第28話 →♥←?誘惑◎→→→光

 それから、わたしの部屋で勉強会が始まったのだけれど。


「ここの問題は、この公式を使えば――」

「あ、そういうことか」


 華憐は、解き方の説明がとてもわかりやすかった。実は先生よりわかりやすかったり?


 そんなことを考えていると、華憐がジッとこっちを見ていた。


「ハナさんは、本当に首席で合格されたのですか?」

「え、どうして?」

「先ほどわたくしが教えた問題、この前の授業でやったばかりですから」

「あぁ……えっと、一夜漬けならぬ、一か月漬け? をしたからかな。だから、実はほとんど覚えてないんだよね……」

「一か月漬けですの? そんなことできるのですか?」

「それができちゃったんだよねー……。人間、一か月くらい寝なくても生きられるから」


 もう一生しないけどね。あんな地獄の日々……うっ、頭がぁぁああああーッ!!!


「?」


 頭を押さえるわたしを見て、華憐は首をかしげていた。


「オッホン。さ、再開しまーす」


 ……。


 …………。


 ………………。


「その問題の解答、間違ってますわよ」

「えっ……」

「それからその上の問題も」

「えぇ……自分的には自信あったんだけどな……」

「まずは公式を覚えることが大事ですわよ」


 すると、ローテーブルを回って華憐が隣に座った。


「この問題も、さっき使った公式を――」

「あ……あははは……」


 完全に付いていけない。


「笑っている間も手を動かしてください」

「は、はいっ……」


 教えてもらったことを忘れないようにノートに書いていく。


(勉強~勉強~あぁ……た、楽しいな…………あ)


 誤魔化すことに必死で、書き間違えてしまった。


 はぁ……。あれ、消しゴムは………………あった――


 カタンッ。


「あ」


 落ちていた消しゴムを拾ったときに、腕がテーブルの上に置いていたコップに当たり、盛大に中身をこぼしてしまったのだった。


 さいわい、テーブルの上のノートなどが汚れることはなかったけど、その代わりに……


「ご、ごめんなさい……っ!!」


 オレンジジュースが華憐の脚(ソックス)にかかってしまった。


 ちなみに、華憐はというと、それを見つめたままピクリとも動かない。


「あ、あの……」

「靴下が……濡れてしまいましたわね」


 と言って、一瞬ニヤッと笑みを浮かべると、後ろのベッドに腰かけて脚をこちらに伸ばした。




「脱がせてもらってもいいかしら?」




「へっ?」

「ハナさんが汚したのですから、当然のことでしょう?」

「…………」


 このシチュエーション、昨日読んだ漫画と全く同じだ。


 誤って飲み物をこぼしてしまったメイドに向かって、お嬢様が問い詰めるシーン。


 最初は言葉で、そしてその次は――


「ふふっ、冗談ですわ」


 と言うなり、華憐は自分で靴下を脱いだ。


「あっ……」

「? どうされたのですか」

「なっ、なんでもないよ……ッ!?」


 わたしはブンブンッと頭を横に振った。


 その後、靴下は軽く洗剤で洗ってから乾燥機にかけたのだった。


 ………………。


「あ、あのさ、つかぬことを聞くんだけど」


 と前置きをしてから、ふと浮かんだ疑問を尋ねてみた。


「その……さっきみたいなことって……リアルにあったりするの……?」


 華憐の家は超が付くお金持ちで、物凄い大豪邸だということは把握済みだ。


 ――――行ったことはないけど。


「さっきみたいなこと? あぁ、そうですわねー」


 と考える仕草を見せると、口角を上げて「ふふっ」と微笑んだ。


「ご主人様の言うことは絶対ですから、従わないメイドには……」

「メ、メイドには?」

「…………ふふっ、内緒ですわ♥」

「!!?」


 き、気になるーっ。


「気になりますか?」

「!! べ、別に……」

「ほっぺに『気になる』と書いてありますわよ?」

「え?」

「ふふふっ」

「…………っ」

「でも、粗相そそうをしたのは事実ですわよね」

「へっ?」


 ふと目を合わせると、潤んだ瞳がわたしを見つめていた。


 頬は赤く染まっていて、その体温がこっちまで伝わってくる。


 あ、あれ……動か……ない?


