第十話 善と悪

――物事を見極めは大事だが

        それ以上に視点が大事である――


  *


 生存協会での生活が始まった。

 アネットは歓迎会で久しぶりに人間の食べ物を沢山食べた。食べることは苦ではないのだが、味が分からない上に栄養にもならないため、もったいなく感じてしまうのだった。

 ちなみに、食事の感想はリョウの感想を参考にしながら答えていた。

 幹部が多く住む区画に住みはじめ、周辺住民との家事分担にも参加しているのだが、あらゆる面で新人への配慮が行き届いると感じられた。

 洗濯の際は、不死戦線とは違って川が少し遠いため、ろ過した雨水を利用するのだが、既定量の水で効率よく洗うコツを教えてくれた。

 畑仕事は、不死戦線で菜園を管理していたこともあり自信があったアネットだったが、水量や肥料の使用量について効率のよい利用規定がされており、どんな人間でもマニュアル通りに動けば作物が作れるように配慮されていた。

 食事については、アネットがゾンビ肉を食べる必要があることと、調達や埋葬の仕事の役割分担の兼ね合いで、夕食のみ共同で作ることにした。食料を各家庭から持ち寄って料理を作るのだが、周辺住民の中に元料理人がいるらしく、リョウはその味付けが気に入ったようで、毎日美味しそうに食べていた。

 アネットは少し悔しくもあったが、朝と昼は引き続き作っており、夕食ぐらいは人間が作った料理を楽しんでもらおうと考えた。

 死体の埋葬についても細かく手ほどきがされた。

 初回は先輩方がつきっきりで教えてくれたため、アネットは食糧を確保する隙ができずに焦った。不死戦線を出る前にゾンビを可能な限り食べておいてよかったと思うとともに、埋葬作業でゾンビ肉を手に入れられないのだろうか思うと、アネットは血の気が引く思いだった。

 実際、ゾンビを食べられなければ、アネットの血の気は引いていくのだが……。

 リョウの調達に同行してゾンビを確保するべきかと考えたが、死体処理の人員が不足しているというのは事実のようで、手際のよさを認められたアネットはすぐに駆り出されることとなった。また、二回目以降の作業はアネットに任せられることも多く、ゾンビ肉の確保はすぐに安定した。

 それらの経験を話の種として聞きこみしていく内に、リーダーがアクセルに変わってから町の環境がグッと良くなったらしいことが分かった。規則や罰則が厳密になったことで争いが減り、効率を求めた制度によって資源の浪費や偏りもなくなり、不満が減っていったのだという。

 また、半年ほど前に不死戦線から出ていった、崖から落ちた夫婦とも再会することとなった。

 彼らの話によると、不死戦線と比較して、人数多いため面倒な人間関係に発達しずらいこと。仕事がローテーション制で分かりやすいこと。話し合いが円滑で、双方の意見が尊重される環境がであることなど、彼らの気質に合っているようで暮らしやすいとのことだ。

 シュナウドが適した人間を見極めて、生存協会に送っていたのだろうとも感じられた。

 生存協会で暮らす中で、アリスには本当に世話になった。研修で分からなかったことがあっても、定期的に新人を集めて勉強会を開いてるので、そこで聞くことができた。アリスが生存協会内でこなす仕事が多岐に渡ることが分かり、その多忙さに少し心配になったが、アリスはどの仕事も楽しそうにこなしていた。

 余談となるが、アリスはアクセルを異性として慕っていたらしい。アリスの話を生存協会内ですると、住人たちは揃ってそのことを仄めかすのだった。アリスは結婚している身のため、直接的な話には出さないが、周知の事実であるようだった。

 アリスに関するうわさをまとめると、アリスはアクセルを慕っていたが、アクセルは死んだ妻への思いを忘れられなかった。そんなアクセルに対して思いを伝えられなかったアリスは、傍で彼を支えるため、適当な人間と結婚して家庭を持ち、仕事の幅を広げたらしいと言われていた。

 実際問題どうなのかは分からないが、生存協会の規定的には、原則的に夫がいない女性は調達へ動向できなかった。また、生存協会の幹部はみな家庭を持っているもの事実ではあるため、ありえない話ではなかった。

 とはいえ、アリスにそんな疑惑があるなどととは、二人は露ほども思っていなかった。しかし、うわさを何度となく耳にすることとなり、二人もいつの間にか、そのうわさを受け入れ始めていた。

