悪魔の生き方

 ——とある村にて性交渉をして回る少女が出没するとの情報あり。悪魔と思われるため、早急な処理を要請する。

 ——承認。一名の審問官を派遣する。



「ご協力ありがとうございました!」


 快活に頭を下げると、村人は労いを置いて去っていく。

 赤髪の異端審問官——ミェナは、頭を上げて辺りを見渡した。

 そこは、人口五十人ほどの村。それなりに生活は長いようで、周囲を囲む柵は年季が入り、所々に修繕の手が加えられている。

 今年は畑の出来が良いらしく村の雰囲気は穏やかだ。そのおかげで村人への聞き込みも順調だったが、ミェナの不安は未だ拭いきれていなかった。


「先輩っていつも、どうやって異端を見つけてるんだろ……」


 今日はミェナにとって初の単独任務だった。今まで頼りきりだった金髪の異端審問官は別行動である。

 不愛想ながらも難なく任務をこなす彼がいないのは、大変心許なかったが、自身の実力が認められた証と考えれば無理にでもやる気を出すしかない。実情が人手不足による育成急進である事はさすがに察していたが。


「とりあえず一通り見て回ろう」


 ミェナは止めていた足を動かし、村内の探索を始めた。

 今回の任務は悪魔の処理だ。目撃情報によれば、対象はかなりの飢餓状態と推測され、危険性はかなり低い。初の単独任務には最適な現場だろう。

 とは言え、いついかなる時も油断をするなとは散々言われてきた事である。

 ミェナは腰に提げているランプに火が灯っているのを確かめつつ、探索を進めていく。大きな町でもないし、三時間もあれば虱潰しに回れる範囲だ。

 ただし既に、この村からいなくなっている可能性も少なくはない。その場合は近隣の村も尋ねないといけないため、あまり時間はかけていられなかった。

 人目の付きにくい場所に絞り異端を探っていく。

 一時間経っても結果が出ず、次の村へ向かうルートを脳内で浮かべかけた、その時だった。


「うぅ……っ」


 とある倉庫の裏手。その暗がりに顔を覗かせた途端、少女の苦鳴が聞こえた。

 ミェナは反射的に駆け出す。苦しむ者に救いを。心の中に根差す信条に則って彼女は動いた。

 しかし、声の主の姿を捉えると、ミェナの足は地に縫い付けられた。

 それは、接近した審問官に気づく。


「ほあっ!? 人げ、いや異端審問官ですぅ!?」


 その声はやはり、人間の少女のようであった。けれども、瞳に映るその場に人間はいない。

 局所を隠すように変色した黒い肌。しおれる長耳に、その上部で突き出る黒曜石じみた角。腰から伸びる蛇に似た尾は、まさに蛇のように舌を出し入れし、周囲の臭いを探っている。

 そして、かち合う瞳は、裏側まで黒く染まった宝石めいた多面体であった。


「あ、悪魔ッ!」


 眼前の存在が捜索していた処理対象だと認識した途端、ミェナは即座に長剣の柄を握り締めた。

 しかし彼女が抜剣する直前、悪魔が泣き喚きながら飛びついてくる。


「待ってくださぃいいいっ! わたしっ、悪い悪魔じゃないですからぁっ!」

「ちょっ!?」


 体に張り付く悪魔にミェナはぎょっとするも、とっさに体を振れば、その少女のような異端はあっさりと投げ出された。

 尻餅をつく悪魔。それが次にとった行動は、無我夢中に縮こまるものだった。


「ひぃい! 殺さないでくださいぃっ! ほ、ほらわたしっ、この村に来てから誰も殺してないんですよっ? 異端審問官ならそれぐらいの情報入ってますよね!? なら見逃しましょう!」


