第132話 城柵空堀土塁

春の訪れとともに、まだ雪の残る魔境域ではあったが、あちらこちらで命の息吹ともいうべき光景を目にすることができるようになった。様々な種類の山菜が地表に顔を出し、木々の根元には根開きができていた。


雪深い地域であれば、大量の雪により日々の営みに多くの制約を受けねばならず、春の到来はそこに暮らす全ての人にとって喜ばしいことであるはずだが、このミッドランドの地にはただならぬ緊張感と物々しい雰囲気が満ちていた。


雪が解け、進軍が可能になれば、広大な魔境域の西側を支配しているという魔将ザンドーラの動向が気になる。かつて三魔将は魔境域を三分割し、イシュリーン城がある東部はザームエルが支配していた。中央部を任されていたマヌードは死に、残党がどうなったかは、未だつかめてはいないが、どちらにせよ脅威は城の西側からくる。


西側の守りをより厚くする必要があった。



木々を伐採し、整備された一画には、岩山の里からクロードの≪次元回廊≫を通って移動してきたドワーフ族の工人たちの一部が工房と長屋を作り、少しずつではあるがマテラ渓谷の古代遺跡群から運び込んだ金属スクラップの武器防具への再加工を試み始めた。

イシュリーン城周辺の都市計画図によれば、この辺りは町はずれに当たるが、川が近く、大規模な火災につながる恐れもない。風下であるため、火炉から立ち上る煙と金属を打ちつける音が他の地区の住環境を損なう恐れもなかった。

ゆくゆくは、鍛冶町あるいは、金属以外の職人も集まり、手工業の中心地区に発展することが期待されている地域であった。


先の尖った木杭を並べて作った城柵と櫓。

それに加えて、城の周囲と各種族の居住区の外周部そして、さらにその先まで地形の要衝と思われる箇所に空堀と土塁が作られ始めた。


だが、こうした防衛戦を想定した備えが、実際の戦でどの程度役に立つのかは、指示を出したオイゲン老自身にもわからないとの話だった。このミッドランドには城に籠っての戦を経験したことのある者は無く、軍略に長けた人材もいなかった。

二百年ほど前、イシュリーン城がザームエルによる侵攻にさらされた時、オイゲン老はまだ少年で、戦の指揮など取ったことは無い。古い書物から得た知識と独自の研鑽により、それなりの指示を出せているように見えているだけで、内心は常に葛藤しているのだという。

その他の者も、長く続いた魔将ザームエルの支配下で戦らしい戦など経験したことがない。魔境域内の反抗的だった集落に見せしめと称して襲撃をかけたり、魔境域入口周辺に調査と称して近付くクローデン王国に属する者たちを急襲し、家畜人間として連れ去ったりといった一方的で小規模な戦闘経験があるだけだ。


クロードとオイゲン老は数名の供を連れ、空堀設置のための土木作業を視察に来ていた。その道すがら、ドワーフによる鍛冶場の造営や居住区の再整備など、自らが決裁を下した案件の進捗を確かめながら、宰相たるオイゲン老の説明を受けていた。


「恥ずかしながら、このオイゲン。この歳になるまで、戦の経験も無ければ、内政の経験もありません。若き日より老境にさしかかる今日こんにちまで、エルフ族の復権と独立を夢見て、学問に没頭し続けてはいましたが、あくまでも机上の空論。然るべき人材を育て、あるいは迎え入れる必要がございます。重用していただくのはこの上なき誉れなれど、それがし如きが宰相を務め、万事指図しているようでは、この国の未来はありませぬ」


オイゲン老は馬の歩みを進めながら、クロードに語りかけてきた。


「いや、あなたはよくやっている。あなた無くして、この状況はなかったし、これからも宰相として国のために力を貸してほしい」


クロードは自らの馬を操り、オイゲン老の馬に並ぶように足並みを揃えた。


「ありがたきお言葉なれど、この老体では、いつまでお役に立てることやら。クロード様に耄碌したと思われるのは辛いことゆえ、その前には引退しとうございます。後進の人材の件、心の片隅に留め置かれませ」


オイゲン老はそう言うと、目じりに皺を寄せて、穏やかに笑った。



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