第179話 石棺中
石の中に生きたまま閉じ込められるという体験をまさか自分がすることになるとは、生まれてから今日まで全く考えたことは無かった。
全身を取り囲む石は最初、寒天やこんにゃくのように柔らかかったが、全身を包むと途端に硬質化し、それはあたかも琥珀の中の蟲の様に密封され、身動きが取れなくなった。
呼吸のために必要な空気を奪われ、体全体に猛烈な圧力がかかってきた。
魔鉄鋼の長剣を握った手は微塵も動かすことができなかったし、そうこうしているうちに脳内の酸素が少なくなったせいか、あるいはこの石棺の帯びた何らかの力の作用なのか、意識が茫然としてきた。
火神オグンから得た≪発火≫で、神力を込めた火を作り、周囲の石を溶かせるか試そうと思ったその時、体の感覚が全て閉じて、意識が虚無に落ちた。
気が付くと自分は宇宙空間とも違う、まさしく何もない世界を漂っていた。
ただ奇妙なことに目には何も無いようでありながら、すぐ身近には全てがあると感じられるような不可思議な空間。
先ほどまで着ていた火炎無効属性と物質強度強化を込めた神力による衣服も魔鉄鋼の長剣もそこにはなく、一糸まとわぬ姿だった。
ここはどこで、自分はどうなったのか。
先ほどの石の中で窒息死したのだとすると、ここはあの世なのだろうか。
突然目の前にこぶし大の火が現れ、あっという間に人型になった。
黒みがかった深い紅色の神と目を持つ引き締まった肉体の男だったが、顔はなんと自分と同じだった。
『ここは、虚無の大海。集合無意識の中、言うなれば、俺たちの情報の海でもあり宇宙真理の一部でもある』
臙脂色の髪をした自分が口を開いた。少し記憶の中の声よりも低い気がしたが、自分の声であるらしかった。録音した声を自分で聞いた時のような違和感を感じる。
「お前は何者だ?」
『我は汝、汝は我……であるようだ。かつて火神オグンと呼ばれしものの残滓。汝の身の内に秘めたる神力により本来の自分を取り戻すことができたが、汝の存在の大きさに取り込まれ、彼我の境が完全に無くなりつつある。そうなってしまう前に伝えておきたいことがあったのだ。肉体の方が意識を失いつつある今ならと思い、残された力で呼び掛けさせてもらった』
「伝えておきたかったこととは?」
『感謝だ。如何なる運命いたずらか、この世界で我らは敵として出会い、このようなことになったが、これは大いなる意志による≪救い≫だと考えている。あのまま神としての存在を保てなくなり、見すぼらしい怪異となり果て、人知れず消え去るのみだった我を汝が救い出してくれたのだ。一時の事であったが、こうして最後に神としての己を取り戻せたこと汝に感謝している』
「あなたが知っていることをもっと教えて欲しい。神々の事、それに元の世界に戻る方法を知っているのであれば……」
『残念ながら、力にはなれない。我の持つ知識の大元はこの集合無意識の大海に飲まれてしまっている。答えは汝自身の中にあるが、この膨大な知識の全てを人間の脳で把握するのはおそらく不可能であろう。不完全とはいえ、この肉体の縛が神としての全能を妨げるのだ。おお、時間がない。今まさに人間としての死が近づこうとしているようだ。このまま肉体ごと永久に石棺の中に封じ込められるのは我らの本意ではない。我が汝に伝えられることは一つ。火は己自身であり、生み出したり、操ったりする必要などこの局面ではないのだということだ。己が火神としてのありようを思い出せ。もはや我は汝であるのだから……』
火神オグンの姿をした自分はそう言い残すと、細かい火の粉の様に散り、体にまとわりついたかと思うとそのまま掌に舞い降りた雪の様に溶けて消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます