い。

戦になれば、おそらく最後の一人になるまで侵略者と戦うことになるだろう。


自分が知る誰かがその犠牲者になるかもしれないと思うと何かをせずにはいられないし、それと同時に彼らに人殺しをさせたくない。


俺は彼らを護りたいのだ。


軍の上層部と会うことができたのなら、魔境域の人々に対する誤解と偏見を解き、侵攻の無益さを説明しよう。

神聖ロサリア教国の実情もこの目で確かめることができるし、もし仮に目的が果たせず、捕虜として処分されそうになっても、今の自分であればなんとか脱出ぐらいはできるのではないかと思うのは自信過剰であろうか。


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