 ただ、アネットはこのうわさが広めることで、アリスとアクセルに対して不満が向かないようにしているのではないかとも考えるようになっていた。

 邪推かもしれないが、その絶妙なバランスが生存協会の良さを産んでいるように思えたのだった。


  *


「リョウ、どう思う?」

「なにが?」

「生存協会って、かなり上手くいっている組織だと思わない?」

 不死戦線と比較しても遜色なく、規模が大きいのにサポートがしっかりと行き届いていた。地域格差が生まれそうなものだが、どこに住んでいる住人からもこれといった不満は聞かなかった。ゾンビがうろつく外の世界と比較すれば天国であり、他のグループと比べても絶賛されるのだった。

「……うん。僕がいたころよりも制度や治安が格段によくなっていると感じるし、なんなら不死戦線で不満に思っていたことも、生存協会では解決されていたりする」

「だよね」

 仕事のローテーションしかり、他者との関り方や食糧問題まで、これといった問題が見当たらないのだ。

「僕が不自然に感じるのは、リーダーの悪いうわさを聞かないことかな」

「それって、アリスさんのうわさも関係しているよね?」

 リョウも、アクセルたちがうわさを管理している可能性を考えたのだろうか。

「まぁね。アリスさんのうわさは、真偽はどうあれ上手いと思った。否定も肯定もする必要はないことだし、住人が親近感を抱くのに相応しい内容なんだろう。それでも、リーダーに対しては多少の不満は出るはずなんだよね。シュナウドさんは、リーダーにならないことで逆恨みを減らそうとしていた。でもそれも詭弁みたいなもので、シュナウドさんの悪口を言う人間は少なからずいた。でも、生存協会ではアクセルの悪いうわさは聞かなくて、耳に入るのはアリスさんのうわさだけだ」

 リョウが言いたいことの意味を、自分の考えと合わせながらアネットは考える。

「例えば、アクセルを悪く言う人間は排除されている、とか?」

「……可能性はあると思う。それこそ、罰則と報酬のルールを上手く使っているのかも。誰かが罰を受けたらそのあたりの仕組みが浮き彫りになるかもしれないし、裏側が分かればハナの手がかりに繋がるかもしれない。……誰かを悪者にでっちあげることも考えた。でも、他者を陥れたら僕もアクセルと変わらなくなってしまうと考えなおしたよ」

 最近のリョウは復讐を思ってか、様々なことを考えては自制しているようだった。

「新人が失敗するのを期待するしかないかもだけど、私たちも久しぶりに生存協会に入った人間みたいだし、外の世界でグループに属さずに生き残っている人なんていないだろうから、なかなか難しいかもね」

「まぁ、今は生活に慣れるのが優先だね。今は情報収集を続けるとしよう」

 そう言ってリョウは話を切り上げた。

 しかし、新しい住人はすぐに現れたのだった。


  *


「シェルターにずっと籠っていたんだけれど、食料がつい先日尽きてしまってね。それで、おそるおそる外へ出てみたら、ゾンビがほとんど見当たらない。シェルターを借りていて本当に良かったと思って、探索に出たんだ。でも、食料がどうにも見つからなくて、しばらくさまよっていたんだ。そんな中で、一匹のゾンビを見つけた。気づかれないように逃げようと思ったけど、そのゾンビを追いかけてみることにしたんだ。というのも、俺は今にも餓死しそうで、ついていけば何かを見つかるんじゃないかと踏んだんだ。丸一日かけてゾンビを尾行していたら、この町に辿り着いた。ゾンビは見張り兵に殺されて、俺は保護された。あのゾンビには感謝してもしきれないよ」

 新人歓迎会の中、デヴィッドという中年の男はそう話した。世界がこんなことになる前は実業家として稼いでいたらしく、知り合いの紹介で仕方なく借りていた最新式のシェルターに入っていたそうだ。

 シェルター内には大量の食糧が保管され、備え付けられた大きな貯水槽では自動的に雨水がろ過されるため、飲用水が尽きることはないらしい。また、ソーラー発電が行われているのに加え、シェルター内での運動を兼ねて発電機能のあるエアロバイクが完備されており、電気が使えるらしい。その電気を利用して、シェルターの明るさと空調、食品の調理が行えるとのことだった。

