不足の充足

 ——異端の集落と呼ばれる地域が存在するとの情報あり。早急に実態の調査、異端の抹消を要請する。

 ——承認。一名の審問官を派遣する。



 そこは森の中を密かに切り開いた小さな集落。

 建物の造りが粗雑だったり、半端に切り株が残されていたりと、開拓したばかりの暮らしは未だ不十分が多く見受けられる。

 けれど今は、苦労を忘れた賑やかさで満たされていた。

 集落中央。住民全員が集うその場では、拍手と歓声が飛び交っている。

 花弁をも撒かれて最大限の祝福を受けるのは、ささやかながらにも着飾った二人。

 その二人の間に立つ老母は告げる。


「それではここに、永遠の愛の誓いを」


 向かい合う二人は歩み寄り、お互いのベールを払って見つめ合った。


「綺麗よ、イレーナ」

「あなたもね、リミ」


 称賛の言葉を証明するかのように、二人の女は口づけを交わす。

 すると周囲の喧騒はより増して、顔を離した二人は思わずはにかんだ。

 老婆は囃し立てる声を僅かに制しながら、主役達へと向き直る。


「イレーナ、リミ。あなた方は今より家族となりました。今まで以上にお互いを愛し、お互いを支え、お互いのために生きるよう、日々を全うしてください」

「「はい」」


 噛みしめるように深く頷く両人に老婆は笑みを深め、それから周囲へと語り掛けた。


「それでは、祝いの品を持ち寄った者は二人に手渡してあげてください」

「はいはい! ボク! ボクから!」


 快活な青年が真っ先に飛び出し、不格好に削り出された杖をプレゼントする。

 主役達の感謝の言葉を耳にした老婆は、役目を終えたと一息つき、少し前から感じていた気配の方へと顔を向けた。

 金髪の男。

 その出で立ちは集落の住民達とは明らかに異なっている。身にまとうのは特徴的な儀礼服であり、腰には使い込まれた長剣を佩いている。

 彼は、婚礼の邪魔をしないようにと機会を窺っていたようで、老婆が己に気づいたと知ると歩み寄ってきた。

 その道中、ドン、と彼の体に一人の住民がぶつかる。


「す、すみません……っ」


 くせ毛が目立つ猫背の女性だ。彼女もプレゼントを渡す輪に向かおうとしていたのだろう、その右腕には大きな包みを抱えている。

 彼女はへこへこと頭を下げて、すぐにその場を去ろうとしたが、突然男が左手を掴み、その足を止めさせた。


「それを持っていかれては困る」

「えっ、あっ、すみませんっ。そのっ、悪気があったわけじゃなくてっ」


 慌てて弁解を始める女性の左手には紙束が握られていた。

 それは、金髪の男——異端審問官が、業務で使用する報告書だ。


「キィ、すぐに返しなさい」

「はいっ、わ、悪気はなかったんですっ」


 見兼ねた老婆が一声投げると、猫背の女性は乱暴に紙束を男へと返し、逃げるように走り去っていった。

 それと入れ替わるようにして、老婆が審問官の側に立つ。


「申し訳ございませんでした。彼女はちょっと手癖が悪いものでして、直そうと努力はしているのですが……」

「戻って来たし、気にはしていない」


 審問官は紙束を懐へとしまいながら、先ほどの猫背の女性の姿を眺めた。


「……イレーナ、リミ。その、たまたま見つけて。二人は子供産めないから……」


 彼女が抱えていた包みはやはり贈呈するためのものだったようで、それを受け取った女がパッと表情に花を咲かせたのが見えた。

 だがその様子はすぐに、群がる他の住民達によって隠されていく。

 審問官は気を取り直して、老婆に視線を向けた。


「それで、聞きたい話があるのだが、今は大丈夫だっただろうか?」

「時間でしたら大丈夫ですが、何やら物騒な物を提げていらっしゃいますね。騎士様か、審問官様でしょうか?」

「異端審問官だ。耳が良いのだな」


 金髪の男は感心して、老婆の顔を見る。

 すると老婆はふっと微笑み、自分の両目を覆う黒い布を優しく撫でた。


「こちらに頼らなくなって長いですので」


 老婆は盲目だった。しかし言葉の通り生活には慣れているようで、誰かの支えがなくとも足取りは泰然としている。


「さて、聞きたい話があるということでしたね。少し場所を移してもよろしいでしょうか?」

「ああ」


 審問官の頷きを聞き、老婆は集落の端へと移動する。

 そこは集落と森の境界。とは言っても何かで区切られているわけではなく、あるのは放置された切り株だけだった。

 老婆はゆっくりと切り株に腰を落ち着けて、審問官へと頭を下げる。


「すみません。もう歳ですので、長いこと立っていると疲れるのです」

「いや、こちらの方こそ配慮が足りなかった」

「騎士様と違い、審問官様は腰が低いのですね」

「……そうか」


 返答に困ったような審問官に、老婆は思わず笑い、それから本題へと移る。


