第139話 狼爪拳気炎突
クロードの動きが精彩を欠き始めたのを魔将ザーンドラは見逃さなかった。
まるで獲物に飛びかかる前のネコ科動物のように大地に伏せ、渾身の力を放とうとためを作った一瞬。
何者かが大蛇の頭部に飛びつき、右手を高く上げた。
人影は、指示に従い撤退したはずのオロフだった。
おそらく魔将ザーンドラもそうだったのかもしれないが、対戦相手に集中するあまり、第三者の存在と動きを失念していた。
「喰らえ、狼爪拳気炎突!」
オロフの高く掲げた右手の手刀が、まるで炎に包まれているのかの様に青白い魔力に包まれ、ザーンドラの右目に突き刺さる。
ザーンドラの凄まじい叫び声が、激しい戦闘により無残な姿に変わってしまった森に響き渡る。
「こ、この犬っころが……よくもっ」
大蛇と化しているザーンドラの体はのたうち、振り落とそうと大地に何度もその身を打ち付ける。
オロフが作ってくれた絶好の機をクロードは見逃さなかった。
「開け、次元回廊」
クロードは咄嗟に天を仰ぐと、はるか上空を出口に設定した≪次元回廊≫の入口を頭上に作ると跳躍し、自らが作り出した入口に飛び込んだ。
出た先は、先ほど自分が立っていた場所のはるか上空である。
目算なので定かではないが、高さにすれば百数十メートルといったところか。
真下には魔将ザーンドラの全長と吹き飛ばされたオロフの姿が見えた。
重力に従い、降下する最中、愛用の≪魔鉄鋼の長剣≫を自身の魔力で覆い、全てを切り裂く強烈な≪斬撃≫のイメージを付与する。
鋭利で研ぎ澄まされた刀の心像。
脳と魔力塊が連結し、長剣を覆う魔力に変化が起きる。
今回は、森の精霊王を捕えていた虚無の鎖を断ち切った時よりも、さらに多くの魔力を注ぎ込み、コントロールできるぎりぎりの状態まで威力を高める。
地上の巨大な蛇の体に近づいて来る。
ザーンドラも上空のクロードに気が付いたようだ。
隻眼となり、上空を見上げた大蛇と視線が交錯する。
クロードは全力で振りかぶり、魔将ザーンドラに向けて、斬撃を放った。
ザーンドラは身をよじり回避しようとするが間に合わない。
凄まじい威力を孕んだ斬撃がその身に到達する直前、大蛇の体が紫色の光に包まれた。
斬撃はザーンドラの体ごと大地をも切り裂いたようだ。空気が震えるような振動、音と同時に土煙が上がり、辺りの景色を覆った。
クロードは、斬撃の威力で衝突時の衝撃を和らげ、地面に着地し、剣を再び構え直す。
ようやく土埃がおさまってきた。
目に映ったのは、大地に残った深い斬撃の跡とその辺りの時空の歪み、そして人型になった魔将ザーンドラの無残な姿だった。
左腕と左足を欠損し、左側面には斬撃による傷があった。
おそらく人型に戻ることで身体の体積を減らし、斬撃によるダメージを最小にしようという機転だったのだろうが、避けきれなかったようだ。
「見事な一撃だった。負けたよ」
ザーンドラは仰向けになったまま、呟いた。
隻眼となり、残された左目はうつろで、何も見ていないようだった。
「抱くなり、殺すなり好きにすると良い」
「なんで、抱くという選択肢があるんだ。この蛇女め」
オロフが肩を押さえ、足を引きずりながら近づいて来た。
「
マーヤーというのは、ザーンドラの元の世界での種族というか、生物名なのだろうか。人語を理解し、高度な知能を有しているが、その考え方は人というより野生の肉食獣に近いのかもしれない。
止めを刺すべきか正直迷っていた。
生きるために他者を食らう行為は悪なのか。
そうであるならば、自分も悪だ。
生きるためだけでなく、楽しむために必要以上に食事をとるのは自分も同じだからだ。
捕食対象が人間やそれに類する種族であることと、食事量が膨大なことが問題なのであって存在そのものが悪であるとはどうしても思えなかった。
そういう風に生まれついてしまったのだから、仕方ないのではないか。
ただ、自らの親しい人、仲間が犠牲になる可能性を考えると野放しにはできないし、実際に放った仲間の斥候に犠牲が出ており、命を奪う理由がないわけではない。
「俺を殺しておかなければ後悔することになるぞ。我らマーヤーの再生能力を侮るな。こんな傷すぐ治るし、手足もしばらく経てば生えてくる。傷が癒えたなら必ずお前たちの前に再び現れるぞ」
「命乞いはしないのか。まるで死にたいと思っているように見える」
素直な疑問が口から出た。
「死に急ぐわけではない。だが、しがみ付きたいほどの生ではないな。もう普通のマーヤーの一生分以上を生きたが、この世界では我ら≪異界渡り≫は年をとらない。なぜか、この世界に来た時の姿のままだ。こんな世界にただ一人連れてこられて、友もなく、伴侶もいない。永遠に続く孤独。魂を湧き立たせるのは、命のやり取り……すなわち殺し合いだけだ。強者との闘争の果てにマーヤーとしての誇りを胸に死ねるのなら、俺は悔いはない」
ザーンドラは目を閉じ、深く息を吐いた。
両目の端からは涙らしきものが伝っていた。
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