 また、シャワーが完備されており、シャワー用の貯水タンクは飲用水とは別に設けられていた。一度使用した温水は加熱処理をされて再びシャワーに使われるようになっており、シャワー用タンクの水が足りなくなれば、飲用水の貯水槽から不足分だけが自動で供給される仕組みになっている。

 そんなシェルターでのデヴィッドの過ごし方は、発電された電気でゲームや電子書籍などを楽しんでいたらしい。とはいえ、インターネットが機能していないため、オフラインでできるゲームや、ダウンロード済みの電子書籍を楽しんでいたそうだ。

 シェルターでは今も充電ができるらしく、飲用水の確保も可能であるとのことで、近いうちに生存協会をあげて調達に行くこととなった。

 歓迎会も進んでいき、自由に談笑する時間となった。デヴィッドが二人の元に話しかけに来たので、簡単な挨拶をした。

「シェルターから出てくる人は、これから増えるんでしょうか?」

 リョウがデヴィッドに対し、素朴な疑問を投げかける。

「確かに、俺のような人は多少いるかもしれないね。保管できる食料も、長くて三年ってところだろうからね。俺は早いうちにシェルターに避難して、最初の内はストレスのせいか食べる量も多かったから、食料の減りが早かったと思うね。だから、これから多少は増えていくって思っていていいんじゃないかと思うよ」

 リョウとデヴィッドが話していると、アクセルとアリスが二人の話に乗った。

「現に生存協会に、小形シェルターに入っていた人間もいるからな。この近くではないが、シェルターがまとまって置かれている区域もあるって話だ。メーカーによって対応年数も多少は変わるだろうが、地球上の人口は今後少しだけ増えるのかもな。地下の人口が減ることによって、だが」

 アクセルの言葉に、今度はアリスが問いかける。

「そういえば、スイスは各家庭に核シェルターを設置することが、法律で義務付けられていたんでしたっけ?」

「ええ。ネットが機能している間は、シェルターに籠っている者同士で交流もあったけれど、初期は確かにスイス人が多かったね。でも、それこそ義務付けられているシェルターはなんてのは長期的なものじゃなくて、二週間程度を過ごせるような一時的なものが一般だったみたいだ。ネットが止まってからの動向は分からないけれど、ずっとシェルターにはいられなかっただろうね。まぁ、シェルターがある分のだけ保存食もあるってことだろうから、他国よりはアドバンテージがあっただろう。物資を早めに確保して、シェルター内に持ち込んでいた人も結構いたかな。でもその分、シェルターを出なければならなくなってからは、残された物資の取り合いになったのだろうけれどね」

 インターネットの話が出てきたので、アネットも根本的な疑問を投げかけることにした。

「そういえば、人間がゾンビになってしまう原因って、何か分かったんですか?」

 地上で生きるのに必死だった人間より、ぎりぎりまでネットを使えていた人間の方が、少しでも新しい情報が入ってきていただろう。

「ああ、それは当然調べていたけれど、どうにも世界中で突発的に起こったことらしくて、海を越えた国でもゾンビは横行しているみたいだったよ。世界中に、いきなりゾンビ化した人が現れたみたいだ。上空に飛行物体があったなんていう投稿や、奇怪な生物を見たっていう投稿なんかもあったけれど、大概は早々にシェルターへと逃げ込んだ暇人のフェイクだったし、結局のところは不明のままかなぁ」

「そうか……。まぁ、これからよろしくな、デヴィッド」

 アクセルのそんな一言をもって、そこでの会話は終わりを告げた。

 そのあとも歓迎パーティーは続き、デヴィッドが把握している限りの世界情勢についての話を聞くことができたが、特にめぼしい話はなかった。

 そんな中で、アネットの印象に残ったものを挙げるとするならば、国民全員をゾンビにすべくゾンビ化政策を始めた大統領の話や、食糧難でゾンビを食べて壊滅してしまった国の話だった。

 それらの情報は当然すべてネットから得たものだったが、人類がアクセスできなくなってしまって久しいネット上の情報など、今となっては存在しないも同然だった。

 人間がこの地球に生きていたという記録自体が消失してしまったにも等しいのだと、アネットは改めて思った。


  *


 デヴィッドはそれから、二人が住む予定だった中心部の空き家に住んでいるのだが、アネットたちとはよく話すようになった。

 アリスの開く研修などで何度も一緒になるだけでなく、情報収集のために二人が町中を歩いていると「俺もついていっていいかな?」と決まって声をかけてくるのだった。

 デヴィッドは喋りがうまく、誰に対しても積極的に話しかけるので、誰とでもすぐに打ち解けており、デヴィッドと一緒に行動するからこそ手に入る情報というものも見込めそうだった。

