第八話 旅立ち

――平穏はいつまでも続かない

          それでも、幸いを求めて――


  *


 ゾンビとなったニワトリによる被害者は三名にのぼった。くちばしで突かれたわずかな傷ならばゾンビにはならないのではないかと期待したが、長い時間をかけて被害者は少しずつゾンビへと変化していった。

 また、寝たきりだった老婆が外出しているのが見つかり、怪しいと思った住人が取り押さえたところ、その老婆は昼の段階で犬に噛まれていたことが発覚した。新たな犠牲者が出る前に発見できたことは幸いだった。

 この二つの騒ぎによって、ゾンビ犬による襲撃の最終的な被害者数は、ゾンビ犬によるものが十三名、ゾンビニワトリによるものが三名の、計十六名となった。

 また、ゾンビニワトリの犠牲になったニワトリも多数おり、ゾンビとなって生き返ろうとしているところを見つけられ、早急に処分された。無事だったニワトリも多数いたのだが、もしものことを考えて全羽殺処分されることになった。

 ゾンビニワトリの処分に際し、アネットはその死体を食べてみた。その死体からは人間の頃に食べていた鶏肉に近い味が感じられ、アネットは感動した。

 また、殺処分されたゾンビではない鶏肉も食べてみたが、ウサギの肉を食べた時のように、薄く味が感じられたのだった。

 また、ゾンビではない鶏肉はリョウの夕飯として使うことになった。もちろん、リョウ本人に了承をとってのことである。


  *


 サクラについて。

 ニワトリによる被害を確認する間、リードをつけて家の中に繋いでおいた。

 帰宅してからいつも通りの食事を与えたが、いつものように食べてくれ、不満があるようでもなかった。それでも不安は拭えず、リョウの首輪はしばらくサクラがつけ、外出時にはリードをすることとなった。

「アネットが動物の感触ならばわかるってことはないの?」

 リョウが聞く。

「ゾンビニワトリは触った感触が分かるけれど、普通のニワトリは触っても感触は分からなかったよ。味だけは、薄く感じられらけどね。だから、犬だけはゾンビじゃなくても触った感触が分かるってことは、多分ないと思う」

「でも、他に犬を触ったことはないよね?」

 そう言われ、アネットは自分を噛んだパグのことを思い出す。

「昨日パグに噛まれたのは痛かったけれど、あれはゾンビ犬だったからだと思う」

「え! ゾンビ犬に噛まれたの?」

 リョウが驚きの声を上げ、アネットに近寄る。

「う、うん」

 リョウが心配してすぐに寄ってきてくれたことに、アネットは嬉しくもたじろいでしまった。

「……はぁ、アネットがゾンビで良かったなんて思ったのは、初めてかもしれないや」

 リョウは微笑みながらつぶやいた。

「そっか、ありがとう」

 アネットはそれに笑い返す。

「……それで、問題はサクラだよね。僕が思い至った可能性は二つある。一つは、サクラも正気を保てるゾンビになった可能性。もう一つは、アネットがゾンビ犬に噛まれたことで、犬を認識できるようになった可能性、とか」

「うーん、何とも言えないね」

「まぁ、しばらくサクラのことは気にかけておくべきだろうね。でも、僕のことを噛もうともしないし、普通の食事を食べてくれるから、おそらく大丈夫だとは思うけれど」

 言いながら、リョウはサクラに餌をあげた。

「ワン!」

(本当に何もなければいいんだけど……。これ以上、サクラを疑いたくはない)

 そう思いながらも、サクラがリョウを襲ってしまう可能性を考え、アネットは一晩中サクラを抱えていた。

 サクラは特に変わった様子はなかったが、久しぶりに自分以外の生き物をハグできたアネットは、サクラの心地よい感触に心を癒されて夜を過ごしたのだった。


 *


 翌朝

 残っている埋葬作業が終わり次第、シュナウドの家に話を聞きに行く予定だったのだが、ゾンビニワトリによって出た犠牲者の弔いも追加でせねばならなかった。追加された死体の分、穴を大きくする必要があるのである。

