第9話 命名
オルフィリアの厚意に甘えて、彼女の予備の服を借りることにした。
若草色のシャツに、動きやすいベージュのズボン。
自分がいた世界とは微妙に異なるテイストのデザインだ。
サイズが合わないうえに、下着を穿いてないのでどこか落ち着かない。
しかし、少し前まで半裸だったことを考えれば感謝してもしきれない。
「うん、まあまあ似合うじゃない。女の子用だけど、しばらく我慢して頂戴。町に着いたら、新しい服を買ってあげる」
「町があるのか? 」
「話は移動しながらしましょう。ここに居続けるのはあまり得策じゃないわ」
遮るように彼女は言った。
彼女に促されるままに、森の中を移動することにした。
どこに行くあてもない。右も左もわからない。
今はただオルフィリアを信じてついていくことしかできない。
しばらく森の中を歩くと開けた場所に出た。
いくつも大きな石が転がっており、その傍らに朽ちた廃屋があった。
「大昔の石切り場よ。今晩はここで休みましょう」
彼女は周囲に誰もいないことを確認すると、手ごろな廃石材を並べて、乾燥した木材と落ち葉を集めて焚火をおこした。
「こっちに来て。暖を取りましょう」
彼女は荷袋からパンと水筒を出し、食べるように勧めてくれた。
黒い固いパンを味わって食べ、水筒の水を飲む。久しぶりの人間らしい食事だった。パンの味は素朴で、噛んでいるとほのかに甘みを感じる。むせながら、夢中でパンにかじりつくと、すぐに食べ終わってしまった。
「ごめんなさい。もう無いのよ。明日、街道に出たら、そのまま道沿いに歩くとノトンという小さな町があるみたいだから、そこまで辛抱してね」
どうやら彼女は自分の分まで俺にくれたようだ。
森の民は人族に比べて少食で、先ほどのパンは彼女の3日分だと明かしてくれた。
人族が食べる量にしても多かったのだとか。
申し訳ない気持ちになり、何度も何度も礼を言った。
「ところであなた、名前が無いままだと不便じゃない。もし良かったら、私がつけてあげる」
確かに、これから先、名前がなくては困る局面がいくつもありそうだ。
何より自分の存在を示す名称がないという事実はどこか不安な気持ちにさせてくる。
存在自体が曖昧になったような不思議な感覚。
自分という人間は確かに存在するのに、何者でもない。
「どんな名前なら普通かな? なるべく目立たないのがいいな」
「ナハトゥ・ジークン・ムートというのはどうかしら? 古い言葉で『月夜の番人』という意味なの。今夜は綺麗な月が出ているし、あなたって珍しい黒髪だからピッタリだと思うのよ。どうかな? 」
「良いと思うけど、長いかな。中二病というか、自分がそう呼ばれると響きもなんか照れくさい感じがする」
「中二病? 変なことを言うのね。じゃあ、略してナハトとかジークとか。うーん、ナハトでどうかしら」
いまいちしっくりこない。
「たしかにあなた、森の民ではないから人族の名前の方がいいかもね」
「人族の昔の英雄にあやかって『クロード』というのはどうかしら? オオカミに育てられ、その武勇で国を興し、伝説に語られる人族の英雄。人気があるから、同じ名前の人がたくさんいると聞いたことがあるわ」
クロード、くらうど、喰らう人。
なんちゃって。
くだらないダジャレを考えてしまった。
狼に育てられたわけではなくて、捕まえて食べてしまったわけだが、そういう意味では皮肉が効いてて良いかもしれない。
「じゃあ、その『クロード』で頼むよ」
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