獣の本能

 ——本日の業務、僻地の村の巡回調査。

 ——業務開始から四つ目の村にて異端らしき声を確認。詳細を調査後、通常業務に戻る。



「異端、ですかぁ……」


 煮え切らない返事をするのは初老の男性だ。

 白髪を後ろで束ね、顔には多くの皺が刻まれているものの、年齢にしては足腰がしっかりしている。

 彼はこの村の村長で、村を代表して来客の対応をしていた。


「ああ、先ほど遠吠えのようなものが聞こえたが、何か心当たりはあるか?」


 対するのは金髪の男。機能的な儀礼服を身にまとう異端審問官。

 異端審問官としての通常業務——村内の巡回調査中に、遠吠えらしき音を聞いた男は、業務の手を止め村長を問い詰めていた。

 そんな様子に、後輩の赤髪の女は苦笑を見せる。


「先輩。近くに山もあるんですから、ただの獣の声ですよ」

「そうですね。あの山には獣が多く出ます。恐らくそれでしょう」


 女の言葉に村長は頷き、村の東側にそびえる山へと視線を向けた。

 すると丁度その山の方から駆けてくる者が現れる。


「長っ!」


 村の者だろう。一人二人は子供を育てていそうな年齢の男だ。

 彼は焦燥を滲ませた表情で村長に駆け寄ると、息を切らせたまま耳打ちをする。密かに交わされた報告に、村長は眉を顰め二言三言返してから審問官に向き直った。


「審問官様の推測通りでした。どうやら獣堕ちが出たようです」

「案内しろ」


 驚く赤髪の女をよそに、男は端的に告げる。その指示に従って、息を整えた村人が案内を始めた。

 村人と村長に、審問官二人が続く。村の中を抜け、山に入ろうとしたところでふと赤髪の女が足を止めた。

 彼女の視線はとある建物の陰に向いている。

 そこには二人の男児がいた。

 少し前には見なかった姿だ。きっと来客に無礼を働かないようにと親達が言い含めていたのだろう。けれど我慢ならずに飛び出したというところか。

 その小さな姿を見て、女の顔は僅かに険しくなった。


「お前は犬だ! こうしてやる!」


 一方が馬乗りになり、下敷きにする相手の耳を引っ張って罵っている。周囲で止めに入る者は出てこない。


「先輩、少し外してもいいですか?」

「ああ、分かった」


 意図を察し男が首肯すると、赤髪の女は真っ先に男児達の元へと駆け出した。その様子に村長が感心した風に告げる。


「あのお方は心優しいのですね。子供の喧嘩などよくある事ですのに」

「あれが、彼女の出した答えの一つなんだろう」

「……? どういう事でしょう?」


 その疑問に男は応えなかった。不愛想な人だと村長はため息を吐きつつ、山へと足を踏み入れる。

 山の斜面は比較的緩やかだった。麓付近はある程度開拓されているようで、いくらかは見渡しもよく頭上からの光も十分だ。

 けれど、雰囲気が異様だった。

 山に踏み入った途端、ガラリと空気が一変したのだ。

 視線を感じる。

 審問官の男が周囲に注意を向ければ、こちらを見る瞳が何十とあった。

 獣だ。

 敵意むき出しの眼光が、揺らぐことなく侵入者の動向を観察しているのだ。


「やけに獣達が警戒しているな」

「ええまあ、狩りもしますし、それも無理はないかと」


 村長は端的に応え、続いて案内役の村人が情報を捕捉する。


「獣堕ちにも先ほど、この山の中で襲われてしまったんです」

「その時も狩りをしていたのか?」

「そうです。それが私の仕事でして」


 頷く村人の格好を審問官は眺めた。

 その姿は軽装で、腰に鉈を装備している程度のもの。筋肉は人並み以上についているが少し心もとない気がした。

 じろじろと見られる村人は少し気まずげに言葉を紡いだ。


「ええと、獣堕ちには向こうの方に逃げられたんですが、それ以上は分かりません」


 村人は足を止め、木々の奥を指さす。

 そこから先は一気に自然の密度が増していた。当然、獣の気配も濃くなっている。

 しかし審問官は構わず先へと進んだ。それに村の二人もついていく。


「獣堕ちになったのは村の者だな?」

「ええ。少し前から行方不明になっていた奴でして、突然現れたので慌てて山を下り、長を呼んだというわけです」


 審問官の問いに村人が淡々と語る。

 それからしばらくして、不意に金髪の男が立ち止まった。