 それでも、調達の仕事が中止となったため、リョウがそれを手伝ってくれた。そのために、アネット一人でやるよりは早く終わる見込みであった。

 少しでも早くシュナウドの元に向かおうと、意気込んで作業を始めたアネットたちだったが、一時間ほど経った頃にシュナウドが訪れ、作業がすべて終わってからゆっくり来てくれればいいと告げていった。

 そんな言葉を受けたアネットたちだったが、可能な限り早く作業を終わらせようと奮闘していた。しかし、大量のゾンビの処理が終わるのは、どうあがいても昼過ぎになる見込みとなった。

 その最たる理由としては、家族の最期を見届けるために遺族がひっきりなしに訪ねてくるため、平時の処理とは違い、アネットがゾンビを食べることで埋葬する量を減らすということができないからだった。

 アネットは埋葬作業を進めながら、昨夜はサクラのことが気がかりで話せなかった両親からの手紙について、リョウに話すことにする。

「リョウ、私の両親のことって覚えてる?」

 遺体をパーツ分けしながらリョウに話しかける。

「うん、覚えてるよ。アネットの家のクローゼットで亡くなっていた」

 アネットは改めて両親の最期を思い出し、安らかに眠っていることを祈りながら言葉を続けた。

「……うん。それでね、あの時お父さんのポケットから不死戦線の地図を見つけたってリョウに言ったじゃない? でも、実はあの地図は二人からの手紙と一緒に、隠されていた封筒に入っていたんだ。まず、今までそのことを隠しててごめん。……それでね、このあとシュナウドさんと話すときに、その手紙の内容を交えて話そうと思っているんだけど、リョウには先に話しておきたいんだ」

 アネットがそう告げている間、リョウは何かを考えている様子だった。

「アネットに宛てられた手紙なんだから隠すもなにもって思うけれど、わざわざそんな風に切り出すってことは、生存協会やハナに関係することなの?」

(さすが、リョウは鋭い)

「うん。話したいことの一つは、キャシーについてなんだけれどね。あとは、察しの通り生存協会関係のことで、ハナちゃんも関係してくるかもしれない」

 どんな感情でリョウに伝えればいいのか分からず、アネットは作業を続けながらリョウの方を見ずに伝える。自分の表情が曖昧なものになっていることだけ、アネットには分かっていた。

「……キャシーか、そう呼ばれるの懐かしいや。ってことは、やっぱりアネットはアニーだったんだね」

 そう言われ、アネットはリョウの顔をまじまじと見つめた。

「リョウ、分かってたんだ」

 今度は、リョウがアネットの顔を見ずに話す番だった。

「……うん。なんとなくそんな気はしてたんだ。あと、アネットと同じ年になって、こうやって気を遣わずに話すようになってからは余計にね。アネットの言葉選びとか仕草とかからも、アニーを思い出すことがあって、もしかしたらって思ってた」

 遠い昔のかすかな繋がりだと思っていたものが、今も途切れずに繋がっていたことに感傷を抱きながら、アネットは次の言葉を探った。

「……どうする?キャシーとアニーって呼び合う?」

 リョウのことをキャシーと呼びたいわけでもないのに、アネットは気づけばそんなことを口走っていた。

「うーん、アネットをアニーって呼ぶのは悪くないけれど、キャシーって呼ばれるよりはリョウって呼んでくれる方が好きだな。アネットはどう?」

(アニーと呼ばれるのも悪くはないけれど、アネットって呼んでもらいたい)

 家族も親友も呼ばなくなった名前を、好きな人には呼んで欲しかった。

「私も、アネットって呼ばれる方が好き、かな」

「じゃあ、このままで。……それで、生存協会についての話って?」

 リョウが少しだけ早口になって聞く。

「うん。お父さんからの手紙にあったんだけど、生存協会はゾンビを飼っているらしいんだ。だから、ゾンビ犬も生存協会の仕業なのかもって。あと、私の両親の仇も生存協会ってことになりそうなんだ。フローの町で、人体実験の結果としてゾンビにされてしまったみたい」

 アネットはリョウと共に過ごしたこの二年の間、一度も両親の手紙についてリョウに話そうと思ったことはなかったのだが、いざ話し出してみると言葉がすらすらと出てくるのだった。心のどこかでは、リョウと思いを共有したかったのだろう。

