命と呼べない黒い箱
長月瓦礫
命と呼べない黒い箱
空調設備の回る音が響く。
暑くもなく寒くもなく、ほどよい室温を保ち続けている。
エルダは黒い箱を手に取り、じっと見つめている。それは自立思考型ロボットだけが持つ特別な機構だ。彼女は「心」と呼んでいた。
自立思考型ロボットは、主人となる人間が必要としない。自分で考え、行動できる。
これまでのロボットとは何もかもが違う。
誰も手を出さなかった一線を超えたのである。
プロジェクトIをスタートさせてから、どのくらい経っただろうか。
失笑や冷たい視線を糧にして研究へ没頭した。
彼女は「心」持つ機体をIと名付けた。
デバイスには青年の姿が映し出されている。
これは人間で言うところの魂だ。
肉体へインストールされ、初めて完成する。
我が子同然に扱い、何よりも真面目に取り組んだ。無限にある人間の思考パターンを信号に書き換え、握りこぶし程度の黒い箱に収めた。
文字通りのブラックボックスだ。
中身はエルダにしか分からないプログラムで組まれている。そう簡単に技術を盗まれたくなかった。自分の家族を好き勝手されたくないのは誰だって同じだろう。
「別にみんながみんな鬼というわけでもないだろうし、一人くらいは天使みたいな方もいると思うんですよ」
「そして、そういう奴に限って早く死ぬんだよね」
彼女は皮肉っぽく笑った。いつも孤独だった。
他の研究員によれば、「思想についていけない」らしい。まったくもってその通りだ。
何を思ってこんな無謀なことをしようと思ったのだろう。I自身もそう思うが、エルダはすべての作業をひとりで行なっている。
孤立無援という言葉をひしひしと感じる。
いつか倒れるのではないかと、不安に駆られていた。
そんな様子を見せることなく、彼女はプロジェクトを完遂させようとしている。
「チェックオッケー。心を組み込みます」
あらかじめ用意した男性型ロボット、その心臓に当たる場所に黒い箱を埋め込んだ。
インストールが始まった。
自立思考型ロボットが世間に普及したら、この箱も大量生産されることになる。
パーツはどこでも手に入るし、内部のプログラムもコピーペーストを繰り返せば、何体も生み出せる。
技術革新なんてものじゃない。
世界がひっくり返るのが目に浮かぶようだ。
「これで命になれる? とか聞かないでくれよ」
エルダは淡々と告げた。
非常に落ち着いていて、動揺は見られない。
この瞬間を何度も予想していたからだろうか。
「君は自律思考型ロボットだ。
心を組み込んだとしても、命になれない。
どう頑張っても生物にはなれないのを忘れないでほしい」
Iに命は実装できない。彼はロボットだからだ。
それだけはどうにもできない。
それでも、彼女は「心」という言葉を使う。
誰が何と言っても、揺るぎないものだからだ。
「ハローニューワールド。
気分はどうだい?」
Iはゆっくり目を開いた。
エルダ共にと生きる世界が終わるまで、そう長くはない。肉体を得て、初めてそう思った。
命と呼べない黒い箱 長月瓦礫 @debrisbottle00
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