8.特等衛士

 京。

 鈴城山の麓に広がる、日ノ本随一の都である。


 碁盤目状に張り巡らされた通りに沿って、木造りの長屋が立ち並ぶ整然とした計画都市。一方で、北の内裏から南の朱雀門まで伸びる大路などは、多くの商店や料亭が軒を連ね、多くの人でごった返していた。


 商人、職人、芸者。色とりどりの衣装に身を包み、十人十色の顔色で、それぞれの人生を謳歌する人々は、みな生気に溢れた表情をしていた。

 彼らが安心して毎日を過ごせる理由——それはやはり、京の都が天照の膝元にあるという実感が大きいのだろう。


 空を見上げてみれば、すぐにわかる。

 青空に浮かぶ、果てしなく巨大な金色の円環。神々の瞳に浮かぶ「輪」と同じものが、空に浮かんでいた。

 端から端まで見渡すのも苦労するような、遥か空の大輪。これこそは神の領土を示す「しるし」であり、境。この天空円環の内側にある限り、人はその地の神の庇護を受けることとなる。


 京の都は千年間、一度として不作に苦しんだことがない。流行り病や天災に見舞われたこともない。時折襲来する妖たちも、白光宮の衛士たちが追い払う。

 大神の庇護の下の、絶対の安寧。それこそが、京を最も美しい都たらしめている。

 故に。都の平和を破る者は、これを決して許してはならない。

 京の敵、悉く誅戮すべし。その神威の代行者こそが——特等衛士である。


           ◇


「開門~~~~、開門~~~~!」


 その日、内裏外れの兵舎はにわかに騒がしかった。

 多くの衛士たちが慌ただしく動き回り、「門」を開けるべく奮闘している。


 ここでいう「門」とは、地上のそれを指すのではない。

 その門は、横ではなく上に向いている。


 兵舎中央の発着場の天蓋が開き、光が一気に室内を満たす。

 急げ急げと皆が足早に行き交うなかで、一人状況についていけない者がいた。

つい二日前に衛士となった新人である。なにせ、急に烏が空から降りてきて手紙を一枚落としていったかと思ったら、一気に先輩方が慌て始めたのだ。訳も分からず、混乱するしかなかった。


「あの、先輩。これってなにをしてるんですか?」

「はあ? なんだおまえ知らないのか? 白い烏が空から降りてきたってんなら、そりゃ用件はひとつだろうが」


 面倒見の良い先輩が、作業の手を止めて答える。


「特等衛士様が降りてきなさるんだ」


 新人衛士が目が驚きに目を見張った、まさにその瞬間。

 空に浮かぶ雲を突き抜けて、四つの影が落ちてきた。


 地上からは逆光で黒い塊にしか見えないが、瞬く間に彼我の距離は縮まり、徐々に全貌が見え始める。

 それは、三つ足の白烏だった。それも、人ひとりが乗れるほどに巨大な。


 大型の八咫烏が四羽、空から地上に降り立つ。

 降りる手前で何度も羽ばたき、速度を殺し、開けた天蓋の門の内に降下する。

 羽ばたきの度に生じる風圧を必死にこらえていた新人衛士だったが、ふと、八咫烏の上に乗る人影に気付く。


「ううああああ~~~、気持ち悪い~~~」


 白い布を被った小柄な少年が、八咫烏の背から転げ落ちるように地面に降りる。


「おいおい大丈夫かよ。ほら、手回せ。いい加減慣れろっての」


 赤い長髪の派手な青年が、半笑いで少年に肩を貸していた。


「……先が思いやられるな」


 陰陽師が身に着ける法衣を半分だけ着崩し、特徴的な刺青を晒した青年が溜息を吐く。


「さて。みなさん、お迎えありがとうございます。あなた方の献身に、敬意を」


 最後に、柔和な笑みを浮かべた華のような青年が、凛とした声でそう告げた。


 

 その場に集う誰もが、一目で理解した。

 特等とは、まさしく神に選ばれた「特別」な人間を指す称号なのだと。

 それほどに、まがいなりにも同じ衛士とは思えないほどに。

 地上に降り立った特等衛士たちの姿は、鮮烈だった。色んな意味で。


  ◆


「さて、これからどうする?」

 