 また、デヴィッドは犬が好きらしく、町中を探索したあとは必ず家まで来て、サクラと遊んでから帰るのだった。アネットたちの家に寄ることで、幹部連中との交友関係を作ろうとしているようにも思われたが、純粋にサクラと遊ぶことを楽しんでいるようにも見て取れた。

 最初のうちは、サクラがデヴィッドに襲い掛からないかと心配だったが、そんなアネットの心配とは裏腹に、デヴィッドとサクラはすぐに仲良くなった。

 一緒に行動をともにしていたところ、デヴィッドにシェルターへの調達へ一緒に行かないかと誘われた。調達の際は充電の切れてしまったビデオカメラを持っていき、充電させてもらう予定である。カメラの充電器がないのではと思ったが、シェルターにはマルチタイプの充電器があるとのことだった。


  *


 デヴィッドが来てから一週間ほどが経ち、シェルターへ調達に向かうこととなった。

 この一週間でデヴィッドは多くの人と交流し、生存協会の幹部との交流も広がっていた。二人としても、デヴィッドがいることで話の幅が広がるため、互いに利益があるのであった。

 シェルターまでの道のりは、そこまで遠いものではなかった。デヴィッドは一日中歩き回って、なんとか生存協会に辿り着いたとのことだったが、あてもなくうろつくゾンビを必死に追いかけるのと、目的地に向かって移動するのでは、かかる時間は大きく異なった。

 シェルターの近くに来ると、リョウが「なんだか臭いますね」と言った。リョウの言葉から、アネットは周辺が臭いという情報を得る。

 デヴィッド曰く「シェルター内で出たゴミや排泄物が地表に捨てられるようになっているからだろう」とのことである。

「処理タンクの許容量を超えると、少し離れたところに排出される仕組みらしいんだ。なんだか悪いな」

「いえ、仕方のないことですよ。……じゃあ、こんな風に臭っているところがあれば、その近くにシェルターがある可能性が高かったりするんですかね?」

 悪臭あるところに人間ありというのもおかしな話だが。

「ん-、どうだろうな? 他のシェルターがどう処理しているのかなんてのは俺には分からん。それに、俺が入っていたのは最新式とは言っても、友人に頼まれて借りた出荷前の試作版みたいなものだったから、同じ製品はないと思う。でも、どうしたって処理するための機構は必要だろうから、一つの手掛かりにはなるかもな。……さて、この辺りだ」

 デヴィッドは見慣れた街並みに安心した様子だったが、周囲は普通の住宅街にしか見えず、アネットを含め、調査隊は全員不安に思っていた。しかし、デヴィッドが小形のリモコンを押すと、歩道部分の地面が開き、地下シェルターへと続く階段が顔を出した。

 そんな変化にあっけにとられていると、デヴィッドはそそくさと階段を下りて行った。調査隊もそれに続いていく。

 デヴィッドは扉の前まで行くと、虹彩認証のロックを解いてシェルターの扉を開いた。

 シェルター内はこじんまりとしているものの、綺麗だった。デヴィッド自身が綺麗好きなのもあるのだろうが、二年ほどをこのシェルターの中だけで過ごしたようには感じられなかった。とはいえ、シェルター内での活動内容など限られているので、荒れようもなかったのかもしれないが。

 一行の関心は、シェルターに備わった機能へと集まった。ろ過された雨水は蛇口を捻れば出てくるのだが、ろ過装置自体がシェルターと一体になっているため、持ち帰ることは出来なかった。そのため、ろ過水は持ってきたタンクに入れて持ち帰ることになった。

 また、持ってきたビデオカメラを充電させてもらうことにした。一緒に来ていた調査隊の面々も何らかの機械の充電を頼まれていたようで、すべての充電が終わるまでに一時間ほどシェルター内で時間を潰すこととなった。その間に、一人ずつシャワーを浴びさせてもらうことが決まった。

