第2話 俺が、お……お姉ちゃん!?

「……うぅ〜んっ」


 目をゆっくり開けると、そこには自室の天井が広がっていた。


 あれは……夢、だったのか……?


 寝て体を休めるどころか、逆に疲れてしまった。


「…………起きるか」


 と呟いてから、寝起きで気だるい体を起こしたところで、


 ホーホケキョ、ホーホケキョ。


(……? 鳥の鳴き声?)


 どこから鳴っているのかわからず、ぼーっとした頭を動かして周りを探してみると、


 ……あ、あった。


 どうやら、枕元にあるスマホから鳴っていたようだ。


 ホーホケキョ、ホーホケキョ。


 これは……ウグイスか?


 俺はそのスマホを手に取り、画面の停止ボタンを押したのだけど。


 そういえば、いつもと目覚まし音が違う?


 設定は……てか、ウグイスの鳴き声で起きられるかっての。


「はぁ……うん?」


 ふと下を向くと、俺はある異変に気づいた。


(服が違う……?)


 そう。今自分が着ている服装が、なぜかTシャツとショートパンツだったのだ。


 いつもは上パーカー、下はスウェットで寝ているから、これはさすがにおかしい。


 そして、変化はそれだけではなかった。


 えっ……?


 自分の視線の先にあったのは、丘だった。


 ええ……?


 目をパチパチしても、目に映る景色が変わることはなく。


「………………」


 ――ムニィ。


 やっ……柔らけぇ~。


 なんとなく触ってみたけど。なんだ!? このマシュマロみたいな感触は!?


 それから少しの間、この触り心地に夢中になっていると、


「……んっ」


 口から思わず女の子のような声が漏れた。


「……ッ!!?」


 自分の口からこんな声が漏れるわけがない。


 ……そうかっ。もしかすると、これはまだ夢の中なのかもしれない。うん、間違いないっ!


 胸に柔らかいものがあって、声が女の子なのだから。


 まさかこんな夢を見る日が来るとは……。


 そのとき、扉の方から聞き覚えのある声が聞こえた。


「お姉ちゃ〜んっ! もう朝だよーっ!」


 今の声は、妹の美桜みおだ。


「お姉ちゃーんっ!」

「はいはい、もう起きてますよー……うん?」


 いつものように美桜が起こしに来たのだけど。おかしい。


 俺のことを『お兄ちゃん』と呼んでいた妹が、まさか『お姉ちゃん』と呼ぶなんて……。


 これもまた夢なのか?


 ガチャリ。


「えっ、あの寝ぼすけのお姉ちゃんが起きてる!?」

「おはよう」

「お、おはよ……」


 美桜は驚いた顔でこちらを見ている。


「な、なんだよ。俺の顔になにか付いてるのか?」

「別に付いてないけど……って、『俺』? お姉ちゃん、いつの間にオレっ子になったの?」

「俺っ子? なに言ってんだ?」


 ただでさえ今の状況を飲み込めないでいるのだから、わからない単語を使わないで欲しいものだ。


「わわわわわ……っ」

「? 美桜?」

「お、お母さぁーんっ!! お姉ちゃんがオレっ子になったぁぁぁぁぁー!!!」


 バタンッ!


 部屋を出ていった美桜が閉めた扉を見つめながら、俺は心の中で呟いた。


 変な夢だなぁ……と。


「……痛っ」


 ここでなにを思ったのか、軽く頬をつねってみた。


 すると、一瞬で痛みが駆け巡った。


 ……えっ? 痛みを感じる?


 …………感じちゃうんですけど……っ!?