「生存協会が、ゾンビを?」

「うん。ハナちゃんはゾンビの襲撃で行方不明になったけれど、それはもしかしたら生存協会の自作自演だったのかもしれない。邪推をすれば、ハナちゃんは生存協会の誰かに襲われた可能性すらある。その場合、どんな目に合っているかは分からない。もし、こんな可能性をリョウに伝えたら、すぐにでも乗り込むって言い出すんじゃないかって思ったら、怖くて言えなかったんだ。本当にごめんなさい」

 曖昧な返答をするより、自分の考えを率直に伝える方がいいとアネットは思った。たとえそれが、自分勝手な考えだと分かっていても。

「確かに、当時の僕だったらその可能性も否めない。僕はいつ死んでもいいと思っていたし、アネットとこんな風に生きることになるなんて、思っていなかったから」

 リョウがアネットの顔を見ながらそう告げる。

「……ね」

 つい、アネットの口から笑みが漏れた。

「他には?」

「え?」

「手紙には、他にはなんて書いてあったの?」

「生存協会のことは、今話したことくらいだよ」

「生存協会のことじゃなくてもいい。どんなことが書いてあったのかなって」

「……お料理のこととか?」

 想定していなかったことを聞かれて、アネットは話すつもりのなかったことを話してしまう。

「お料理?」

「……うん。寮に入る前にお母さんから家事を色々と教わっていて、そのことについてお母さんは書いてくれていた。お母さんに教わったおかげで、私は料理が好きになったんだ。お母さんに私が作った料理を食べてもらいたいってずっと思ってなぁ。今となっては、自分で作る料理の味も分からないし、お母さんもお父さんも死んじゃったけれどね。でも、料理を教わったおかげで、私は今リョウの食事を作れているんだよね。……ええと、もらった手紙、読む?」

 アネットは恥ずかしさをごまかすため、そう聞いた。

「ううん、読まなくても大丈夫。でも、アネットが手紙を読んで思ったこととか、今思っていることは、もっと知りたいかな」

 微笑みながら、頬を赤らめずにそう告げるリョウ。

 リョウは成長したんだなぁとアネットは思った。それと同時に、ゾンビになってしまった自分はもう変わることなどない思っていたのに、リョウと出会う前の自分と今の自分では、変わったことが多いと感じるのだった。

「そう? じゃあ、思い出しながら話そうかな」

 それから二人は、子供の時の話しや家族の話しをしながら、昼過ぎまで埋葬作業を行った。


  *


 作業が終わり、シュナウドの家へと着く。

「シュナウドさんお待たせしました、アネットです」

 玄関越しに呼びかけると、シュナウドが扉を開けて答えた。

「ああ、よく来てくれたね。埋葬作業お疲れさま、どうぞ入って」

「「失礼します」」

 二人で中へと入る。ゾンビ犬の襲撃の際に大人数で会議をしていた時と比べると、三人しかいないシュナウドの家は、とても広く感じられた。

「いや、いつも大変な仕事を任せてすまないね」

「いえ、慣れてますので」

「ありがとう。……それで、俺から君たちに一つ提案があるんだけれど、どうやら君たちも、何か俺に話したいことがあるみたいだね?」

 不死戦線を束ねているだけあって、シュナウドは鋭かった。

「ええ。ゾンビ犬に関することで、話しておきたいことがあるんです」

「ほう、それはなんだい?」

 リョウと顔を見合わせ、シュナウドに話を始める。

 生存協会がゾンビを飼っているらしいと父の手紙で知ったこと。両親はその実験で死んだこと。ゾンビ犬も生存協会によるものである可能性が考えられること。

「そうか、生存協会がゾンビをね……。いや、今思い出したんだけれども、そういう話は君たちが来る前にも聞いていたな。不死戦線から生存協会に行った人間の話しだったんだけれど、交易のために不死戦線へ時々訪れていたんだよね。でも、そんな話を聞いてから少しして、外交担当から外れたらしくその人は来なくなったんだ。ゾンビの話自体も半信半疑で語られたものだったから、言われるまで忘れていたよ」