 水の温度が変化してもアネットには分からないのだが、およそ二年ぶりに温かいシャワーを浴びられた調査隊の面々は、とても満足した表情をしていた。それにならって、アネットもシャワーのあとは満足気な演技をした。

 シェルターのロックに関しては、今後生存協会の人間が飲用水の補給やシャワーを浴びにこれるよう、虹彩認証のロックが外されることとなった。今後は、デヴィッドがいなくても、リモコン一つでシェルターに出入りができる。

 調査班の全員がシャワーを浴び終えた頃には、ビデオカメラの充電が終わっていたので、ウルフの持っていたSⅮカードの中身を確認してみることになった。

 記録されていたのは、拘束されているゾンビと化した女性を男に無理やり犯させていたり、無惨に解体された死体をパーツごとに映している映像などの、悪趣味極まる物ばかりだった。データはその場ですべて削除し、ビデオカメラは今後の記録用として使うこととした。


  *


 シェルター探索から数日が立った。

 アネットたちはビデオカメラに生存協会での日々を少しずつ撮りためていた。そこには、アネットとリョウとサクラだけでなく、サクラと楽しそうに遊ぶデヴィッドや、アリスの研修の様子、メグが差し出された指を握る映像などが記録された。

 また、シェルターに飲用水を取りに行くのが人気の仕事となった。というのも、飲用水の運搬に喜びを見出しているのではなく、その際にシャワーを浴びられるのが魅力なのだった。

 その日はリョウが畑仕事の日だった。

 アネットは埋葬の仕事をこなし、ゾンビ肉を持ち帰って家の床下へ隠してから、炊事場へと赴いた。

 作ってきた夕飯を持ち帰り、あとはリョウの帰りを待つばかりである。しかし、いつもならば帰ってくる時間になっても、リョウは戻ってこなかった。このままでは日が暮れてしまうのではないかと心配になり、玄関で待っていようと立ち上がったとき、家の外から話し声が聞こえてきた。

「だから、リチャードさんについて来てもらわないと困るんです」

「……食事のあとじゃダメなんですか?」

 リョウと女性が揉めているようだ。割って入っていいものか迷ったが、アネットは妻として話しに入ることにした。

「どうしたんです?」

「いえ、ちょっと問題がおきまして。リチャードさんに話しを聞かせてもらっていたんです。でも、これ以上時間を取ってしまうのもよくないですね。……ええと、単刀直入に聞きますけれど、カバンの中身を確認してもいいですか?許可はアリスさんからもらっています」

 わざわざアリスの名前を出すあたり、何か理由があってのことなのだろう。

「……どうぞ」

 リョウがカバンを肩から降ろし女性に手渡すと、女性は中身を確認し始めた。

「……ああ、本当に入っていた」

 リョウのカバンから出てきた女性の手には、一つの玉ねぎが握られていた。

「……そういうことですか」

 リョウはなにやら得心がいったようだ。

「リチャードさんが畑の作物を盗んだと通報があり、確認に来たんです。でも本当に出てくるとは……。すいません、連行させてもらいます。もし抵抗するようであれば、人を呼びますから」

 そういうと、女性はリョウの腕を掴んだ。

(リョウがタマネギを盗んだ?)