 ということは……つまり……


 俺は慌ててスマホのインカメラを起動した。


「………………え?」


 口から素っ頓狂な声が漏れたのは、画面に映し出されたのが一人の女の子だったからだ。


 それも、かっ……可愛い。


 そして、俺は気づいてしまった。


 ――『ある部分』があって、『ある部分』がないことに……。


 ……。


 …………。


 ………………。


 慌ただしい音を立てて廊下を進み、バンッとリビングの扉を開けて中に入ると、トーストを食べていた美桜と目が合った。


「はぁ……はぁ……みっ、美桜っ!」

「? どしたの、お姉ちゃん?」

「どうしたも、こうしたもないんだっ! おっ、俺の身体が、俺の身体が女の子に――」

「――あらっ。おはよう、ハナ」


 ……ハナ?


 すると、キッチンの方から声の主である母さんが出てきた。


「お、おはよう」

「ふふっ、いつもはお寝坊さんのハナが自分から起きてくるなんて、珍しいこともあるのねっ♪」


 そう言って、キッチンから運んできたコーンスープの入ったコップをテーブルの上に置いた。


「ほんとだよー。まあ今日はお姉ちゃんにとって大事な日だもんね」

「だ、大事な日?」


 リビングの真ん中で棒立ちになっている俺を見て、美桜は小首を傾げた。


「ん? 今日のお姉ちゃん、なんだか変だよ?」


 変と言われても……。


 この状況を理解できないでいるのだから、しょうがないだろう。


「あっ、ハナ。目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちがいい?」

「え? ス、スクランブルエッグ……」

「わかったわ。すぐできるから、早く顔を洗ってらっしゃい」


 と言って、母さんは冷蔵庫から卵の入ったパックを取り出した。


 ? ? ? ? ?


 頭の中で、はてなマークがどんどん増えていく。


「み、美桜……」

「? なぁ~に?」

「これは、その……俗に言うドッキリ的な感じか?」

「お姉ちゃん」

「な、なんだ!?」

「……二度寝しないようにね。まだ寝ぼけてるみたいだからさ」


 そう言って、美桜はトーストをぱくりと口に運んだ。


「…………」


 どうなってるんだ……?




 とっくに目は覚めていたが、一応洗面所で顔を洗い、リビングへと戻った。


「お姉ちゃん、時間大丈夫なの?」

「時間? なんの?」


 席に座って朝食を食べ始めた俺を見て、美桜は「はぁ」とため息を吐いた。


「なんのって、今日はお姉ちゃんにとって大事な日じゃん!」

「? さっきも言ってたけど、今日はなにがあるんだ?」


 すると、キッチンから出てきた母さんが言った。


「今日は、これからハナが通う学校の入学式よっ♪」

「ふーん。……んん!? にゅ……入学式!?」


 俺が高校に通い始めて、一ヶ月近くは経ってるぞ?


 なのに、入学って……。


 手に持っていたトーストがポロンッと皿の上に落ちた。


「そうだよ! お姉ちゃん、しっかりしてよー」

「ふふっ。入学が決まった日から今までずっと楽しみにしていたから、遅くまで眠れなかったのねっ。お母さんも若い頃は、前の日の夜はドキドキで――」

「――ちょっ、ちょっと待ってくれ!」

 

 話を止めると、二人の視線が自分へと向けられた。


 ドッキリをしている人の目では……ない、よな。


 じーーーーーっ。


「どうしたの?」

「なに、お姉ちゃん? あっ、いっけなーいっ。急がないと遅刻しちゃう!」


 リビングの時計を見て時間がギリギリだったことに気づいた美桜は、慌てて席から立った。


「あらそうね。お弁当は~……はいっ」

「ありがとう〜、じゃあ行ってくる! お姉ちゃん、ゆっくりしすぎて遅刻しちゃダメだからねっ!」


 と言ってランチバッグをカバンに入れると、


「行ってきまーすっ!」


 と元気な声を上げて出かけて行った。


「いってらっしゃい」

「……い、いってらっしゃい」


 ――ガチャリ。


 玄関の方から扉が閉まる音を聞いて、母さんはこちらを向いた。


「さて、時間も時間だし、そろそろ新しい制服に着替えなきゃねっ」

「…………え?」

「? ハナ、本当に大丈夫なの?」


 母さんは徐に俺のおでこに手を当てた。


「熱はないみたいね」

「だっ、大丈夫……だよっ」


 ここまでの情報量の多さに、脳が追い付いていないだけだから。


「そう? ならいいんだけど、無理しちゃダメよ? 少しでも気分が悪くなったらすぐに先生方に伝えるのよ?」

「う、うん……」


 あれ? 流れに身を任せている間に、どこかの学校の入学式に行くことになってる?