「……向こうの方だな」


 審問官が呟き、進む方向を変える。

 未だ日は落ちていないが、周囲の木々のせいでかなり見通しが悪い。それでも、視界が効かないというほどではなく、誰も明かりを取り出そうとはしなかった。

 ガサガサ、と風で枝葉が揺れる。

 影が形を変えて、まだらに視界を遮った、その時。


「グァアアアアッ!」


 獣に似た、けれどどこか演技じみた唸り声が、突如襲い掛かってくる。

 狙うのは列の先頭に立つ審問官。だが彼は既にその襲撃を予見していたかのように長剣を抜いていた。


「ウギャッ!?」


 悲鳴を上げたのは襲撃者。それは後ずさり、風で動く光の下に姿を晒した。


「ウゥウウウウッ……!」


 二足で立つ獣。

 背格好は成人男性程だが、肌は黒い毛に覆われ、瞳孔や牙は鋭く知性の感じられない威嚇を向けてきている。


「これが言っていた獣堕ちで間違いないな?」

「ええ、間違いありません」


 獣堕ちとは、獣に取りつかれた者の総称だ。

 獣は時に、自分では敵わない相手に向けて一種の呪いをかける。呪いをかけた対象は、途端に知性を奪われ、獣に似た姿へと変えられてしまうのだ。

 その呪いを解くことは一生叶わず、一度獣堕ちになってしまえば、異端として処刑対象となる。

 そこでふと、金髪の男はある事に気が付く。


「手に、鎖か……」


 獣堕ちの右腕には千切れた鎖が巻き付いていた。その事でチラリと背後を確認しようとした瞬間、その僅かな動きを隙と見て、獣堕ちが地を蹴った。


「グァアアアッ!」


 だが、彼は優秀な審問官だった。

 視線を向けるまでもなく、半ば自動的に振られた長剣が毛で覆われた首を両断する。その一瞬で獣堕ちは絶命し、その場に伏した。

 断末魔の代わりに上がった血しぶきを避けつつ、審問官は死体を確認する。獣のような姿をしているとはいえ、人と急所は変わらない。分断された首を蹴って、繋がりの有無をハッキリとさせた。

 そう、審問官が状況を終了させようとしていると、後方で悪態が聞こえ始める。


「クソッ、こいつら!」

「チッ、図に乗って……!」


 振り返れば、村の二人に数匹の獣が襲い掛かっていた。

 複数の種類が徒党を組む異様な光景にも関わらず、そこには統率がある。

 とは言え、村の二人も動きは素早い。足にとりつく獣を蹴り飛ばし、腰から抜いた鉈を差し入れる。その動作に遠慮はなく、喧嘩慣れしているようであった。

 獣達は悲鳴を上げながらも、後退することはない。

 そしてその時だ。

 切り殺された猪の血が飛び散って、村人の右腕に触れた。


「あ? ……う、グゥァアアアアッ!?」


 彼は突然に雄たけびを上げて、その身を震わせる。すると突如として肌が黒い毛に覆われ、爪や牙が異常に伸びていく。

 眼光から知性が抜け落ち、その敵意がこちらへ向こうとした瞬間、


 ——ブンッ


 金髪の男は、躊躇なく村人だった者の首を切り落とした。

 ぼとりと頭部が足下に転がって、体に起きていた変化も途中で止まる。


「……この獣めっ」


 ふと、憎々し気に村長が呟いた。

 気づけば、襲い掛かって来ていた獣達は全て息絶えており、村長がどうにか対処したようだ。その衣服には血がついているが、肌には直接触れていない。

 獣の呪いは、生きている間に血を肌に触れさせることで行使が出来る。専門的なその知識も、この村の村長は知っているらしい。

 周囲からはまだ、こちらを警戒する声が聞こえている。

 審問官は注意深く辺りを睨みながら、村長に告げた。


「随分と嫌われているな」

「……ええまあ、そうでしょうね」


 審問官の言葉に頷きながら、村長は獣堕ちとなった村人が落とした鉈を拾い上げた。村長はそれを片手で遊ぶように放って掴み、そして大きく振りかぶった。


「この村で行われる狩りの多くが、快楽のためですからねッ!」


 投げられた鉈は見事に一体の獣の頭部に突き刺さった。

 どさりと倒れた体と膨れ上がる敵意に、村長は込み上がる笑いを我慢出来ない。


「見てください審問官様! アイツらはまだ自分達が下等な生き物だと理解せず、こちらに噛みつこうとしていますよ! 滑稽だ! まあとは言え、馬鹿な奴はこうして堕とされているんですがッ」