 必死な語りかけにミェナは顔を引きつらせる。それは単なる困惑でしかなかったが、返答がないという一点で、悪魔は不安で顔を歪めていった。


「も、もしかして、他の悪魔が来て被害とか出てるんですか……? ちょっ、それわたしじゃないですってぇ。だってわたしこんなに腹ペコで、じゃなきゃ、人間なんかにこんなヘコヘコしませんよぉっ」


 絶望したと思えば、情に訴えようと上目遣い。最後には不貞腐れる始末。

 コロコロと変わるその表情は、今までの悪魔に対する印象を一変させた。異端全体だとしてもここまで下手に出る存在は見た事がない。

 この初対面は、単なる任務経験の少なさによるものなのか。

 判断がつかないミェナは、警戒を解くことなく悪魔を睨みつける。


「うぅ、本気でお腹が……」


 ただし悪魔の言動は気の抜けるようなものばかりで、神経を尖らせる方が申し訳なく思えてくる程だった。

 飢餓状態の悪魔は『変化』の秘術が上手く使えない。

 何にでも成り代わるからこそ脅威とされている悪魔が、その脅威を封じられてしまえば、秀でている点は探知能力程度に絞られてしまう。個体差はあるものの平均的な身体能力は人間に劣っているのだ。

 そう言った知識から刃を見せなかったのはミェナの油断とも取れたが、悪魔少女はその隙をついて逃げようともしない。

 ついには、審問官の方から問いを投げかけた。


「……本当に、あなたは人を殺していないのね?」

「お腹満たしてたらさっさと次の村に移動しますよぉ。同じ村に居続ける利益なんてほとんどないじゃないですかっ」


 少し怒ったような悪魔の言動は、やはり人間の少女と大差ないように思えた。弱者アピールばかりならば演技とも勘ぐれたが、そうでもなさそうだ。

 ミェナの肩はすっかり力が抜けて、声音も歩み寄るように柔らかくなっていく。


「一つ、質問してもいい?」

「え? 応えたら見逃してくれます!?」


 食い気味に目を輝かせた悪魔少女だが、審問官として首は横にしか振れない。


「……それは出来ない。けど、応えなくても燃やすしかないから」


 気乗りはしていないものの、ミェナは脅すようにランプを見せつけた。更には油を塗った松明もカバンの中から取り出す。

 対悪魔装備が整えられている事に悪魔少女はあからさまにげんなりとした。


「なら、わざわざ確認とらないでくださいよぅ。わたしは、あなたのご機嫌取りが出来る事を願って精いっぱい媚びさせてもらいますからっ」


 皮肉な言葉にミェナは思わず失笑し、慌てて顔を引き締める。

 相手は異端だ。特に悪魔は存在だけで処理の対象となる。

 これからする質問も、悪魔への対策を深めるためのものにしなければならない。少しだけ緊張感を取り戻して、ミェナは悪魔少女に向き直った。


「それなら質問するけど、悪魔はなんで人を殺すの?」

「そんなの、食事に決まってるじゃないですか。さっきも言いましたし、異端審問官なのにそんなことも知らないんですか?」

「いや、それは知ってるけど、でも、食べなくても悪魔は死にはしないんでしょ?」


 馬鹿にしたような返答を即座に否定して、ミェナは疑問の詳細を明かした。

 悪魔に寿命はない。

 いつから生きているのか、どこから生まれてくるのかは誰も知らないが、彼らは殺されない限り死ぬ事はないのだ。その殺す方法も、火刑のような逃げ場のない方法でないと免れかねないしぶとさである。

 ならばこそ、わざわざ殺されるリスクを取ってまで人間を食べる選択などしなくてもいいように思えてならなかった。

 と、ミェナはまともな質問だと考えていたが、悪魔の少女の方は呆れたように言い返した。


「死にはしないけど、殺されるじゃないですか。満腹じゃないとまともに姿変えられないんですから、ひっそり生きるなんてのも難しいんですよっ」

「……じゃあ、最初に人間を食べていなければ、争わなくても済んでいたかもしないのね」

「人間様の方が先に手出した可能性もありますけどねー。ちょっと見た目違うだけで殺してしまおうなんて、今も言ってません?」

「そんなことは……」


 否定の言葉は結局最後まで紡げず、ミェナは口を塞ぐ。

 ミェナ自身も、仕事をしているとなぜ自分は人間を守っているのかと悩む事は多々ある。人間の行いの方が醜い事などしょっちゅうで、それを直そうとしても直らなかったのが今の世だ。