 そのとき、『あの声』が聞こえた。


『ハナちゃんは、自分の部屋で制服に着替えるために、リビングを出た』


 !? な、なんだ!? 今の声……っ!?


 すると突然…――俺は歩き出した。


 え? え? え? え? え?


 勝手に脚が動くという現象に、俺の脳はパニック寸前。


「初日から遅刻したくないから、急いで着替えてくるっ」


 くっ、口まで……!?


 俺の体は、俺の意志を無視してリビングを出ると、廊下を進んで自分の部屋へと向かった。


 とっ、止まってくれぇぇぇーっ!!!


 言うことを聞かない体、そしてさっきの謎の声。


 一体、どうなってるんだ……っ!!?


 それから部屋に入ってクローゼットの前で立ち止まると、ハンガーでかけてある制服一式を手に取った。


 そこで、一瞬フワッと体が軽くなったかと思ったら、操られている感覚は無くなった。


「…………」


 恐る恐る手をグー、パーと動かしてみたが、特に問題はないようだ。


(はぁ……って、これは……)


 俺の目が捉えたのは、白のシャツと赤の紐タイ、そして、紺のワンピースだった。


 ……どこからどう見ても女子の制服だ。


 俺の部屋に、こんな物はない。まあ逆にあったらビックリどころでは済まされないけど。


(それにしても……さっきのあれは、一体なんだったんだ……?)


『――なんだろうね?』


 ……ッ!!?


 さっきリビングで聞いたのと同じ声だ。


 室内には、俺以外に誰もいないはず。


 ……まさか、幽霊?


「いやいや、そんなわけ――」

『一真ぁぁぁあああああ〜〜〜~~〜〜〜~~〜〜〜~~っ♪』


 !!!!! こっ、この声は……


『一真、女の子の体はどうだ~い?♪』


 ――あ、思い出したっ。


 昨日見た夢で聞いた声と、今の声が全く同じだった。


 このノリが軽い感じ、間違いない。


「もしかして、かっ、神様……?」

『その通りなのデース♪』


 どこかで聞いたことのある口調だな。


『ニコッニコッ♪』

「……夢じゃなかったんだな」

『イエスッ!』

「……もうそのノリはいいから、ちゃんと話そうぜ。あんたには聞きたいことが山ほどあるんだからさ」

『それもそうだけど、その前に』

「?」

『一真……いや、ハナちゃん。目の前にある制服に着替えよっか♪♪♪』

「……はい?」

『フッフッフッ』

「な、なにを……あ! まさかっ――」

『ハナちゃんは、体の前で腕を交差させてシャツの裾を掴むと、勢いよく上に持ち上げた』


 !!? 神様の言葉に反応して、腕が勝手に……。


 金縛りにあったときのように、体が言うことを聞いてくれない。


 自分の……体なのに……っ。


 それから粘り続けること、十分。


 ぐぐぐぐっ……。


 下げようとする力と上げようとする力がぶつかり合う。


 だが、勝ったのは後者だった。


 くそ……っ。


 腕が胸の前を通過したところで、ふと扉の向こうからノックの音が聞こえた。


「ハナ〜、もう出ないと本当に遅刻するわよーっ」

「ぐぐぐぐっ……」

「ハナ?」

「わっ、わかってるから!」

「そう?」


 母さんは部屋には入らず、リビングに戻って行った。


 ドスの効いた声になってしまったが、状況的にしょうがない。今は耐えるのに精一杯なのだから。


 だが、その一瞬の隙を見逃すわけはなかった。


 うううぅぅぅぅぅ……はぁっ…――バサッ……!!!