 アネットが不審に思っていると、リョウが言い返した。

「分かりました、引っ張られなくもついていきますし、抵抗なんかしません。でも言っておきますけど、僕はそんなことしていませんよ」

 アネットも、何かを言うべきだと思い口を開く。

「私たちは蓄えも十分にありますし、リチャードが盗みなんてするとは思えません。なんなら、備蓄を確認していただいてもかまいません」

 証拠になるとは思えなかったが、アネットは食い下がる。

「お二人のおっしゃりたいことは分かります。でも、今は何も言わずについて来ていただけますか?」

 女性はアネットの提案を拒否してそう告げた。しかし、その言い方は二人を非難するようではなく、宥めるようなものだった。

「私も一緒に行っていいですか?」

 アネットはリョウを放ってはおけないと考え、女性に同行を提案した。

「ええ、リチャードさんを連れていくのが私の仕事ですので、構いません」

 アネットの動向を、女性はあっさりと認めたのだった。


  *


 連れられた先にいたのはリーダーのアクセルと副リーダーのアリス、農作物担当幹部のペイジという男だった。

「いやリチャード、残念だよ」

 アクセルが大仰に言う。

「僕は盗んでなんかいません、これは何かの間違いです!」

 リョウは声を荒げることはなかったが、芯の通った声でアクセルにそう告げた。

「落ち着いて。本当にリチャードがやったのかを確認するだけだから」

 そう言ったのはアリスだった。

「確認って、そんなことできるんですか」

 アネットはアリスに聞き返す。

 アネットの言葉に返答したのは、アクセルだった。

「ああ、できる。だから残念だと言ったんだ。……まさか、人を罪人に仕立て上げようとする人間があらわれるとはな」

「それはつまり、僕を疑っているわけじゃないってことですか?……でも、どうやったらそんなことを証明できるんです?」

 リョウが困惑していると、ペイジがくぐもった早口で話を始めた。

「いえね、こういったことが起こるのを見越して、配給される野菜には誰に配ったのかが分かるように私が細工をしているんですよ。……とても面倒なんですがね。それで、君のポケットに入っていたタマネギが、これなんですがね?」

 女性の手にしているタマネギを受け取り、ペイジが確認する。

「うん。……これはやはり、デヴィッドに配ったもののようだね」

 ペイジの口から出てきたのは、デヴィッドの名前だった。

「デヴィッドさんが?……でも、やはりって?」

 リョウも驚いたようで、ペイジに対して問いかける。

「うん。というのも、通報をしてきたのがデヴィッドなんだよ」

 ペイジがもの悲しそうにつぶやいた。それを受け、アクセルは呆れたような表情で言葉を続ける。

「おおかた、通報の報酬でも欲しかったんだろうよ。こういうルールを作っていると、引っかかる奴が時々いるんだよなぁ」

 アクセルは残念そうに言っているものの、驚いたような様子は欠片も感じられなかった。

「まぁ、こういうことなのよ。とにかく、リチャードの無実は確認できたから、二人は帰って大丈夫よ。あと、一応この件はリチャードからの通報として処理をするから、二人には報酬が出ることになる。複雑な気持ちだろうけど受け取ってね」

 アリスが申し訳なさそうに言った。リョウは言葉を返そうとしたが、アリスに続いてペイジが話し始める。

「ああ、あとね。配給品に入っている細工を判別できたとしても、それを利用して誰かを陥れようとはしないことですよ?細工は定期的に変更していますので、下手なことをしても分かりますからね……」

「じゃあ、お疲れさん」

 ペイジの話しのあとにアクセルが言葉を継ぎ、話を終わらせて帰ろうとする。

「ちょっと待ってください。帰る前に、いくつか質問をしてもいいですか?」

 リョウがアクセルを引き留めた。

「お前らは質問が好きだな。……まぁいい、聞いてやろう」

 面倒そうに一度大きくため息をつくと、アクセルはリョウへと向き直った。

「通報した人に報酬が出るようにして、自浄作用を促すっていうのは分かります。でも、こんな規則があるから、生まれる問題もあるんじゃないですか?」

「……ああ、その通りだ。これは、潜在犯を炙り出すためのものでもあるからな。こういうルールを敷くことで、大きな事件は未然に防げているんだ」

 アクセルの言葉にリョウは思うところがあったが、その考えを理解できないわけではなく、自分の考えをうまく言葉にできなかった。

「……言いたいことは、分かりました。じゃあもう一つだけ。デヴィッドさんが受ける罰則は、どういったものになるんでしょうか?」

「あー。……昔だったら死刑だったかもしれねぇが、今は罪を拭える働きをすれば許すことにしている。一度罰された人間は、よっぽどのことでもない限り二度目の罪を犯さないからな。まぁ、逆恨みをするような頭の回らない人間もいるから、三度目はないが。……だが、デヴィッドは既にシェルターの提供という大きな働きをしている。とはいえ、危険人物であることには変わりないため、その動向を監視をする必要がある。ということで、しばらくはうちの使用人にする予定だ。また、デヴィッドが犯した罪は、ここにいる人間だけの秘密とする。……ってことで、お前らとデヴィッドはこれから隣人になるわけだな。今まで仲良くやって来たんだろ? 多少気まずいかもしれないが、これからもよろしくやってくれ。じゃあ、解散」

 そう言うと、アクセルは自分の家へと帰っていった。

 アリスとペイジに挨拶をし、二人も帰路につく。

 二人が家へ着くまで、帰り道が同じアクセルは二人の先を歩いていたのだった。


  

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