第204話 現世幸福天上幸福

侵入してきた一団の正体はやはり神聖ロサリア教国に属する者たちで、魔境域侵入の目的は新たに興った国、すなわちミッドランド連合王国とそこに住まう人々の命であるらしい。


この血気盛んな若い騎士の言葉が真であるならば、彼の国の教皇とやらが背後にいるらしく、何らかの手段で魔境域に起こった変化を知り、新たに打ち建てられた国々を邪悪なものとみなしたうえで、それを害することを信徒たちに呼びかけているらしい。


それにしても愚かな教えだ。


背教者を一人殺せば天の国へ。十人殺せばさらに天上での栄誉が約束される。


自らの死後の保証のために、他者に平気で危害を加えることを良しとする教えなど、まさに邪悪そのものではないだろうか。しかも、生き返った人の話を確認でもしない限り、死後の世界で本当に栄誉が得られているのかなどわかるはずもない。

ロサリアは、光の神々の筆頭にして主神だという話だったが、碌な神ではなさそうだ。


クローデン王国と神聖ロサリア教国の二国間で勃発した戦争までもがこの魔境域への進入路確保を目的としたものであったかは定かではないが、ロサリア教を妄信する兵士たちが今後も侵攻を続ける気であるのならば、迷惑この上ない。


今回の侵入が、この一団の独断によるものなのか、神聖ロサリア教国による侵攻計画の一端であるのかは確認しなければならない。


クロードは自ら≪姿隠し≫の効果範囲外に出た。


「あっ」


正面に突然現れたクロードの姿に、若い騎士が驚きの声を漏らす。

それと同時に背後からはシルヴィアの「何を……」という声も聞こえた。


「マチアス様、お下がりを。貴様、何者だ」


アダーモと呼ばれていた中年の騎士は素早く若い騎士の前に立ち塞がり、剣を抜く。

判断の速さ、身のこなし、そして顔に刻まれた古傷がただ者でない印象を与える。


直接話を聞いてみようと、不意に思い付きで姿を現してみたものの、何と名乗るべきか。できるだけ、こちらの情報は与えず、相手の情報を引き出したい。


「いや、何者というほどのものではない。この魔境域に住んでいる者だが、少し話を聞きたくて姿を見せた。どうだろう、少し話さないか?」


クロードは両手を挙げ、敵意が無いことを示した。


「おい、アダーモ。聞いたか。この魔境域に住んでいると言ったぞ。背教者だ。猊下の仰られたことは本当だった」


マチアスという若い騎士は興奮した様子で剣を抜き、アダーモを押しのけた。


「待て。戦う気はない。お前たちは何の目的で魔境域に足を踏み入れた? 」


「知って……どうするというのだぁ」


マチアスは、アダーモの制止を押しのけ、クロード目掛けて襲い掛かってきた。


クロードは剣を抜くことなく、最初の一撃を難なく躱すと間合いを詰め、マチアスの剣を持つ手の方の手首を掴むと軽く力を入れた。


マチアスは苦悶の表情で剣を取り落とした。

クロードはすかさず背後に周り、利き腕を後ろにねじり上げたまま、羽交い絞めにすると、アダーモの方に視線を向けた。


「神聖ロサリア教国の人は皆、血の気が多いのか。そっちがその気なら、こちらにも考えがあるぞ」


「待ってくれ。そのお方に危害を加えないでくれ。何が聞きたい。質問には俺が答えよう」


アダーモはあまり表情を動かさず、目はこちらを見据えたまま剣を捨てた。


「まず、この若い騎士は何者だ。正直に答えなければ、このまま首の骨をへし折る」


ブラフだ。そんな荒っぽいことはしたくないし、するつもりもない。

だが、この構図と台詞は、完全にこちらが悪役のようだ。

内心嘆きながらも、厳しい表情をあえて崩さないようにして問いかける。


「わかった。質問には答えるので、危害は加えるな。そのお方は、神聖ロサリア教国でもそれなりの地位にある貴族の嗣子だ。もし、そのお方に何かあれば、ただではすまぬぞ」


「なるほど、そんなに位が高い貴族の御曹司がこんな森の中で何をしている。この侵入は神聖ロサリア教国軍の命令によるものか? 目的はなんだ」


「アダーモ……、余計なことを漏らす……な。ぐっ」


クロードは締め付ける力を少し強めて見せる。


「まて、落ち着け。話すから、そのお方に危害を加えることだけはやめてくれ。これから軍を挙げての侵攻が計画されている。我らはその先遣隊をかって出たのだ。目的は魔境域内に出現したという邪悪なる王国を討ち滅ぼし、世界の平穏を守ること」


「魔境域内の者がお前らに何をした。そんな世迷言を信じているのか」


「何かあってからでは遅い。この魔境域には、恐ろしい魔物と光の神々に打ち滅ぼされた邪神の眷属の末裔が今も潜んでいるという。その者どもが結束し、力を増せばこの世は再び大いなる危機を迎える。いいか、これは聖戦なのだ」


このアダーモという男は嘘を言っている様子は無かった。

だが、先ほどまでのやり取りを考えるに、このマチアスと比べて、信仰は持ちながらも「撤退」という現実的な思考ができる人間の様でもあった。

このような人間ばかりであるなら、何か話し合う余地もある気がするが、他の者たちはどうなのだろうか。


ここで彼らを捕虜にしたとしても、神聖ロサリア教国の侵攻を断念させることはおそらくできないのではないだろうか。

死を恐れず、現世の幸福よりも天上での幸福に重きを置く。

敵意が無いことを伝えても、この調子では聞く耳を持ってはくれないだろう。

過ぎた信仰というものが、人から真実を見定める目と合理的な思考を奪ってしまうことは、元の世界でもあったし、それによって人間はどんな惨いことも神の名のもとに行えてしまうのだ。


魔境域の人々を護り、この無駄な侵攻を止める。

一体どうすれば、この事態を血を流さずに乗り切ることができるのだろうか。


「背教者だ! 皆、背教者が出たぞ。出合え……」


しまった。

窒息させないように少し手加減しすぎたか。

マチアスの必死の叫びが、篝火が煌々と照らし出す暗い夜の森に響き渡った。


多数の軍靴の響きと共に兵士たちが集まってきた。









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