「それで、話とは一体何なのでしょうか?」

「この集落に異端がいるとの情報があった。身に覚えはあるか?」


 相手が審問官ならば、その問いは老婆も分かり切っていたことだ。

 老婆は表情に影を落として、問いに問いを重ねる。


「いるように、思われますか?」


 その塞がれた視線は、未だ賑わいを絶やさない住民達へと向けられていた。

 審問官は問いに応えるべく、老婆の視線を追う。


「……思わないな」

「審問官様というより、あなた様が特別なのかもしれませんね」


 老婆はまた微笑み、視線を動かさずに言葉を続ける。


「この集落にいるのは誰もかれもが、周囲からまさに異端などと蔑まれ、迫害を受けて来た者達です。実際にその見た目や思想は、常人とは逸しているのでしょう」


 そこにいたのは、足と腕を一つずつ欠いた男性だった。

 あるいは、顔のひしゃげた無口な青年に、成人しても異様に小さな女性。

 更には、過剰に肥えた少年や、女装をする男三人衆などもいる。

 そして、同性で結婚を果たした二人。

 この集落で暮らす住人は全てで十五人。その多くが目を引く姿をし、そうでないものは嫌われる性質を内包している。

 それこそが異端の集落。

 ただしそれは揶揄としての名称であり、真実ではない。


「居場所のない者同士、私達は力を合わせてここに拠点を置きました。苦労することはもちろんあります。実際片付いていない問題ばかりです。ですが、誰もが祝福を受ける権利はあり、それを祝い喜び合うことも可能なのです」


 老婆は愛おしさを湛えた笑みで、変わらず賑わいの場を眺める。


「私達は、欠けているからこそ補おうとしている。持っていないからこそ持とうとする。私達が与えられたのは空白なのです。常人よりも出来ることは少ないですが、その分、それ以上のものを詰め込められる。それは、私達が常人よりも優れている部分だと自負しております。ですから、この村とも呼べない集落も、いつかは街として栄えさせることも可能だと考えております」

「立派な目標だ」


 老婆はそこで審問官の方を見た。そうして、座ったままに頭を下げる。


「ですのでどうか、最低限、妨げないでいただきたいと願います。私が生きている間に達成できるかも分かりませんが、それでも、いつかは叶えます。なので、審問官様には見逃していただくだけでいいのです。出来るならば、この集落には何もなかったと、記してはいただけませんでしょうか」


 老婆は隠された瞳で見上げた。闇に隠されたその奥には、とても脆い理想が秘められている。それでも彼女は、その理想を見つめ続けていた。

 審問官は老婆の願いを聞き、己の答えを示す。


「何もなかったとは記せない。だが、異端がいないことは報告する。外部からの迫害が起きないようにも進言する。あなた方も、我々が守る人類の一員であることは間違いない」


 あくまでも事務的に言い切った審問官だったが、老婆は感銘を受けたように破顔した。


「ありがとうございます、審問官様」

「礼を言われる筋合いはない。なにより、」


 審問官は感謝を告げる老婆から、賑わいの方へと視線を移す。

 そしてその先から聞こえる声に、目つきを鋭くした。


「全てを見逃すということは出来ないからな」


 途端に話を切り、審問官は集落の中央を目指して歩き出す。その遠ざかっていく足音に、取り残された老婆は疑問符を浮かべながら腰を持ち上げた。

 審問官が近づくほどに、その声は大きくなる。

 未だ祝いは止まず、それを裂かねばならぬことに少しばかりのため息を吐きつつも、審問官は集う住民達を掻き分けた。

 そうして、開けた中心に居たのは幸せそうな二人。

 彼女達は見知らぬ男の突然の乱入に、呆然と時を止めた。

 それに構わず、審問官は名乗りを上げる。


「我は異端審問官だ。その手に抱える赤子を渡してもらおう」


 布に包まれた、産まれたばかりの乳幼児。

 婚礼の主役の一人に抱えられたその赤子は、周囲が静まり返る中も関係なく、訳も分からずに泣いていた。


「き、急に何を言うの!? そもそもあなたは誰よ!?」

「異端審問官だ」


 目尻を吊り上げる女に対し、審問官の返答は淡々としたものだ。故に女の激昂はより高まって、赤子を抱く腕に力が入る。

 その様子に、審問官は更に一歩踏み込んだ。


「あなたが抱えるその赤子は、とある町で攫われた赤子の可能性が高い。事実確認が必要なため、こちらで回収させてもらう」


 強引な発言に、赤子を抱える女が理解を示すはずはない。


「何を根拠にそんなことを言っているのッ! この子は捨て子だったのよ!? 異端審問官も、そうやってあたし達からなにもかも奪うつもりなのね! こっちはただ生きているだけなのにッ!」