 出迎えの用意をしてくれた衛士たちを労い、その場を後にした四人は、とりあえず内裏の正門付近で今後の方針を練っていた。


「天照様のお話からは差し当たっての手がかりは得られなかった。ざっと見たところ都にも目立った異変はない。はっきり言って現状では手の出しようもないが……」


 眉間に皺を寄せた國光が、難しい顔のまま他の三人に視線をやる。

 寅丸は、ようやく多少は烏酔いが治ってきたのか。それでも未だ具合が悪そうだ。明らかに作戦どころではない。

 一成は、いつも通りのにこにこ笑顔。何を考えているのか、不思議と訊きたくない。

 そして残る篝はといえば——わざとらしく顎に手をやって、如何にも「私考えてます」と言わんばかりであった。

 

「なあ、くにみっちゃん。俺、ひとつ重大な問題に気付いたんだが」

「その呼び方はやめろ……なんだ、その問題とやらは?」

 

 正直いやな予感しかしなかったが、それでも國光は訊くことにした。


「いや実はさ……俺、すごい腹減ってたわ」

「……………は?」


 國光の口から、尋常ではなく低い声が漏れた。

 対照的に最高にイイ笑顔を浮かべた篝は、おもむろに寅丸の首根っこを引っ掴み、しゅたっと片手を突き上げる。


「じゃっ、俺、寅丸といっしょに飯食ってくっから。じゃあな!」

「へっ? え? なにちょっと待って、ちょっとおおおおぉぉぉぉぉ⁉」


 最後爽やかに言い残して、篝は走り去っていった。ついでに寅丸も拉致された。

 國光がようやく硬直から立ち直ったころには、二人の姿は影も形もなかった。


「——————っっっっっ‼ あンの、馬鹿がっ⁉」

「まあまあ抑えて抑えて」


 爆発する國光を宥める一成。半笑いである。正直面白がっていた。


「四人で固まって動いても埒が明かないし、僕らは僕らで動こう。ねっ?」

「………………ちっ。ああ、そうだな」

「とりあえず、街の様子を把握したい。おかしなところがないか、都全体を可能な限り精緻に。お願いできるかな?」

「ふんっ」


 未だに怒りが収まらない様子の國光だったが、任務には徹するらしい。

 懐から形代——人型に切った護符に術式用の文様を描いた法具——を取り出した。

 苛立たし気に鼻を鳴らし、「馬鹿げたことを訊くな」と傍らの一成を睨む。


「その程度、造作もない」


 ぱあん、と。國光が両手を打ち鳴らす。

 拍手の音が空に消え、そして変化が起こる。

 國光の眼前で空中に浮かんだ形代が、分身していく。一枚が二枚に。二枚が四枚。八枚。十六枚と。やがて國光と一成を取り囲むように拡がった形代の列が、一斉に光を放つ。


「行け、《式神》たちよ」


 形代がその姿を変える。紙の人型から、実体を持つ燕へと。

 一斉に飛び立った燕の式神たちは、遥か上空で方々に分かれ、京の都中に散らばっていった。


「128匹の燕で上空から様子を探る。おかしな動きをするやつがいればすぐにわかるし、術を使おうとすれば探知できる。いざとなれば、式神をけしかけて即座に拘束も可能だ」

「さすが、土御門の法術。便利だよね」


 感心した様子の一成だったが、対する國光の表情は決して明るくなかった。


「……だが、自分で言うのもなんだが、おそらく——」

「ああ。おそらく、このやり方では何も見つからないだろうね」

「わかっていてやらせたのか……」


 あっさりと、一成は言う。

 無駄骨を折らせて悪びれもしない態度にさすがの國光も渋い顔だが、一成は微笑を崩さない。


「京の都は天照様の膝元だ。そこでよからぬことをしようとすれば、天照様は必ず気付く。まして京を害そうだなんて、考えることさえ叶わないだろう。敵が何者だろうと、少なくとも目に見える範囲で、明らかに怪しい行動に出ることはないはずだ」

「……ならば、俺に式神を飛ばせと言った意味は?」

「『都には何も異常がない』ことを確かめる——それが重要なんだよ」


 話が見えない。

 煙に巻くような同僚の言動に、國光は深々と溜息を吐く。


「……ああ、わかった。おまえの指示に従おう。この際だ、一々説明もいらん」


 そのほうが早く済みそうだしな、と。

 諦め半分な國光の態度に、一成は嬉しそうに頬を緩ませる。


「ありがとう。僕を信じてくれて」

「黙って次の指示を出せ。どうやって敵を突き止める?」

「うーん、そうだな……」


 未だ影すら見えない敵の正体。

 そのしっぽをつかむための第一手は、すでに一成の頭にあった。

 場合によっては——その一手で、王手をかけることになるだろう。


「とりあえず、竜胆様の屋敷に向かおうか」


 告げられたその名に、國光は一瞬で顔を緊張に強張らせた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る