「このままだと、生存協会の思いどおりになってしまうんじゃないでしょうか?」

 リョウが心配そうに告げる。

「……うん。不死戦線は生存協会の傘下になるかもしれない。思うところはあるし、そう仕向けられている可能性も否定はできない。でも、そうは言っていられないのが現状だよ。生き延びるために手段は選べないんだ。それに、もしゾンビ犬が生存協会による攻撃なんだとしたら、あちらの思い通りになれば、攻撃はなくなるかもしれないね」

(そうか、攻撃される理由をなくすため、相手の思い通りになるというのも、選択肢としてはあり得るのか)

「こちらから何かを仕掛けることは難しいからね。……君たちがもし、生存協会の傘下に入るのが嫌ならば、この町から出るのをお勧めするよ」

 シュナウドは笑いながら、ふざけてアネットたちを脅すように、低くした声でそんなことを言う。

「いえ、むしろいつの日か生存協会には戻ろうと思っていたので、僕としては問題ないです」

 リョウが告げると、シュナウドは一転して明るい語調で話し始めた。

「そうかそうか。じゃあ、そんな君たちに朗報があるんだ。この度、不死戦線から生存協会に人間を送ることになった。そこで、先遣隊として君たち二人に生存協会へと行ってもらおうかと考えている。君たちが生存協会で何をするつもりでも僕は構わない。ちょっと考えてみてくれないかな?」

 シュナウドに言われ、二人は顔を見合わせる。シュナウドの提案に乗るつもりであることが、リョウの表情から伝わって来た。

「やります」「行かせてください」

「そう言うだろうと思ってたよ。ま、だから聞いたんだけれどね。じゃあ、具体的な話をしようか。生存協会に入るのなら、二人は新婚夫婦ということにでもするといい。リョウは勿論のことだけれど、アネットも偽名を名乗った方がいいだろうね。……ファミリーネームは、二人ともイキルシカでいいと思う。でも、アネットの場合は旧姓を考えておくべきかな。さぁ、生存協会では色々なことを聞かれるだろうし、すぐに対応できるかの練習だ、二人ともすぐに自己紹介をしてくれ」

 そう言われ、アネットは自分の名前をベースに新しい名前を考えた。

「私は、私はバネッサ。バネッサ・イキルシカ」

 アネットの脳裏には、親友メグ・マイルドが思い出されていた。

「旧姓はマイルド。私が結婚する前の名前は、バネッサ・マイルド」

 アネットがすぐに名前を決めたので、リョウは慌てて口を開いた。

「僕は、リ……リチャード・イキルシカ」

「……よし。まぁ、悪くないだろう。これから君たちはバネッサとリチャードだ」

 こうして、二人は夫婦となった。


「二人が生存協会に向かうのは来週になる予定だ。それまでに、少しずつ支度を進めておくように。ちなみに、サクラはどうするんだい? このまま番犬として不死戦線に置いていってくれてもいいが、連れていくのなら伝えておくよ」

 ゾンビ疑惑があり、ハナの手掛かりでもあるサクラを置いていくわけにはいかなかった。そしてなにより、サクラは二人の大切な家族だった。

「サクラを一人にはしません。連れていけないのなら、生存協会には行けません」

 リョウも同じことを考えていたようで、シュナウドにそう告げた。

「分かった、伝えておくよ」

 話し合いが終わり、二人はシュナウド家をあとにした。


  *


 翌日。

 ゾンビ化した住人が現れたとのことで、町は再び騒ぎ始めた。

 犠牲となった女性は頭部を砕かれ、足には犬の噛み跡が残っていた。また、身体には争った際にできたとみられる傷跡が残っていた。ゾンビとなって町中をさまよっていたところを、ウルフが見つけて頭部を砕いて倒したらしい。

 遺体は遺族である夫の手によって解体されて棺に納められたので、アネットの仕事は穴を掘って埋めるのを手伝うだけだった。

 不死戦線にはサクラ以外の犬は存在しないので、アネットはサクラのことを一瞬疑った。しかし、サクラのことはアネット自身がずっと見張っており、サクラが犯人ではないことはアネットが一番よく知っていた。だが、町中を捜索しても犬は一匹も見つからず、塀の下に穴も掘られていなかった。