 金縛りにあったときのように、体が動かなくなってしまった。


 そんなわたしは、華憐に手首を引っ張られ…――ベッドに倒されてしまった。




 一旦、状況を整理しよう……って、そんな余裕ないって!! ええっと、わたしが靴下にジュースをこぼしちゃって……それから、かくかくしかじかで……気づいたらベッドに押し倒されて……。


 ベッドのギシッときしむ音が、どうしても想像をき立ててしまう。


「ハナさん、可愛いですわ♡」

「かっ、可愛い? わたしが……?」

「えぇ、とても♡」

「…………っ」


 ただでさえ体が動かないというのに、強い力で手首を押さえつけられていた。


 この細い腕のどこに、これだけの力があるというのか。


 すると、華憐は淡々とした口調で言った。


「振り払えばいいのに、それをしない。いや、できない。それは一体どうしてなのか。ハナさんの心のうちは、それを知っているはずですわ」

「そ、それは……」

「ねぇ、教えてくださらない? あそこの本棚に並んでいる漫画を読んでいる間に、こうなったらいいなって、心のどこかで望んでいたのでしょう?」

「そんなことは……ない……」

「隠そうとしても、身体は正直ですわ♥」

「ちょっ……あっ」


 華憐は髪を撫でながら頬にそっと手を添えた。


「きめ細やかで白い肌。蕾のような可愛いピンク色の唇」


 曲線を描くように指を当てていく。


「まるで、神様が作ったのかと疑ってしまいますわ」

「そっ、それを言うなら、そっちの方が」

「あらっ、嬉しいことを言ってくれますわね」


 華憐の手は頬から唇、そして、


「リボンは邪魔ですから外しましょうか」


 抵抗もできず、スルスルと首からリボンが抜かれた。


 そして、上から順番にボタンが外されるたびに、自分の奥底にあるなにかが高鳴っていた。


「ハナさん、あなたは……天霧さんのこと、好きなのでしょ?」

「え……どうしてそれを……」

「やっぱり♥」

「……っ。い、いつから知って――」

「初めて二人に会ったときからですわ」


 初めて………………って、いつ?


「さぁ、いつでしょう?」


 え、今、口に出して……言ってないよね……?


 ぼんやりとする意識の中、なんとか思考を巡らせる。


 よく考えたら、わたし、華憐のことについて知らなすぎる。まるで、記憶が後付けされたような。


「――――神様も、これくらい大胆でないと……♥」


 神……様……。


 おかしい。なにが、とはうまく言えないけど。なにかが……おかしい。


「誰なの……?」


 絞り出した声で言った一言がこれだった。


 わたしは、この子を知らない。


「ふふっ。少々、いえ、大分だいぶ早く気付いてしまったのですね」


 華憐は一度顔を俯かせてから、ゆっくりと顔を上げた。


「え」


 その瞳は、紅に染まっていた。


「私は……この世界を創り変えた者、ですわ」


 なにを言ってるの……?


「そのままのことを言ったまでですわ」


 まただ。完全にこちらの心を読んでいる。


「どうして……こんなことを……?」

「そんなの、一つしかありえません」


 紅の瞳で見つめながら、彼女は言った。


「ハナさん…――あなたの心をメチャクチャにするためですわ♥」




 ――――――――――――――――――――――――。




 そのとき、一瞬にして部屋が暗闇に包まれた。


「なっ、なんですの……?」


 華憐もなにが起きたのかわかっていないようだ。


 でも、それはわたしも同じだ。


 ベッドの感触はある。でも、なにも見えない。


(ここは、一体……)


 注意深く周りに目を向けていると、突然、目の前の地面から眩い一筋の光が天井に向かって放たれた。


 な、なに……?


 その光はどんどん太くなっていく。


 そして、そこから一つの人影が現れて…――


「――――――ッ!!」


 華憐は、自分に向かって放たれた光線を後ろにジャンプして避けると、鮮やかに着地した。


 その身のこなしは、常人には到底できないものだった。


「ッ!? うっ……あ、頭が…………っ」


 突然、頭に猛烈な痛みが駆け巡った。


 締め付けられるような、握り潰されるような。


「あ……あっ……がぁっ……」


 しっ、死んじゃうの……? 訳もわからないまま、わたしは……。


 恐怖と絶望に包み込まれそうになったとき、『あの』声が聞こえた。




『もう大丈夫だよ』




「…………え」


 この声を聞いた途端、さっきまでの頭痛が徐々に治まっていった。


 なにが、起きてるの……?


『――ハナちゃん』


 目の前に立っていたのは、一人の少年だった。


 見たことがないはずなのに、こんなにも彼に親近感を抱くのはなぜだろう。


「…………っ」


 わたしの中のなにかが叫んでいる。


 彼の力が必要だと……。


「天道一真……っ!? あなたは……まさかっ」


「あなたは……誰……?」


 すると、その少年は優しい声色で言った。




『――――私は、君の神様だ』

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