第201話 乱

クロードは、自らの周囲の≪世界≫が大きく変貌を遂げようとしている兆しのようなものを感じていた。


これまであまり干渉し合ってこなかった表の世界と裏の世界が交わり始め、常人が認識しうる日常と非日常の境界が曖昧になってきている。

堕ちた神ルオネラとその眷属、九柱の光の神々、精霊、火神オグンら漂流神、そして常人には持ち得ぬ力を備えた超越者――魔道士。


その表裏の混交と時を同じくして、人の世もまた変化にさらされようとしていた。


クローデン王国と神聖ロサリア教国。

かつては轡を並べ、堕ちた神ルオネラを打ち倒した両国がクローデン王国領であった東部の二州を巡って戦争を始めた。


これが神々の大戦から三百年ほど続いた平穏と均衡の綻びなのかはわからないが、クローデン王国の王都ブロフォストは揺れていた。


神聖ロサリア教国の侵攻により東部二州を失ったクローデン王国は失地回復のための軍を送り込んだが、これを成し遂げることができず失意の中にあった。

長く平和に飼いならされたクローデン王国軍には軍略に長けた者が少なく、戦闘を指揮できる人材も乏しかった。


当初は、広く東部を治める辺境伯軍が領地奪還のための軍を派遣したが、狂信的とも言える信仰により団結した神聖ロサリア教国軍を崩せず、膠着状態になった。


防衛線に設置された乱杭や空堀によって、得意の騎馬隊の突進力を封じられたこともクローデン王国軍が苦戦した要因となった。

痺れを切らした国王エグモントが自ら先陣に立ち王軍を率いて迫るも、跳ね返され無駄に戦死者を増やすことになった。


度重なる敗戦に士気は低下し、奪還をあきらめる意見も出始めているのだという。


こうした情報はレーム商会筋や自身が立ち上げたクロード・ミーア共同商会を通じてもたらされる他、気を利かせたアルバンが冒険者ギルドなどで仕入れてくれた情報も含まれる。

利に聡い商人や一攫千金を求める冒険者にとってこの両国間の戦争は今や最大の関心事であり、情報の信憑性は玉石混交ながら参考にはなる。



そして、落葉月の十九日。

二国間の衝突が起こってからまだ一月も経たないこのタイミングで、南の大国が動いた。


アヴァロニア帝国三万の軍勢が国境となっているミスラ川を渡河。

しかも南部の要衝リーヴェンの攻撃を開始したというのである。


この報がクロード達の耳に入ったのは、渡河から一週間ほど経ってからのことであったが、その数日前からブロフォストは慌ただしかった。


武装した兵士の姿が市内で目立つようになり、レーム商会だけでなく、クロード・ミーア共同商会にも軍資金及び物資の供出を呼び掛ける通達が商業ギルドから届いた。

穀物などの食料品の在庫を一定価格、今の相場の半値より少し高いぐらいで国に売り渡せと言うのである。

クロード・ミーア共同商会はほぼ輸入専門と言っても良かったので、販売用の在庫は少なく、影響は限定的であったが、酒保を担うことも課せられているレーム商会にとっては伸るか反るか、難しい舵取りを迫られているようであった。



東の神聖ロサリア教国に、南のアヴァロニア帝国。


おそらく市井の民も同様であろうが、異なる世界から来たクロードにとっては、この両国がどのような国で、いかなる戦力を有しているかの知識が無く、東と南の二方向からの侵攻を受けているクローデン王国がどの程度危うい状態なのか、皆目見当もつかなかった。


もし万が一クローデン王国が滅亡ということになった場合、魔境域にはどのような影響が及ぶのか。ミッドランド連合王国としては、静観していてよいのか、あるいは何らかの手を打つべきか。


周囲をとりまく≪世界≫と情勢の変化が、激流となり、今まで築き上げてきた何かを全て押し流してしまうのではないかという漠然とした不安のようなものが心に忍び寄っているのを感じる。


この激流の中で自分ができることは、ただ翻弄され漂流し続けることだけなのであろうか。


元の世界に戻ることもできず、もたもたしている間に、気が付けば捨てがたい人の縁と責任で雁字搦めになってしまった気がする。失ってしまった記憶の影響もあるのかもしれないが、現時点で元の世界とこの世界のどちらが自分にとって大事なんだろうか。自分は本当に元の世界に帰りたいと今でも本気で思っているのだろうか。


目を閉じ、自らの心に何度問い直してみても答えはわからなかった。


乱れているのは≪世界≫か、自分の心か。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る