 どこからゾンビ犬が入り、どこへ消えてしまったのかは謎だった。また、サクラがゾンビ犬なのではないかと不死戦線全体でうわさになってしまった。

 しかし、アネットが常にサクラと一緒にいるため、そのうわさには信憑性がないとされて、生活に実害が出ることはなかった。


  *


 翌日、また犠牲者が出てしまった。

 被害者は身寄りのないおじいさんであった。

 夜中に調達班の有志がパトロールをしていたのだが、様子のおかしい住人が見つかり、あとをつけたところゾンビだったらしい。犠牲者は今回もゾンビとなった当人だけで済んだのだが、連日犠牲者が出てしまっては町の存続にも関わってくる。

 被害者の足には昨日の女性と同様に犬の噛み跡が残っており、右手と左足には争ったような傷があり、頭部が砕かれていた。

 身寄りのないおじいさんのことを葬ってあげたいという者は出てこず、埋葬は全てアネットが行うこととなった。

 アネットがおじいさんの遺体を解体していくが、アネットは少しずつ違和感を持っていた。

 解体をすると、その傷口からは血液が流れてくる。とはいえ、ゾンビになったばかりであれば、血を流すゾンビも存在する。だが、それ以上に決定的な違いをアネットは感じ取っていた。

 ――死体から、果物のような香りが漂っている。

 アネットが食べないようにしてきた人間の死体の香りが、おじいさんの遺体からしているだ。

 アネットはリョウにそのことを告げ、リョウは遺体がゾンビではない可能性があるかもしれないことをシュナウドに相談しに行った。

 丁度その時、リョウと入れ違いでシュナウドの家から出てきたのは、連日に渡ってゾンビを退治していたウルフだった。


  *


 事件から二日経った夜。

 リョウは調達班の仕事で見回りを任されており家におらず、アネットはベッドに横になっていた。

 とても静かな夜だった。

 アネットがベッドの中でじっとしていると、家の外から誰かが歩く音が聞えてきた。リョウが忘れ物でも取りに来たのだろうか?それとも、子供が墓場で肝試しでもしているのだろうか?

 呼吸をする必要のないアネットが文字通り息を殺していると、玄関の扉が音もなく開かれた。

 アネットはそれに気づき、手に持っていたボールをそっと玄関に向けて転がした。

 家に入って来たのがリョウであれば、そのボールを拾ってアネットに投げる約束になっていた。しかし、ボールが拾われることはなかった。

 アネットの枕元に人影が立つ。

 次の瞬間、アネットに向かって斧が振り下ろされた。アネットはそれを避けるためにベッドから滑り降りたが、斧の攻撃が振り下ろされるのが少しだけ早く、アネットは左手首に攻撃を受け、ベッドの上には切り落とされた手が残ってしまった。アネットはとっさにその手を拾い、攻撃してきた相手に投げつける。

「うおっ」

 襲撃者は声をあげ、一歩退いた。

 窓から差す月明かりに照らされてその場所に浮かび上がったのは、調達班のエース、ウルフ・ショウの顔だった。

「やっぱりあなただったんだ」

「……ああ? 俺だって分かってやがったのか? ……俺がシュナウドに報酬をもらいに行ったあと、リョウが入って来たから次に襲おうと決めたんだが、その判断は正しかったようだな。まぁ、お前らがそれを分かっていようと、リョウが留守だってのは分かってるんだ。とっととお前を殺し、帰って来たリョウも殺してやるさ」

 ウルフがまくしたてるように語るのを見て、その話を長引かせようと考える。

「……あなたはなぜ、こんなことをするの?」

 アネットに聞かれ、ウルフは鼻で軽く笑ってから話し始めた。

「まぁ、単純にこういうことが好きみたいなんだわ、俺。世界がこんなことになってから、動物やゾンビを殺すのが楽しいんだってことに気づけたんだ。さらに、ゾンビをいたぶるのだって悪くねえが、ゾンビになりかけの人間を殺す快楽が今までにないものだった。致し方なく殺すしかないという名目で行われる、そういった悲しみが俺の楽しみになったんだ。……この前のゾンビ犬の襲撃は本当によかった。人間が苦しみながらゾンビになっていく姿を楽しめたし、苦しむ家族を楽しめ、みんなが見ている前で殺すことまで許されて、本当に心が震えたぜ。でもそのせいで、殺人衝動は我慢できなくなるし、調達は延期するしで困ってたんだよ。それで、自分で事件を起こすことにしたわけだ」