(!? しまった……っ!?)


 俺はシャツをスポンッと脱ぎ、ショートパンツのウエスト部分を手で掴むと、思いっ切り足首まで下ろした。


 油断してしまった、だと……。


『エヘヘヘヘッ♪』


 ……このまま好き勝手させるわけにはいかない。


 でも、どうすれば……っ。


「…………わ、わかった! 自分で着替える! だから、俺の自由にさせてくれっ」


 すると、さっきと同じように体がフッと軽くなった。


「はぁ……」


 神様。そんなものは空想上の存在と思っていたけれど、こうなった以上なんとかしないと……。


 ……。


 …………。


 ………………。


 それから早速、俺はシャツの袖に腕を通し、下から順番にボタンを留めようとしたのだけれど。


 あれ? ボタンってこんなに留めにくかったっけ?


 よく見たら、ボタンが右側じゃなくて左側に付いてるな。


『男女でシャツのボタンの位置が異なるのは、知ってるかな?』


「! 聞いたことがあるような……ないような……。どうしてボタンの位置が逆なんだ?」

『えっ? ……ちょっ、ちょっと待ってねっ♪ えーっと……』

「?」

『なんだったっけ……えーっと……』

「神様なんだから、なんでも知ってるはずだろ?」

『それはあの方だけの、は・な・し!』

「あの方?」

『あっ。……オッホン。今はそんなことより、早く着替えた方がいいと思いマース!』

「今、絶対話を誤魔化しただろ」

『うっ、それ以上続けたら、また私の力で――』

「はいはい、わかりましたよー……って、こ、ここ、これは……」


 手の中にあるのは、リボンとフリルの付いた可愛らしい薄ピンクのショーツ。


 着替える前に着ていたグレーのショーツは今、床に落ちている。


 ちなみに、女性の胸を覆う『ブラジャー』と言われている神器は、まあそのなんだ……付けちゃったよね……。


 べ、別に、付けてみたかったなんて思ったことは一度たりともないっ。


「…………」


 まあ、ここまではいいだろう。問題はここからだ。


 上はともかく、下は男でも履く。


 だが、もちろん男女で下着の種類は大きく異なる。


(……履くのか? 履いちゃうのか……?)


 自問自答という名の迷宮に迷い込む。


『あらあら、自分のショーツをじーっと見つめちゃってどうしたのかな〜?♪』

「えっ。そ、それはその……」


 あんたのせいだろ! って言いたいけど、また体を操作されるようなことになったら……それだけはマズい。


 う~ん……自分が今、女の子だからとわかっていても……。


『はぁ、仕方ないなぁ。じゃあ、この私と神の決闘をして勝利することができたら、好きなようにしていいよっ』

「!! ほんとか……っ!? やる、やりますっ! さすが神様っ! よっ、太っ腹~!」


 ――ニヤァァァ。


『はいっ、ジャンケーン――』

「!!? ちょっ、ちょっと待て!」

『うん? どうしたの?』

「神の決闘って、もしかして……じゃんけん?」

『そうだけど?』

「…………」


 勝敗をじゃんけんで決めるって、可愛すぎかよ。


『? やらないなら、今度こそ私の――』

「やりますっ」


 取り敢えず、神様がどこにいるのかはわからないが、一応手を前に出す。


『準備はいいかな?』

「もちろんだっ!」

『よろしい~。では……』


 ………………………………………………。


「ジャンケンッ!」

『ジャンケンッ!』


 俺……グー。

 神様……グー。


「『あ~いこでー』」


 俺……パー。

 神様……パー。


 ここまではいい勝負。次で決めてやるっ!


「『あ~いこでー』」


 俺……パー。

 神様………………………………チョキ。


 あっ。


『いぇ~い、勝ち~~~っ♪』

「……えぇぇえーい、ままよーっ!!!」


 ハナ(俺)は、ショーツを腰まで一気に上げたのだった。

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