 村長は足下に転がっていた村人の遺体を蹴り飛ばす。無論、既に絶命しているその体が声を上げることはない。

 元より、その裏の顔をいくらか察していた審問官は、顔色を変えることなく問いを投げかけた。


「どのくらいこの山を荒らしている?」

「ええと、私が麓に村を興して、少ししてからですので、十五年ほど前からですかね。最初は仲間内だけの趣味だったんですが、思いの外同志が多くて、最近では月に一度大会じみたことも開くようになっていますよ」

「……そうか。ならばもう来てもおかしくないな」


 審問官は獣達の瞳を順に眺めていった。

 鋭いそれらには一つ一つに意思があり、審問官と村長で向ける色を変えている。

 明確に、自分達の敵を判別しているのだ。


「大方、先の獣堕ちも遊戯に使うために飼っていたものを、我々が来たので慌てて隠そうとして、そこで逃げ出されたというところだろう?」

「おや、審問官様は頭が回るのですね。いやはやしかし、それを認めてしまえば私共は異端を匿っていたことになってしまう」


 頷きはしないものの、認めている口ぶりだ。

 審問官が変われば、即処刑されてもおかしくはないのに、随分と余裕な態度と言える。


「そのくせ、趣味で狩りをしていたのは自分から話すのか」


 審問官はため息を吐きたくなったが、村長ははて、と首を傾げた。


「そのことの何が異端になるのですか?」

「……そこは理解しているのか」


 審問官は村長に視線を向けるのをやめ、長剣を鞘へとしまう。


「それはそうでしょう。獣など、人様に比べたら下等生物。しかも獣堕ちという異端も産む害悪でしかない。何ならそれらを苦なく駆除している我らには大義を成している自負すらあります。むしろ我らが行っているのは正義と言えましょう」

「正義などと宣うのは人間ぐらいだな」


 言い捨てた審問官に、村長は興味津々に首を傾げた。


「それは、どういう意味ですかな?」


 すると審問官は明確にため息をついて、己の意見を述べる。


「我々異端審問官は、人類の繁栄のため、害悪となる存在を排除している。それは決して正義ではなく、他の種が日々生き残ろうとするものと何ら変わりはないものだ。しかし、他種よりも上に立ちたい者達は、正義と崇高に見える名称をつけたがる。多少知性が優れていたところで、それは自分がそうしたいと思った本能でしかないのにな」

「審問官様は、人間がお嫌いで?」

「あなたのような人間とは一緒にいたくないな」

「はははっ、面白い答えだ」


 ふとその時、審問官は周囲の空気が変わったのを察知した。

 それは、視界でも捉えられた。

 こちらに向く眼光が穏やかになっている。だがそこに敵意がないわけではない。まるで何かを覚悟したかのように澄んだ光が湛えられていた。


「……不味いな」

「おや、どうしたのですか?」


 突然駆け出した審問官に、村長が声を投げる。それに振り向いた審問官は、義務感でのみ告げた。


「死にたくなければこの村を去れ。獣達に殺されるぞ」

「はっ! なんですか、異端審問官ともあろうお方が獣ごときに怯えたか!」


 見下した嘲笑は続いていたが、審問官は置き去りにした。

 金髪を揺らしながら木々を駆け抜ける。その脚力は異様に力強く、僅かに人の領域を踏み外していた。

 しかしそのことに気づく者は周囲にいない。

 山を抜け、見慣れた後輩の姿を見つけた男は足を僅かに緩めた。


「ミェナ! この村を離れる! 急げ!」

「えっ? せ、先輩っ? どうしたんですかっ?」


 突然声を投げられたミェナは目を点にする。彼女の側には二人の男児がいて、一人は不貞腐れたようにそっぽを向き、もう一人は涙を拭いながら左耳の辺りを抑えていた。その者には不格好ではあるも、頭部を一周するように包帯が巻かれている。