「まともじゃない」

「それには同意するよ。だが、何と言われても構わねぇ。この世の中がまともじゃないんだからな。……それで質問なんだが、なんでお前は手を切り落とされたのに平気でいるんだ? なぜ叫ばない? 悶えない?」

 ウルフが興奮を隠さずにアネットに問う。

「痛みには、慣れているから」

 本当は、痛みなど感じないのだが。

「お前の方こそまともじゃねぇな」

 ウルフは歪んだ笑みを湛えていた。

「……ねぇ、誰かが悲しむ姿を見たいのなら、なんで身寄りのないおじいさんなんかを殺したの? 犠牲者候補は他にもいたでしょう?」

 一回目の女性のように、死体処理を遺族にされてしまっていれば、アネットが異変に気付くのはもっとあとだったかもしれない。

「そりゃ、誰も悲しまないっていうのも十分に悲しいことだからじゃねぇか。ただ殺すだけじゃマンネリでつまらねぇからな。……お前だって、こんな質問をするってことは、あのじいさんが死んでも誰も悲しまないって思ったんだろ? それはとっても悲しいことだよな?」

「……よく喋るわね」

 アネットは自分の考えを突き付けられたようで、そんな返答しかできなかった。

「まぁ、そろそろ引き際だと思ってな。流石に俺が事件を起こしているとバレる頃だろうし、そうなりゃ殺されるのは目に見えてる。だから、この町とはおさらばするつもりだ。でもその前に、俺がやったことを喋りたくって、お前の死体を肴にリョウと話そうと思ったんだ。最後の犠牲者は心も身体も嬲りながら、楽しんで殺したいからな」

「残念だけど、私はあなたを楽しませることは出来ない」

 アネットは左手を月明かりに晒し、ウルフへ見せる。話している間に左手は生え変わり、傷跡すら残っていなかった。

「……なんだ。死体の腕でもあらかじめ持ってたってわけか。墓守だからできる芸当だな、面白いことするじゃねぇか」

 ウルフは目の前の出来事をそう考察した。アネットの腕は確かに一度ウルフに断ち切られていたが、わざわざその間違いを正す必要もないだろう。

 アネットはとにかく、少しでも長く時間を稼ぎたかった。

「……まぁね、どうやったら調達班のエース様に対抗できるのか、色々と考えたから」

「そいつはご苦労だった。じゃあ、今度こそ殺してやるぜ!」

 ウルフが斧を振り回しながらアネットに襲い掛かる。

 アネットは枕元に立てかけたシャベルを手に取り応戦する。ゾンビは腕の力が常人よりも出せるとはいえ、アネットの身体は女であり、出せる力はウルフと互角といったところだった。だが、アネットがシャベルで応戦するのに対してウルフは斧であり、その重たい攻撃により、シャベルは少しずつ傷ついていった。

