4.葦月篝
白光宮中庭に、その木はあった。
真っ白な枝に咲き誇る、満開の桜の花。もう七月だというのに、春の盛りのように華やかに色づいていた。
名を、常世桜。年中枯れることのないその桜の木は、元はとある村でご神木として祀られ、後にとある衛士によって白光宮に持ち込まれたものだ。
その「とある衛士」は今、常世桜の下で昼寝の真っ最中だった。
簡素な着物に袴姿。物々しい弓用の籠手は外して脇に置き、行縢の毛皮を枕がわりに横になっていた。特徴的な緋色の長髪が地面に広がり、穏やかな寝顔は笑みを浮かべているようですらあった。
青年の頭上で、常世桜が揺れていた。ちょうど青年の頭上で揺れる枝が日光を遮り、いい具合の明るさに保っているのだ。まるで常世桜が青年の眠りを守っているような、不思議な光景だった。
風が枝を擦る音だけが緩やかに響き、ひらひらと花弁が舞い落ちる。それだけのことがずっと続くような、穏やかな時間。
しかし、どんな時にも終わりはやってくる。
ひと際大きな風が吹き、常世桜がにわかにざわめいたとき、青年はぱちりと目を開けた。
「よう、どうしたんだよ、一成?」
寝転がったまま、青年が問いかける。
「ああ、急で悪いが、次の仕事だ。天照様が呼んでる」
短く答える一成の後ろで、國光と寅丸が待っていた。
「……ああ、そっか。まあ、神様の言うことじゃ、仕方ないな」
言って、ゆっくりと上体を起こした。
あくびを噛みしめながら、体を伸ばす。緊張感の欠片もないその振舞いに、國光が不満気に鼻を鳴らす。
「良いご身分だな。よほど昼寝が気持ちよかったと見える」
「ああ、たまには良いもんだぜ。おまえもいっしょにどうだ、國光?」
「……遠慮しておくよ」
一息に立ち上がって、緩んでいた着物を正し、髪紐で長髪を一つに括る。足元に落ちていた籠手を拾い、身に着け、裾や袖を整えていく。
「あの、大丈夫? 昨日の今日で、疲れたりしてないですか?」
「ん? ははっ、当たり前だろ。俺を誰だと思ってんだ、寅丸?」
最後に、足元に置いていた刀を拾い上げる。
鍔はない。白木の柄と鞘。柄頭からは紫紺の飾り紐が伸び、先端では古びたお守りが揺れていた。
刀を腰帯に差し、準備は終わった。
「じゃあ、行こうか——篝?」
その青年は、元は何の変哲もない山奥の村で、猟師の子として生を受けたという。しかし十二の頃、天照大御神が自ら見出して都に招き、当代の《巫子》たる「久我竜胆」の下で、衛士として訓練を積んだ。そして十四で昇山を果たし、遂には衛士の最高位たる特等位にまで上り詰めた。
青年の名は、葦月篝。
紅い瞳で空に輝く太陽を見つめながら、炎の如き青年は、眩しそうに眼を細めた。
「ああ、行こう——今日も良い日だ、そうだろ?」
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