 女の目には憎悪が宿っていた。彼女の感情に反応して、周囲の視線も同様に染まっていく。

 住民達の結束は固い。中には事態収拾のため武器を手に取ろうとする者までいた。

 そんな者達を諫めて、盲目の老婆が割って入ってくる。


「審問官様、あれは本当に捨て子なのです。外で拾ってきたというのは、私も聞いております」

「……あなたは持っていたからこそ持とうとすると言っていたな。だから、信じられないからこそ信じようとしているのだな」


 ぼそりと告げられた言葉に、老婆は愕然と口を開けた。

 それに構わず審問官は辺りを見渡す。


「では、赤子を拾ったというものに真実を問おう」


 周囲に向けられた視線を避けるように住民達が散らばっていく。けれどその中に一人、取り残された者がいた。

 くせ毛が目立つ猫背の女性だ。

 彼女は辺りをキョロキョロと見渡しながら、か細い声で否定した。


「ほ、本当に拾ったんですっ。たまたまっ、森の外でっ」

「仕事の関係上、嘘をつく者と相手することは多い。あなたの挙動の多くがそれと該当する」


 猫背の女性は目を泳がせ、忙しなく両手を組み合わせている。その場から逃げ出すことが出来ずに、ダラダラと汗をかいているようでもあった。

 その一挙手一投足に、審問官は疑いを向ける。数多くの裁きを下したその厳しい視線に、ついに女性は耐えかねて、項垂れながらにぼそりと漏らした。


「……すみません、盗みました。二人が喜ぶと思ったんです」


 彼女は嘘をつき慣れていたが、白状するのにも慣れていた。それが、老婆から聞いた手癖の悪さに起因するのだろうとは、誰でも推測が付くことだった。

 その治しきれない性分について言及することはなく、審問官は赤子の方へと振り向く。


「彼女も認めた。赤子を渡してもらう」

「い、嫌よッ! この子はあたしとリミで育てるのッ!」


 強情に言い張る女は後ずさりして赤子を守る。絶えず泣く乳幼児は、その声音に痛みの訴えを乗せた。

 要求を呑まない女に、審問官は顔色を変えずに長剣を抜き放つ。


「その腕を切り落としてでも回収することは可能だが、どうする?」

「っ!?」

「し、審問官様……っ」


 脅しに女は息を飲み、老婆が縋るような声を出す。

 周囲もどよめく中、一人だけが、赤子を抱く女に歩み寄って告げた。


「……イレーナ。渡しましょう。私はあなたが傷つく方が嫌よ」

「け、けどっ」


 躊躇う女の背中をさすり、彼女の伴侶は赤子を抱く腕を緩めさせた。そうして、泣き続ける赤子をそっと取り上げると、審問官へと捧げるように手渡す。


「審問官様、知らなかったとはいえ、私達は罪を犯しました。ですが出来る事ならば、罰は私だけに行ってください」

「リミッ!」


 泣き出しそうな女が伴侶の肩を掴むが、彼女らの予想に反して、審問官は長剣をしまい赤子を受け取るだけだった。


「剣を抜いたのは単なる脅しだ。すまない、騒がせた」


 どこか拍子抜けのする言葉に、二人の女は安堵のあまりその場にへたれ込む。

 周囲も緊張を僅かに緩め、審問官への憎悪を鎮めようとしたその時、一つ、審問官の背中に石がぶつけられた。

 振り返ると、快活な青年が声を上げている。


「おいお前ッ! それはイレーナとリミのだぞ! 返せよッ!」


 彼はこの村の誰よりも健康体に見えたが、今の状況をまるで理解していないように拳を振り上げている。

 そのために、慌てた様子の女装男が彼の手首を掴んで止めた。


「馬鹿野郎! 逆らうんじゃないよッ!」

「ひっ!? なんだよ!? また殴る気か!? でもボクは悪くないじゃんか!」


 過剰に怯える青年は、そのまま女装男に引きずられ、審問官の前から遠ざけられた。

 緩んだはずの緊張は、またも再発して用心深く審問官を観察している。その中、責任感によって盲目の老婆が審問官へと歩み寄った。


「……審問官様、大変申し訳ございませんでした」

「いや、こちらこそ下手な手段を取った。波立たない方法と言うのは難しいな」


 バツが悪そうに後ろ髪を掻く審問官に、老婆は一瞬キョトンとし、それから再度頭を下げた。

 業務を終えた審問官はその場を去ろうとしたのだが、ふと思い出し、老婆に向き直る。


「あなたは目が見えなくともよくやっているように思う。だがやはり、目で見ないと分からない事の方が多い。被害者だった者が、加害者にならないとは限らない」


 審問官はふと、先ほど食って掛かって来た青年を探した。その姿は見つからないが、泣き叫ぶような声だけは聞こえてくる。

 それは老婆も聞こえていたのだろう、深く審問官の言葉に頷いた。


「……その通り、ですね。このままではまだ、理想には程遠いですか」

「最大限の努力で、最低限は叶えればいい」

「審問官様はお若いのに含蓄のあることをおっしゃいますね」


 参ったというように苦笑する老婆に、審問官は返答に迷い、結局何も返さずその場を去った。

 そうして歩き出すと、不意に腕の中の赤子が暴れ始める。


「……ミェナを連れて来るべきだったか」


 小さき者相手に悪戦苦闘するその男は、そうして森の中へと消えていった。




 ——報告。異端の集落と言うのは単なる揶揄であり、実情は身寄りのない者達が身を寄せ合った集落であった。情報提供者等から、集落が迫害にあわないように注意する必要あり。

 ——情報提供者の住む町で起きていた赤子の誘拐事件についても道中で発見し、親へと無事送り届けた。

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