 十何度目かの攻撃を受け、アネットの持ったシャベルはついに折れてしまった。

「さて、ここからは痛みが続くぜ? まぁ、楽しんでくれや」

 ウルフの攻撃が続く。

「それは、どうも!」

 頭部を攻撃されては困るため、腕を使って防御を続けるが、部屋が痛みも衝撃も感じないアネットに、暗闇の中のウルフの動きは読めなかった。

 アネットの指先が飛び、腕は抉られていく。

「なんで、痛がらねぇんだ!」

「さぁ、なんで、かしらね!」

 そろそろ防いでいるのも限界に近かった。指はほとんど残っておらず、腕からは血が絶え間なく流れている。

 ウルフ攻撃を捌ききれず、斧の攻撃がアネットの足に入った。

 アネットは大きく体勢を崩してしまう。

 その隙を見て、斧の横振りがアネット目掛けて放たれた。その一撃により、左腕が断ち切られて飛んでいった。

 その衝撃にアネットは地面に倒れ、ウルフに馬乗りになられてしまう。

「……」

 アネットはウルフの顔を無言で睨みつける。

「……お前、いったいなんだ?」

 ウルフが斧を持ったまま、アネットを見据える。

「そんなこと別にどうでもいいでしょ? ただ、私はあなたの期待に答えられないって、最初から言っていたでしょ?」

 アネットの言葉にウルフは納得などかけらもしていなかったが、枕元に立って一撃でアネットの命を奪おうとしていたことを思い出し、冷静さを取り戻した。

「……そうかよ。じゃあ、これで本当に最後だ!」

 ウルフの一撃がアネットの額に振り下ろされようとしたその時だった。

 斧を持つウルフの腕に、一本の矢が突き刺さった。

「うぐぅ……」

 ウルフはその傷みに、手から斧を落とす。

「ワン!」「アネット!」

 リョウとサクラが駆けつけた。

 サクラは、先程アネットが地面に転がしたテニスボールを口に咥えている。

 アネットが投げたボールをリョウに渡す遊びが、サクラはずっと大好きだった。

 リョウに気を取られているウルフの腹をアネットが蹴り上げる。よろめいたところにリョウが近づき、羽交い絞めにして気絶させた。


  *


 ウルフの手足を縛り、壁に寄りかからせる。

 ウルフのポケットを探ったところ、犬の歯の標本が出てきた。その標本は、前回の襲撃時にゾンビ犬の死体からウルフがとったものだった。ウルフはこれで死体に細工をし、ゾンビ犬に噛まれたように偽装していたのだ。

 部屋の中心に蝋燭を灯し、二人はこれからどうするのかを話し合う。

「ウルフは、シュナウドさんに引き渡せばいいよね?」

(どう処分するのかは、シュナウドさんが決めるべきだろう)

 アネットはそれを当然のことと思って話したが、リョウは何かを決心したように、アネットの顔を見てゆっくりと口を開いた。

「……いや、ウルフはアネットの身体のことを知ったんだろ? なら、戦っている間に仕方なく殺してしまったことにした方がいい」

 リョウの言葉にアネットは驚いた。どうにかその考えを取り下げさせるべきだと、リョウを説得できる言葉を必死に探す。

「でも、ウルフの言うことなんてシュナウドさんは信じないよ」

 アネットがそう言った時、気を失っていたウルフが目を開いた。

「……おいおいおアネット、お前なんで死んでないんだ? あれだけ傷つきゃ、出血多量で死ぬはずだろう? もし俺が生きて目を覚ませたのなら、リョウが悲しんで怒り狂う姿が最期に見られると思ったのに、お前はどうして平気そうな顔をしてそこに座ってやがる?」

 ウルフは困惑しながらも考え続け、言葉を続けた。

「もしかして、その犬がゾンビだっていう話は本当で、お前はソイツに噛まれたのか? それで、お前も化け物になったのか? ……はは、ははは! そりゃ面白れぇ! なぁリョウ、ゾンビ女の抱き心地はどうなんだ? どんなことをしても死なねぇ女なんて、俺は心の底から羨ましいぜぇ!」

「黙れウルフ!」

 リョウが叫ぶ。

「おー、怖い怖い」

 リョウはウルフを今にも殺しそうな目つきで睨んでいた。

「リョウが殺す必要なんてない。こんな奴のために、人殺しになる必要なんてい!」

(人を殺してしまったら、リョウは復讐に囚われてしまう気がする)

 アネットの言葉に、リョウは表情を崩して向き直った。

「じゃあ、アネットが殺す?」

 その言葉からは、一切の感情が感じられなかった。

「そういうことじゃなくて!」

 アネットは必死でリョウに声をかけるが、リョウの耳には届かなかった。

「ううん、ごめん。いいんだ」

 落ち着いた口調でそう言うと、リョウはウルフの元へと近づいていく。リョウの様子に気圧され、ウルフは軽口を叩けなかった。

 リョウはウルフの元へ近寄りながら、ウルフの持っていた斧を手に取ると、立ち止まることなく流れるような動きでウルフの脳天へと振り下ろした。ウルフは口を開いたまま、何も言い残せずにあっけなく死んだ。

「リョウ……」

「ごめんねアネット。さぁ、支度をしたらシュナウドさんに報告に行こう」


  *


 それから、アネットは保存してあったゾンビの死体と切り落とされた自分の身体を食べ、傷が癒えるのを待った。斧で切り裂かれた衣服に関してはどうすることもできず、ウルフと争ったことを隠すためにすべて燃やした。