 そもそも『悪魔』と名付けたのも人間なのだろう。最初から悪と決めつけている。


「まあ悪魔の方も、趣味で人間食べてるってのもいますから、結局こうなってましたよ」

「そう、かもね……ところで、人間以外の生き物を食べるのだって出来るのよね?」


 どうしようもない問答を無理やり納得させて、ふと浮かんだ疑問を投げる。緊張感が抜けきっている事にまだ若いミェナは気づいていない。


「いや、ほとんど無理ですけどね。食事方法って人間のように口の中に入れるわけじゃないですし、命そのものを貰う行為ですから。なんたって、悪魔は何をするにも契約が必要なので、最低限の知性がない相手とは交渉の余地もないんですよ」


 悪魔は契約の権化とも呼ばれている。彼らは、他種族に干渉するには何をするにしても合意を得なければ不可能なのだ。

 その合意には、お互いの存在を認識し合い、言葉を交わす必要がある。人間以下の知能しかない動物とはどうやっても意思疎通は出来ないし、逆に人間以上の知能を持つ種には悪魔である事を簡単に見破られてしまう。

 悪魔が人間を殺すのは、消去法とも言えた。


「悪魔も、生き残るために必死なのね……」


 同情したようにそう呟くも、悪魔少女はあっけらかんとそれを否定した。


「いやいや、生きる事に執着はありませんよ。だって当たり前のことですから。ただわたしたちが許せないのは他種族に蹂躙される事です。言ってしまえば癪に障るってだけです。そんな悪魔に情なんて移す価値ありませんよー」