 二人とも痣のある子供だ。それだけで、この村の暴力性が垣間見えるが、男は構わず馬を停めてある場所へと駆け出した。


「いいから早く馬に乗るぞ!」

「け、けどこの子達の手当てがっ」

「死なせたくなければ一緒に連れてこい!」

「……は、はいっ!」


 ミェナは即時に判断して、二人の男児を脇に抱える。まだ若くはあるも、鍛錬の成果か足並みは比較的早い。

 馬の元へと着くと不貞腐れていた男児を先輩へ渡し、女は包帯を巻く男児を体の正面で抱えるようにして馬に乗せた。

 それから審問官二人は、言葉を交わす間もなく村を離れていく。その慌ただしい様子に、村人達が不思議そうな顔で見送っていた。


「先輩! それで、何をこんなに急いでいるんですか!?」


 風に殴られる馬上から、ミェナは問いかける。

 男は視線を後方へと投げて静かに告げた。


「ヌシが来る」


 釣られて、女も視線を村へと向ける。

 すると、獣達の遠吠えが風に乗って聞こえて来た。

 その音は村近くにそびえる山から。

 充分に距離を取ったにもかかわらず、ハッキリと審問官達の耳まで届いてくる。

 そして、それは訪れた。


 ——————‼


 大地を駆け抜ける轟雷。

 一瞬、視界が白み、爽やかな風が頬を撫でる。

 だがそれはすぐに、爆音と衝撃波へと変じた。


 気づけば馬上から投げ出されていた。

 宙を舞い、何が起こったかも分からない内に地面へと打ち付けられる。

 数回体を転がしながら、どうにか腕の中の男児は守った女は、恐る恐る体を起こした。


「え……?」


 そうして、捉えた視界に愕然とする。

 彼女が見た光景は、燃え盛る村だ。

 建物だった物体が今も宙を漂っている。

 遠目に見ても、元の姿を保つ建造物は一つとして残っていない。

 更には土地自体が大きく抉れ、隣接する山に至っては三割が消滅していた。


「い、家が……」


 呟いたのは、腕の中にいた男児だった。

 彼は先ほど、もう一人の男児に左耳を半ばまで引き裂かれてしまっていた。親からも似たような目には何度も会わされており、その身にいくつもの痣を作っている。

 とは言え、そんな記憶があっても、子供にとっては帰る家には変わりなかったのだろう。

 それが目の前で燃え盛っていれば、その瞳にどう映るのかは想像に難くない。


「ミェナ。あれがヌシだ」


 後輩の元に歩み寄った男が語る。

 その真実を聞いても、ミェナはにわかには信じられずにいた。


「獣の秘術『反抗』。それはあらゆる種に抗う力だ。他種の秘術に干渉されない、命を持って対象の知性を奪う、更にはああして、一族を生贄にして全てを殲滅する『ヌシ』を呼び出す」

「一族を犠牲にって、じゃあ、あの山の獣達は……」

「彼らの瞳は覚悟を決めていた。あの村の者達は、獣という種にとって、見過ごすことの出来ない異端であると判断されたようだ」


 金髪の男は抱えていた男児を下ろす。

 赤髪の女は、その男児が傲慢に不貞腐れていた様を見ていた。しかし彼は、腕の中の男児とも変わらず、呆然と自分が暮らしていた土地を眺めている。


「あの村長は獣に対して、自分達が蹂躙する側だと考えていたが、これを見れば思い上がりだと気付くだろう」

「……獣達も、本気で生き残ろうとしているんですね」

「ああ。俺たちは未だ、種と種の争いの中にいる」


 そうしてこの日、一つの村が消滅した。

 生き残りの子供達は、手を引かれるまで、ずっと燃える村を眺めて続けていた。



 ——報告。巡回調査中に訪れた村で、獣堕ちとなった村人を確認。それを処分した後、ヌシが召喚され、村は壊滅。生存者は、直前で連れ出した子供二名のみ。

 ——生き残った子供二名は、審問会へと受け渡し済。壊滅した村では暴力的な価値観がはびこっていたため、常識的な教育から推奨する。

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