森の賢者

冲田

森の賢者

 大きなお城の素敵なお庭の片隅に、一羽のフクロウがすまっておりました。

 王様のご命令でお城へと連れられてきたこのフクロウは、とても広々と過ごしやすい住まいを与えられ、大事に大事に扱われておりました。ただ、そこは大きな鳥かごのようになっていて、お庭から出る自由はありませんでした。


 このフクロウが、王様に特別大切にされるのには、もちろん理由があります。

 彼は、森の賢者でした。人の言葉を話し、魔法を使い、未来を占うことができるのです。

 王様はことあるごとに森の賢者をたずね、助言をもらったり、魔法の力を借ります。

 ただそれは、森の叡智えいちを独り占めしているとも言えました。



 ある夜、黒猫が賢者を訪ねてきました。

 彼女は鳥かごの外からこっそりと呼びかけました。


「賢者様、賢者様、ようやくお会いすることができました」


「やあ、黒猫さん。お待ちしておりましたよ」


「おかしなことをおっしゃいます。お約束などしていませんのに」


「これは失礼を。ご用件はなんでしょうか?」


「弟子入りのお願いに参りました! 立派な魔女になりたいのです」


 黒猫は、しゃんと背筋を伸ばしました。


「森の賢者様に弟子入りしたいと遠路はるばる森を訪ねましたのに、聞けばお城に仕えているというではありませんか。そこで、衛兵の目を盗んでこのお庭まで忍び込んできた次第です」


「なるほど。なるほど。

 しかし、弟子入りは大歓迎なんですけれどねぇ。ご覧の通り、私は今、人間の王に仕える身。あまり自由がきかないのです」


「それで構いませんとも!」


「では、またこの時間に訪ねていらっしゃい」



 黒猫は言われた通り、毎夜 賢者を訪ねました。

 そして賢者は、知恵や技術を少しずつ、教え授けました。


「今夜は雨が降りそうですね」

 賢者が空を見ながら言いました。


「ええ。わたしはあまり好きではありません」

 黒猫は首をふりふり、身震いをしました。


「そうでしょうね。けれど、水は魔法とは切り離せませんから、あまり嫌わないでくださいね」


「わかっております」


 黒猫はこっそりとため息をつきます。

 賢者はその様子にふふと笑い、そして言いました。


「雨が降り始めると、考えることがたくさんあります。

 それは洗濯物のこと

 それはうるおう土のこと

 それはふるやのもりのこと

 雨の日は、晴れの日よりも頭が忙しい。


 私たち鳥や獣もですが、特に人間様はあれやこれやと考えて、そして私のところに来る。

 雨が降るのか降らないのか、降るならばませることはできないのか、晴れているなら降らせることはできないのか。

 天の気分など、地上に住まう者がどうにかできるものではないのにね」


「空を舞うことができる、先生でもですか?」


「ひとたび翼を休めれば、空に留まってはいられません。私も、地に縛られているモノの一つですよ」


 賢者は、何か考え込むようにふと口をつぐみ、黒猫は次の言葉を待ちました。


「さて……君にも出来ることが増えてきました。お使いをお願いしましょう。

『降り始めの雨しずく』と、『百年乾いた赤土』と、『山にかかる雲の切れはし』をってきてください」


「それは、私ではとても時間がかかってしまいます。ここの人間に頼めばきっと、私よりもよっぽど早く、たくさん持ってきてくれるように思いますけれど」


「あなたは立派な魔女になりたいのでしょう? ならば、その修行の一つと思いなさい。時間はどんなにかかっても構いませんから。

 ──それから、このお使いはひっそりと。人間様には気取けどられないようにね」


「いったい、何に使うものですか?」


「天の気分を、どうにかしようとする魔法です」



 黒猫は、頼まれた魔法の材料を集める旅に出ました。

 その旅はとても難しく、時に過酷なものでした。

 それでも黒猫は、賢者の教えを活かしながら、ついには三つの材料を手に入れました。


 いつも訪ねていた時間にお庭に行くと、賢者は嬉しそうに黒猫を迎えました。


「あなたならやり遂げてくれると信じていました。

 それでは今すぐにここを出て、森にお戻りなさい。そして、なるべく丘や山になっている場所に向かいなさい」


「せっかく苦労して持ってきたというのに、なぜ追い返すようなことをおっしゃるのですか」


「好機は少ない。今はともかく、言うことを聞いてください」


 黒猫はしぶしぶと、お庭を後にしました。



「雨の降り始めは考えることがたくさんある。

 それは洗濯物のこと

 それは潤う土のこと

 それはふるやのもりのこと

 雨の日は、晴れの日よりも頭も体も忙しい。


 さあ、今夜は雨が降ることでしょう。それはここ百年は見たこともない大雨です。

 降りだしてしまう前にそなえるがよろしいでしょう。

 大事な大事な王様のフクロウのことも、どうぞお忘れなく。おぼれる前にかわいた部屋へ」



 黒猫は、言いつけの通り、森の中の丘に登りました。

 そのうち、ポツリと、鼻先に何かが当たりました。雨粒です。

 今夜は雨が降る気配はなかったのに と思いながら、ポツポツからどんどんと数を増やしていく雨粒から逃げるように、黒猫は葉の茂る大樹にのぼり、枝の根元のうろに潜りこみます。


 雨は、あっという間に滝のような勢いになりました。斜面にはまるでいくつもの川ができたように、水が流れていきます。

 黒猫は不安に眠れぬ夜を、うろの中で過ごすこととなりました。

 そして、夜があけると途端とたんに、不思議と雨は からりとやみました。


 黒猫がようやくウトウトとしはじめたころに、すぐ耳もとにホウホウと 優しい鳴き声が聞こえました。


「やあやあ、君のおかげで万事うまくいきました。森の賢者が、森に戻ってきましたよ」


 大樹の枝に止まったフクロウは、高らかに言いました。

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森の賢者 冲田 @okida

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