 ひょうひょうと言ってのける悪魔少女に、ミェナは思わず笑ってしまう。今回はその表情を改める事もしなかった。


「やっぱり悪魔は身勝手なのね」

「あ! いや本当は可哀そうな生き物なんですよ!? わたしなんかほら、こんな愛らしい見た目もしていますしね!? だから殺さないでくださいねっ」


 思い出したように言い繕い、ウィンクを見せつける悪魔にミェナは苦笑を浮かべる。

 そして、今更ながらにこの相手を殺さないといけない事を思い出す。

 異端審問官を名乗る身としては見逃す事は出来ない。仮にあの先輩が側にいたならば、邂逅直後に燃やしていただろう。

 けれどもミェナには躊躇が芽生えていた。気づけば両の手も空になっていて、このまま見逃してやりたい気持ちの方が強くなっている。

 しかし、仕事は仕事。更には初の単独任務でもあるのに失敗は許されない。

 それに相手は悪魔。これまでの会話でも、人間を殺さないとは明言していない。ならば目の前の悪魔少女を逃せば確実に今後人を殺すだろう。

 人類の繁栄のため、すぐに火を放つ他ないのだ。

 渦巻く葛藤に決着をつける。

 ならば火を。

 と、ランプを探そうとすると、足下で走る一匹のネズミが目に入った。

 その瞬間、目の前の悪魔少女が叫ぶ。


「ああネズミ! ネズミっ、捕まえてください!」

「えっ? っと」


 ミェナは言われるがままにネズミを捕えていた。

 その反射的行動は、元来のお人好しな性格によるもので、小さく早い獣を捕えた腕は、異端審問官になって鍛えたものだ。

 掴んだネズミは手の中でキィキィと鳴いて暴れている。その姿を見て、ふと先日、獣に滅ぼされた村の一件を思い出したが、あの村で起きたように獣堕ちにされる事はなかった。

 そもそも獣堕ちにはそうなるものではない。あれは、種として危機を覚えた際の防衛本能であり、通常の食物連鎖の中でほとんど起こる事はないのだ。

 そんな風に思考を整理していると、ふと悪魔少女がミェナに対して両掌を差し向けている事に気づく。

 そして、悪魔少女はゆっくりと言葉を紡いだ。


「それではここに、あなたのそのネズミを置いて、ください」

「え? それ、どういう意味が?」

「早くっ、お願いしますっ!」

「は、はい……」


 ミェナは悪魔少女の意図が分からないまま、小さな掌の上にネズミを置いた。

 そこでようやく、先ほどまで暴れていたネズミがピクリともしていないことを知る。ただしじっくりと見れば息はしていて、死んだというわけではなかった。

 なのにされるがままのネズミ。不可思議な光景に首を傾げたその瞬間。


 ——グチャッ!


 ネズミを乗せた小さな手が突然閉じて、外側へ肉片を飛び散らせた。


「うっぷ、やっぱりネズミだと味は悪いですねぇ……」

「ちょっ、あなた何をしたのっ!?」


 だらりと腕に伝う汚物を払う悪魔少女にミェナは思わず問い詰めるが、返ってきたのはヘラヘラとした笑顔だった。


「食事以外にあるわけないじゃないですかー」


 そう平然と言ってのける悪魔少女だが、ミェナは先ほどの話に矛盾を覚えて眉をしかめる。


「け、けど、獣からは命が取れないって」

「獣からは、ですね。さっきのは、あなたから貰ったんですよ。異端審問官様」


 ニッコリと告げる悪魔の言葉に、ミェナは疑問を拭いきれない。それを見て取って、悪魔少女は親切にも解説を加えた。


「簡単に言えば、あのネズミはあなたが捕らえたからあなたの物になった。それを、わたしが合意の下に頂いた、ってわけですねー。いやはやー助かりましたよー」


 ミェナは未だ状況が分からないでいたが、しかし見過ごせない変化に、それ以上の思考は中断させられた。

 気づけば、目の前からあの悪魔少女がいなくなっていたのだ。

 そして、代わりに現れたのは一匹のハエ。それはまるで、こちらを認識しているようにその場で浮遊し、そして言葉を発する。


「ごちそうさまでしたっ。それじゃー失礼しまっす!」


 ハエは飛び去って行く。

 あまりにも早い『変化』の術に、ミェナは遅れて冷や汗をかいた。それからようやく、自分が愚かに油断した事を後悔する。


「これは、処罰受けるなぁ……」


 悪魔が逃げた空を眺めてがっくりと項垂れる。

 真面目なミェナは、あるがままを報告書に記し、村を去ったのだった。



 ——報告。悪魔の出没情報があった村にて悪魔と遭遇。飢餓状態だったのと、あまりにも低頭な態度を取られたために油断をし、意図が分からず悪魔の指示のままネズミを与えてしまった。それによって僅かに力を取り戻した悪魔はハエとなり逃亡。探索は困難と判断し、悪魔の危険性をその村と近隣の村に触れ回り帰還。

 ——あまりにも愚かな失態でした。悪魔は問答無用で処理対象である事は重々承知でありながら、悪魔の口ぶりから情が湧き、躊躇してしまった結果です。次があるのならより異端への見識を深め、冷静な判断を下せるよう精進していく所存であります。


 ——まず、今回の件は、悪魔への手助けという、場合によっては異端審問にかけられる罪に成り得ると重く心に留めておく事。具体的な処罰はないが、より一層な職務への従事を命ずる。

 ——ただしこの処罰がないというものは、そう言った余裕が審問会にはないという事であり、今後の職務態度によっては重罰を受ける可能性はあるため、出来る限りの誠意を見せられるように日頃努力するように。

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とある異端審問官の調査報告書 落光ふたつ @zwei02

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