第85話 巨大生物

屋上に出て最初に目に飛び込んできたのは巨大な生物だった。

架空であるにもかかわらず、恐らくその生物の名前を知らない人間は元の世界にもいなかったであろう。

ドラゴン、あるいは竜。

その名で知られた生物が目の前にいる。

全身を鮮紅の分厚い鱗に覆われた、その巨体から滲みでる王者の風格。

爬虫類のような目と、巨大な顎の迫力。

ザームエルが乗ってきた羽が生えたトカゲのような生物とはまるで違う。

月明りとかがり火に照らし出されたその姿は幻想的で、恐ろしさとともに美しささえ感じてしまう。


その巨大な竜と居館から駆けつけてきたらしいオイゲン老たちが対峙している。


オイゲン老は一瞬こちらを見たが、左手の掌を向けた。

来るなということだろう。


巨大な赤竜は、虚ろな瞳でゆっくりと前腕を下ろすとそのまま伏せの姿勢を取った。

これから何が起こるのかと警戒していたので、少し拍子抜けした。

こうして大人しくしているのをみると爬虫類好きの人ならかわいいと思えなくはないのかもしれないが、何しろこの巨体である。屋上が壊れて、つき抜けなくて本当に良かった。しかし、何せ古い城であるから、どこかひびが入ったり、損傷を受けてしまっている可能性はある。


安心もつかの間、竜の姿に異変が起こった。

額の部分に顔のようなものが現れそこから人間の上半身のようなものが生えてきた。

その上半身のような肉の塊は蠢きながら少しずつ明確な形を取り始めた。


「ザームエルはどこかね。奴に用がある。すぐ奴をここに呼びたまえ」


その声は竜の口からではなく、その額に生えている上半身だけの人物から発せられたものだった。

青みがかった皮膚の痩せた男だった。頭部は僧のように毛髪が無く、その眼球の白であるはずの部分は赤く、黒目の部分が白かった。この世界で見たどの種族の特徴とも違う。

何より竜の額から紫紺の服を纏った上半身のみ生えている姿は奇妙で、その容貌も薄気味悪いことこの上ない。


「ザームエル様は供物の調達に自ら出向かれて、まだお戻りでない。ザームエル様に用事であれば日を改めていただきたい」


オイゲンは強張った表情ではあったが、その声は冷静そのものだった。


「期限はとうに過ぎているのだ。今すぐにでも供物千人差し出せ。ルオネラ様の怒りと嘆きが感じられないのかね、君たちには」


「いかに同じ魔将のマヌード様といえども、ザームエル様の許し無くして、勝手をなさるのであれば、後日、争いの元になりますぞ」


魔将。今確かにオイゲンがそう言った。

ザームエルの死を知った場合に攻めてくるという二人の魔将の片割れなのだろうか。

≪危険察知≫で周囲を探ると手勢を率いているようではないし、わざわざ向こうからきてくれたのは逆にチャンスではないだろうか。

総力戦になれば流血は増えるであろうし、ここで打ち取ることができれば被害を最小限に留めることができそうだ。


ただ問題は、あの竜だ。今のところは異常なほど大人しいが、あの巨体で暴れられては、この城もただならぬ損傷を受けるであろうし、犠牲者も出てしまう。


「ザームエルの許しが何だというのかね。約束を違えたのは奴の方だ。文句を言う資格などありはしない。大魔司教殿も、もう待てぬとおっしゃっている」


男は風呂から上がるときのような要領で、竜の額に両手をかけ、下半身を出現させる。

男は屋上に降り立ち、何か石のようなものをばら撒いた。

散らばった石は、それぞれが心臓の鼓動のような律動を始め、またたくまに異形の魔物となった。

異形の魔物はオーガ族と同じくらいの体格で、全身に茶色い体毛がびっしり生えており、顔の中央に大きな目が三つ。遠目には猿の仲間のような姿をしていた。

その数、六体。


背後で大人しくしている竜も加えると瞬く間に、この場を制圧されてしまったかのような空間的圧迫感があった。


「オイゲン、かつて城を奪われ、虜となったことがある君ならわかるでしょう。魔将には手も足も出ないことを。大人しく供物千人引き渡しなさい。さもなくば無理矢理にでも連れて行きますよ。ルオネラ様の御意思はすべてに優先するのです」


「我らとしては、ザームエル様の命令無くして従うわけには参りません」


「そうですか。交渉は決裂ということですか。残念ですね。猿魔ウードゥーども、見せしめに何人か食べていいですよ」


マヌードという青い顔の魔将は両手を広げ、そう言い放った。

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