 また、アネットの指が数本出てこず、家中を探したところサクラが食べていた。

 アネットはそれを止めようとしたが、サクラがゾンビ犬ならば問題はないし、そうでなくとももう手遅れかと考え、サクラに優しく問いかけた。

「サクラ、美味しい?」

「ワン!」

 サクラがゾンビ犬なのかは結局のところ分からないが、これからもしっかりと見守ろう、絶対に人間を襲うようなことだけはあってはならないと、改めて思った。


  *


 事件の報告のため、二人はシュナウド家に訪れた。

 ウルフに襲われたがリョウがなんとか返り討ちにしたこと、ウルフのポケットから犬の歯の標本が出てきたことを告げる。

「……そうか。この件は、ウルフがゾンビになりかけているところをリョウが退治したということにする。申し訳ないが、アネットもそのつもりでウルフを葬ってくれ。こんなやつでも、調達班のエースとして慕われているんだ、墓参りをしたいやつだっているだろう。色々と思うところはあるかもしれないが、頼む」

 シュナウドが真剣な眼差しでそう言ってくるので、アネットは断ることなどできなかった。

「分かりました」

 アネットの言葉を受け、シュナウドはほっと一息をつき、話しを変えた。

「ああそうだ、来てくれたついでに伝えておくが、二人が生存協会へと行くのは三日後になった。迎えが来る手はずになっているから、準備しておいてくれ」

(いよいよ、生存協会に向かうのか)

 アネットが考えていると、シュナウドはバツの悪そうな顔で話し始めた。

「正直、ウルフまで失ったとなると不死戦線の戦力不足もいよいよ大変のものとなってしまう。二人がこのまま不死戦線に残ってくれたら、なんて思ったりもした。墓守の仕事も調達の仕事も、変わりは作れるがお前ら以上に有能な人材はいないんだ。……でも、お前たちにはやることがあるんだもんな。信じることを、最後まで突き通せよ?」

 シュナウドのその言葉に込められた思いが、とても複雑なものであると二人には感じられた。

「「はい!」」


  *


 生存協会へ向かう日となった。

 アネットとリョウの左手薬指には、アネットの両親がつけていた指輪がはめられていた。

 荷物を背負って待ち合わせ場所へと向かう。ゾンビ肉を持っていくか迷ったが、持ち物検査をされる可能性を考えてやめておいた。その代わり、リョウのカバンには食料がぎっちり詰められ、それ以外のものをアネットのカバンに入れていた。

 その中にはビデオカメラもあった。アノールドで暮らした家を映像に収めたいと思ったが、バッテリーの充電はとうに切れてしまっていた。不死戦線に入ってから時々回していたので、この町での映像も少しは映っているのだが、叶うのなら今の姿を収めたかった。荷物になってしまうが、リョウの家族やこの町での暮らしが映されたカメラは、置いていくことなどできなかった。

 また、ウルフの家にあるものを分配することになり、欲しいものがあれば優先して持っていくことを許された。リョウに弓の扱いを教えただけあって、家の中には様々な武器が保管されていた。

 リョウはその中からウルフが愛用していた弓一式を回収し、今まで使っていたものは置いていくことにした。また、一枚のSⅮカードが机の中から見つかった。記録されているものがなにかは分からないが、カメラに挿しておくことにする。

 待ち合わせ場所である町の入り口に着くと、二頭の馬を繋いだ馬車が停まっていた。御者は疲れたのか、手綱を持ったまま眠っている。

 すると、荷台から一人の女性が長い金髪を靡かせながら降りてきた。他グループとの橋渡しを頼まれているということは、この女性は生存協会の中でも立場が上の人間なのだろう。

 二人は顔を合わせて小さく頷くと、これから生きていく名前を名乗った。

「こんにちは、僕の名前はリチャード・イキルシカです。で、こっちが妻の……」

「バネッサ・イキルシカです。これからどうぞよろしくお願いします」

 二人が丁寧にあいさつをすると、彼女は笑顔を作って口を開いた。

「どうもこんにちは、生存協会から来たアリス・イキルシカです。これから、どうぞよろしくね」


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